20110305 - silence (on saturday)
放心の中心。
★
少年は逆編集界では異端的な目で見られつつも、逆編集に関する主に情緒的な技能は完全にマスターした。情緒的な何かを完全にマスターできると見なしているところに逆編集の基本的な欠陥がある。
少年は必要とされる技能を身につけ、それを発動させたまま何千時間も過ごした。基礎を体にたたき込んだ。自分が先天的にそれを知っているのではないと意識しなくなるまで、逆編集の訓練を繰り返した。要は、物事のありのままの状態を取り返すために、そのありのままの状態を偽装する方法を探し続けた。という振りをし続けた。実際に何かを行いながら、それをしている振りを同時にする、というのが忘れてはならない逆編集の要点である。そのことにより、自己は経験に限りなく迫りながら、同時にその経験から遊離する。
★
何かをしている振りをしている振りをしている。人を実際に殴る振りをしている振りをしながら、実際に殴られている人がいて、殴られた人のほうではそれは殴られた振りではない。当然、本物の喧嘩に発展する。刃傷沙汰にまでなるかも知れない。人情話に落ち着くかも知れない。そこはどうでも構わない。
ただその場面で殴られた方が逆編集者で、自分が実際に殴られながらも、実際に殴られた振りをし続ける、ということは可能で、当然、本物の喧嘩をする振りをして、実際の喧嘩をして、どちらかが死ぬということもありえるし、死んでしまっては死んだふりはできないし、それどころかそもそも死んだ方はそれまで実は生きていたふりをしていたのではないかと、過失致死の罪を犯してしまったほうの逆編集者はちょっと近くの署までしょっぴかれながら考えていたりする。
★
そのような齟齬を目の当たりにしつつも、少年は逆編集の揺籃期を生き延びた。
そもそもある程度の情報を網羅しない限り、逆編集が必要とされることがない。少年は自分が逆編集を必要とするために、がむしゃらに情報を頭に詰め込み、積み込んだ。文脈の成員となり、それが連綿と続いてきたものであることを学んだ。
文化によって暮らしが搾取されているような気がしたのだ。正確にいうのならば、文化に纏わり付く参照や言及や、関連情報などを絡めながら、そこに含まれる要素を読み解いていく自分自身が持つ批評的な眼差しに嫌気がさしていた。
できることならば意味そのものになってしまいたい云々はほんの一時頭を掠めた妄言だったが、その発想によって始めることを促された、行為者としての自分が存在しない振りをしながら自分の行動の結果を自分で生きるというアクロバティックな存在の体操は続けていた。
逆編集の初歩に、放心の技術があり、放心していることに気付いたままその状態を保つというのが中級者を目指そうとしている逆編集者に求められる要件だと言う。
達人級の逆編集者は眠ったままでも逆編集が可能であるとされている。
真に熟睡したまま、眠った振りをしている自分に気づき、その放心状態を保ち、自分の睡眠という経験の純粋性を自身に対して証明できると超然とした態度を崩さずに話す達人を前にして、それは単に眠っているふりをしている明晰夢が見られるだけではないかとうつらうつらと考えながら、少年は自分が目を覚まして達人の話しを聞いている振りをしていた。そこは普通である。