nobody hurts

February 20, 2011

20110220 - silence (silent)

何も消え去ってはいないのに、何かが残っている。



 そうして、振りだけの逆編集を経て様々な人々の願望を反映しているために、無限にぶれて見えるはずのじぶんの後ろ姿を、女は髪の毛を結わいて上げる動作でただ一つにまとめる。
 痩せて伸びた背筋がそこに残る。
 もしくは何も消え去ってはいないのに、何かが残っている。
 残る、というからには何が消えたのかを知りたいと思い、少年はさらに逆編集モードをドライヴさせる。今度は現にそこにあるものを何かのあとかただと仮定して、それならばそこにはまず何が存在していたのかという問いをさらに巻き戻して、そこにあったはずの予兆を探りだそうとしている。ある晴れた夏に日に枯れた松の木に垂れた四月に向き、歩きで届く距離、早足では更に遠くに。
 そこで待つ彼女の後ろ姿まで届くことがあればいい、と少年は思いながら、目の前の彼女にいつまでも追いつくことができないでいる。それが振りだということも分かっている。何らかの意味で場を共有している誰か同士が、互いに追いつくことも、逃げ切ることもできないという不可思議な状況がある。あるいは共有されていると思い込んでいる部分から演繹するからそのように思えるだけかも知れない。



 この文章は典型的な逆編集の手法を用いて書かれている。たとえば、この文章を消し去ったあとも結局は町の景色は当たり前に残るというような。それとも枠組みを取り払っても色は残るような。詞を取り払っても歌は残るような。映像を取り払っても形は残るような。ここから言葉を取り払ってもそれでも何かが残っているという思い込みのような。



 典型的な逆編集とは、てんで勝手に、という意味である。
 それでも何故か逆編集にはそれを行う時代や年代毎にそれに相応しい様式があると思われているし、実際に多くの逆編集者がその折々の様式に従っていた。そのような無意識の様式の存在に少年は辟易としていたが、それがそれ自身を生み出すということに対して、時を経て変わることのない一縷の望みを抱いてもいた。そうでなければ現実はまったく説明不可能なものになってしまうだろう。何が説明不可能かを説明しようと試みること自体が不可能なものになってしまうだろう。それが順番通りに訪れるかどうかは別にして、物事には順序というものがある。順序がプロットされ、その間隙をそれぞれの記憶が埋めていく。


 
 初めて彼女の後ろ姿を見たとき、少年は彼女を懐かしいと感じた。それは彼が初めて懐かしいという感情を抱いた時でもあった。新宿の町並みは十二月から二月へと移り変わり、そのあいだもずっと少年は少女の後ろ姿だけを追いかけ続けた。たとえ彼女が自分の前を歩いていない時でも。
 電気や月や日の明かりが埃の重さで被さっていた。電気の光りさえもが自然光であった。その光りに接続されている人混みがそれ自身の内側へと消え去って決して人目には触れることのないダンスを踊っていた。
 インディアン・サマーとは小春日和という意味だ。「エンドレス・インディアン・サマー」という映画は撮られていない。それでも小春日和が訪れる日があり、そのような日には少年は一枚薄着で彼女の後ろ姿を追い続けた。
 初めて彼女を見つけたときに初めて懐かしいという感情を感じたから、少年はそのときその場で彼女との邂逅を逆編集しないことに決めたことを、女の居室で女の毛繕いをしながら、女と出会った新宿の光景の記憶を逆編集しているときに思い出したのだった。もしくはそのような記憶が逆編集中に捏造された。少年がまだ観ていないし、これから決して観ることもない映画から、誰かがそれとは知らずに剽窃したうんざりするほどとびきりに素晴らしい感傷的な場面に関する思い入れが紛れ込んだのだ。複数の逆編集者の存在は当然そのような自体を、事態を、引き起こす。

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