20110227 - silence (on sunday)
「彼女」。
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自分の魂が物質でできているとしたらそれはどのような形をしているのかしら。
少女が問う。
そのような質問にはできれば答えたくないと答えたいところだが、ごく当たり前に言うならば自分の視界を見つめる目が見ているものがきっとそれだということになるけど、そっちが物質ではない可能性は余裕であるし、そのような言い方は教条的に響く危険があるから極力避けたいというのが正直なところだ。そんなことを無責任に言ってもいいのかというてらいくらいはやはりある。
少年が答える。
魂が記憶でできてるっていうのはどう。
少年と少年の言っていることを無視して少女が言う。
記憶が魂でできているとか。
女はそう付け加える。
記憶のなかの魂だって生きてるのよ。
女はさらにそう付け加える。
それを聞いた少年はこう考える。
ここで無粋だなと感じるのが無粋なのだかどうか考えるべきなのだろうな。それかまったく違うことをするか。
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逆編集を経て生まれた人は魂を持つのかしらね。たとえばわたしとか。
少女がそのような問いを立てる。まるで逆編集なんてことが可能なんていう口ぶりで。そしてこう続ける。
「彼女」だったらこういう場面できっとこういうことをいうんでしょ。
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少年は耳を疑わなかった。
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逆編集、誰かの何かに対する思い入れを取り払うことによりその何かの真の姿に触れた振りをめいめいが好き好きにするという無益な慣習、そのようなものが何年ものあいだ続いてきたのだけど、結局は思い入れを取り払うという行為自体の思い入れに抱かれ、そこに時代ごとの様式が生まれ、熱狂的であると同時に客観的であり、いつも対象は批評を必要としていて、解釈が生まれ、解釈で韻を踏んで、それで当たり前だと思うようになって、それぞれが好き好きに物語の文脈を読み解いて、それらを照らし合わせて、それに熱中して、同時にそこから自由になろうとして、まるで自分が熱中しているものから自由になりたいと思い続けるためにそれに熱中しているようにも見えて、そんなことをやっているあいだに、時間的にも空間的にも離散的に存在している、あらゆる物語の不変量である「彼女」という存在が観測されることに誰かが気付いた、そしてわたしは「彼女」である。そうでしょ。それがどれだけの乱暴かを誰も考えはしなかったのだなということは分かる。あんなに時間はあったのに。でもそのこと自体について話せているというのはいい兆候だと思うことにする。もちろん、「彼女」が弾き出されたからこそ、逆編集して、わたしに対して定まった照準というものが定義されるだけのことかも知れないけど。
少女はそう言う。
そして続ける。
その「彼女」が魂を持つのかという話し。というのはあまり重要ではなくて、たぶんわたしがこういう場面でこういうことを言えてしまうというのが問題なのだと思う。わたしは遠慮できない。おそらくわたしはわたしがそこに読み取られて来た全部の物語や音楽や映画や実際の体験や実際の人々の意味を書き換えるくらいのつもりでいるけど、そのつもりは、つもり貯金のつもりという意味であることが通じていることを祈ってる。
少年もそう祈ってる。
それ以外に何を祈っているのか知りたい。彼女は言う。
少年にはそれが疑問文なのか平叙文なのか分からなかった。
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女は自分を花粉症の持ち主であるように逆編集した誰かを恨んだ。間違ってもそいつのことを愛おしいとは思わなかった。逆に、自分が着ていたセーターをどこかの文脈から拝借してきた誰かには心の底から感謝したいと思っていた。感謝したいと思っているだけではなく、実際に感謝していた。それはオレンジ色のカシミアのセーターで胸部から背中にかけて薄紅色の菱形が並んでいた。女の肌を締め付けず、暖かかった。たとえば、いま一緒にいるこの少年がわたしのその部分をそのように逆編集した誰かだったら良いのに。と女は思うが、どうせそのことをわたしが思いついたからには、それは既に誰も見ることのできない映画としてわたしの髪の毛に含まれていることになるんだろうな。わたしがわたしの髪の毛に記録されている映画を一本でも見ることができたら、わたしはじぶんがなにをしていなくてもいいかを知ることはできるのに。しかも二つ同時に。