20110225 - silence (in your head)
何度振り返っても、いつも追いつけない。
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奇妙に音が鳴り止んだ自分の部屋で、さらに、女は自分の頭のなかの静寂に耳を澄ました。 空を観て、色を浴む。ふと、少年が始めに少女を追いかけ始めた新宿の光景が思い浮かぶ。わたしはこの自室の光景だけでは存在することができない。わたしをこの場所と結びつける何かが必要だ。もちろん、わたしをこの場所に結びつける何かが存在するために結びついている場面は、この日のこの部屋なのだろうけど。そして女がそのように考えているその二月の居室の場面も、未来の、おそらくは未来の光景と結びつき、それを成り立たせるためのものになるのだろうが。まるで倒置法の過去のように。
女は体の怠さを感じ、すこしも動く気が起きない。前提や、予測のなかで自由に動き回ることにより、少年に自分の髪の毛を好きにさせている姿勢のまま、女はその場面の構成を自在に操る。そして、そのような、逆編集へと繋がるような自分の心の働きを女はたしなめる。
少年がそこにいない少女を思い出すことにより、もしくはそこにいる以外の彼女を思い出すことにより、もしくはそこにいた以外の彼女を思い出すことにより、女は自分が延々と消耗していくような気がした。
少年の記憶のなかで、何重もの仮定の光景や何重もの過程の光景のなかで、もしくは何重もの仮定の光景がその前後に引き連れている過程の光景のなかで、もしくは何重もの過程の光景に含まれる仮定の光景のなかで、すでにそこにある過程と仮定の光景のなかで、女は少し肩が凝ってしまったと感じた。
ねえ、ずっとわたしの髪の毛をいじってるのもいいけどさ、少し肩もんでよ。彼女は少年にそう告げる。
髪の毛に触れているという、いわば緩衝地帯での曖昧な愛撫に弛緩していた少年は、女の体に直接手を触れるということに少しのためらいを感じた。そこに発生するであろう意味に身構えた。もちろん、その意味を探るのは、その先にあるまた別の意味の中からなので、何度振り返ってもいつも追いつけないのだが。
少年は少女の肩に触れた。正確には、彼女が着ていたセーターの模様に触れた。その線維が温かかった。そしてその温かさを女の細い肩の筋肉や骨格や血流や代謝の働きと結びついたものだと考え、女がまとっているそれら堅固だと感じられる要素を押し返す自分の皮膚や呼吸の確かさを少年は確かめた。
女の肩の張っているところを少年は親指でほぐした。彼女が溜息をつく。彼女は少し疲れているのだろうな、と少年は思う。だがその疲れが、少年自身も加担している、何重にも読み解かれた何重もの物語のなかで貯め込まれたものだと気付くだけの繊細さは少年にはない。少年はそのような仮定を弾き出しはするだろうが、彼はそのような仮定で行動することはない。そこに齟齬がある。だがそのような仮定で自分がそのように行動していると仮定することはできる。そこにも齟齬がある。
そのような思惑のすれ違いを通してどのように人と人とが出会うことができるのかが少年には分からなかった。もちろん、そのような面倒くさい仮定やら過程をある程度はすっ飛ばして、人と人とはごく当たり前に、ごく普通に出会っていく。もしくは出会ったと仮定して、もしくは出会ったという仮定で出会いながら、一見そこに外観的な意味を読み出すことの出来ない関係性のつづれ織りに編み目を加えていく。その編み目のひとつひとつのかたちは分かるし、その結び目の構造がそれ自体でどのように完結しているかも分かる。そこには解釈の発生する余地はそれほどにはなく、むしろ糸がその結び目のなかで保たれている力に目がいく。けれどもその編み目が、別の編み目とどのような緊張を保っているのか、また幾つかの編み目のまとまりが、また別のいくつかの編み目のまとまりとどのように関わっているのか、見当もつかない少年は、逆編集でもして、適当な法螺をでっちあげるほうが早い、と早計に結論を出す誘惑にも駆られる。そのようなつづれ織りが全体では安定を保っていることは分かる。だが細部でどのような力の均衡が保たれているか分からない。そこにある力の流れは見て取れない。
しかもそこにあるのは単なる要点の集合、編み目の集合体だけではなく、幾種類もの別々の色の糸で編まれたつづれ織りの模様だ。空を観て、色を編む。編み目と編み目のあいだにある緊張や、糸が支える負荷に、少年は思いだけを馳せる。人々の出会いや、事物の交換や、言葉のやりとりを通して、幾通りにも解釈可能な関係性のつづれ織りの複雑な模様が織られていく。それと同時にそこに糸を織り込んでいく手つきや、垂れた頭がその手元に落とす影や、もしくは上の空の視線が眺める時計や、どこかその近くでその時計と似たような時刻を示している別の時計が眺める下で、意図ではなく糸だけを織り込むことが出来ると信じて止まない針子の後ろ姿がある。
少年が少女の筋肉の緊張の要所を解きほぐした後も、少年が触れていた彼女のセーターのテクスチャーはそのまま残った。