nobody hurts

March 15, 2011

20110315 - silence (on tuesday)

意識の共感覚。



 少年と少女は何ヶ月も話し続けた。話し続けるために、食事をして、眠り、経験を受け入れ、そこに解釈を挟み込んで虚構を生成し、両面鏡ばりの外壁の内側で、それと同時に皮膚の外側で、頭を使おうとしていること自体が頭を使ってないことの現れではないかと疑ってもいたし、その疑いは根拠のない肯定によって成り立っているという見方を採用できるという意味では、これは全然悪い賭けには思えない。というような話しを続けた。悪い賭けでないように思えるというのはどのような機能的な欠陥だろうかと少年は訝った。賭け、なんて呼んでるだけでしょ、というのが彼女の言い分だった。



 言い方を変えれば物事は変わるというのが彼女の主張であるが、これはこの場では何かの言い方を変えるものではなく、単に段落の始まりである。言い方が物事であるという限りにおいてそれは正しい。草花が育つように育つ文章。細かな規則があり、それが意識に似た何かを生み出す。生み出された意識が規則を決定する。音律に意味を重ね、意識の共感覚を更新する。意識の共感覚を意識に還元しようとする。そこに生じる意識を彼女は意識する。どれを自意識と呼ぶかを彼女は思案する。そのことに気付いた彼女は、その声を他の多くの声と同様に却下する。
 そのように毎瞬ごとに手詰まりから生み出され、ということは格好だけは純粋な活路としての体裁を保ちつつ、つまり、全ての選択肢からただ一個だけを除いたものを手詰まりにすることにより、機能的に活路を生み出していると考えていると考えられながら、角度の違う空気の断層をまたいで自分の体が波打つように移動しているように感じている彼女は、柔らかな光りの確かさを疑うことは知らなかったが、夜を知っており、それと同様に、彼女が彼女であるためには十分に、つまり、彼女が「彼女」でないためには十分に、何でも知っていた。それではまるで「彼女」のようではないかと彼女は憤り、自分も結局は「彼女」を生み出すことに加担していることに後ろめたさを抱くこともあった。もちろんそのこと自体についても良心の呵責を感じることは忘れず、それは単なる自己憐憫ではないかと疑い始めたあたりで考えすぎだと決定する。



 言い方を変えれば、まだ言っていないことの言い方を変えることができないかと彼女は考えていた。純粋な活路およびそれ以外の手詰まりとして活動を続ける彼女にとっては、それは自由そのものではなくても、それは自由の意味であるように思えた。そして彼女が言いたいのはそのような事では全然なく、単にそれだけが現在の意味を規定するのだと彼女は常々思っていた。単に言葉の響きだけの問題であっても。それ以外のどのような意味であっても。それ以外のどのような意味でなくとも。
 それは自分はどのようなものを選ばないか、という未来に向けた回想であり、その未来のなかでは不思議と彼女生きているその現実の時間は可能性の一つに過ぎなくなっている。彼女にとってそのような可能性を秘めた現実だったということなら、問題は特にないとも言える。まだ選んでないことを選ばないことにより消えていくものと彼女は等価であり、同様に、すでに選ばなかったものを選ばなかったために消えていったものと彼女がちょうど釣り合っている。

category

archive