20110223 - silence (that she speaks in)
「あなたはわたしを見つけた時のことを覚えているけど、
別に一度だってそのことを思い出す必要はないでしょ」
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。
少年と一緒に何も見てこなかった少女がそう言う。
少年はうなずく。それから声に出して肯定する。
声には声だ。さもなくば逆編集が始まってしまう。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。といつもの調子で彼女が言う。彼女というものがそう言いそうな口調で彼女はそう言う。彼女は、彼女というものとして定義されることと、彼女が彼女自身であることの兼ね合いにおいて、そのような喋り方を意識的に選択していた。そして、それを実際に処理するリソースの大半が外部に委託されているということを彼女は受け入れていた。本当にそのことを理解していたのかどうかはともかく、そのように理解していた。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。といつもの調子でいつも話すのはいつも彼女だ。髪の毛を上げて、それに髪型という外的な様式を与えているために、フィルムに収められた夢想家たちの様々な記憶はとりあえず今はその様式に従っているように見えた。彼女の不在をまとめあげるためにただひとり存在している彼女。それもいつもの通りだ。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。もう忘れてしまったことの大半だとか。少なくとも実際には見てこなかったものよりは、忘れてしまったことのほうが多いことをわたしは望んでいる。別にそうでなくても全然構わないんだけど。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。たとえば、ある感傷的な風景を文章そのものの向こう側に見てきたでしょ。たとえば、それと似たように、感傷的であることを拒む感傷の風景を、映画の映像の向こう側にも見てきたでしょ。それと似たようなことを現実にもするのが逆編集だっていうのが何で分からないの。それを分かるということが逆編集なのかも知れないけれども。
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いろんな人々がいろんな音楽や映画の場面を逆編集し尽くして弾き出したわたしをさらに逆編集するとはどういう了見か。と彼女はここで大きく溜息をつく。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。見たいと思うものを見てきたでしょ。何を見たいと思っているか分かっていると思っている場面は見てきたわけでしょ。それとはまったく別のかけ離れた状況のなかで。どっちがどっちからかけ離れているかとか、はっきりいってわたしには分からないんだけど。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。論理的にしか遠近法を知らない子供のように、もしくはまるで論理的な遠近法を人間的な情緒として記述できると思い込んでいる子供のように、見ることを見てきたわけでしょ。野暮か、それか、的外れだと思うけど。そのこと自体も、そのことをわたしが話してるということも。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。見てきたいろんなわずかなもので見てこなかった多くのものの隙間を埋めてきたでしょう。その隙間にも自分の人生の影が届いていると感じ、その暗さに、その外側から寒気を抱いていたでしょう。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。それでも実際には一回も見たことがない「始まり」とか「終わり」とかいうやつを何故かいつも知っていると思い込んでいたでしょう。それでいいのだと思ってるけど、それでいいのかは分からない。
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わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。編集されてきたものごとを見てきたでしょ。その編集の渦中にあり、何かをそれを取り巻く様々な情報と相互補完的に編集する技法を学ぶことにより、そこにわたしの声が見つかったときのことを、あなたは覚えているけど、別に一度だってそのことを思いだす必要はないでしょ。
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彼女は逆編集者ではないのに、よくも徹底的な逆編集者のような話し方ができるものだな、と少年は感心する。逆編集者同士のあいだに生まれるような親密さもある。だが彼女は逆編集者ではない。
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彼女がそのような話し方をするのは、彼女が自分を逆編集者の論理で説明可能なものにする必要があったからだ。それがどのような類のものであれ、狂気とは調子を合わせるに限る、という常套手段の、彼女が少年と共有しているこの状況における実践である。そのような判断を静かに下し、そしてその判断自体が自分の内なる狂気の現れではないかと疑うだけの冷静さを彼女は保った。
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つまり、わたしがわたしでなく、本当に逆編集の結果生じたものならば、わたしはどうしたいのか。少年に向けて話しながら、彼女はそんなことを考えていた。彼女の問いはこう続く。いまわたしはわたしに逆編集に近い処理を施すことにより、わたしを生じさせているのではないだろうか。そして、わたしが見てきた様々な景色から自分を逆算して割り切れぬものがわたしなのではなかろうか、と。