nobody hurts

March 22, 2011

20110322 - silence (on tuesday again)

温もりと温もりの地図。



 彼女は自分の思考の論理のなかでそのようにして生み出されては、精神の力で四散しようとして、肉体が始終それを阻んだ。ふと顔を上げるたびに現実の膜に適応し、瞬きを数えながら、町の思考の流れを彼女なりの動線で支えた。それは逆編集に対する彼女なりの無意識の抵抗かもしれなかった。ある程度論理的に一貫性を持った過去を捏造することによってそれは彼女のダミーとなり、真に自分がたどってきた成り行きにまで決して逆編集が辿りつくことがないように。それが逆編集によってもたらされる福音であるべきではないという思想が彼女がそれまで歩んできた道の骨子を支えるものだから。



 上記の逆編集以降の思考は、彼女が少年の狂気に調子を合わせてどうにかその場その場をやり過ごそうしている結果発生しているものなので、考え過ぎの可能性はいつでもある。きっとそれすらもが考え過ぎだ。それぞれが自分の正気を守ろうとしながら、同時に、それぞれ相手の狂気を擁護しようとしている。端的にいってこうだ。互いに捏造しあった可能性すらある互いの狂気を擁護し合っては、彼女は少年とお互い正気のまま了解に辿りつこうとしている。さまざまな経験のあとさきは、記憶に温もりと温もりの地図を残して、過去から未来まで一貫して存在している彼女の部分を暖める。まったく論理的ではないが、それが自分の同一性を保証すると彼女は判断することに決めた。



 逆の場合にも同じ規則が適用されなければならないことを彼女は知っていた。つまり髪の毛からつま先までを覆う寒さや怯えによって一貫して震えている部分が、彼女の過去から未来へと渡る同一性をその場その場の現在において保証するものであると。



 彼女はある場合では一貫して震えており、また、ある場合では一貫して温もりに安心していたりもする。いつか震えが収まるのではないかと希望を失わず、いつか温もりが過ぎるのではないかと危惧している。自分がそのような感情の容れ物であることを疎ましく思うこともあった。自分がそのような感情の容れ物であることを止めたいとも思わなかった。そのような理由から彼女はアンニュイであったが、それは彼女と少年の物語とは直接の関係を持たない。



 彼女は「彼女」を経由することにより自身のささやかな狂気との連絡を保ちながら、少年が持ち込んだ逆編集の現実と争っていた。争う必要があるからそうしているのであり、そうでなければ、彼女はたぶんそうしない。そうである限り、彼女はずっとそうする。



 少年が消えたら、「彼女」は消えてしまうのだろうか、と彼女は考える。「彼女」がいなくなれば、少年も消えてしまうのだろうか。またべつの物語のなかにいる「彼女」と少年が確認されるだけのことだろう。



 彼女は自分が少年と本当に出会いたいのか自問した。そのように自問することが必要だという前提に立って。それは彼女にしてはぎりぎりでアウトな選択なのだが、それが必要だという前提に立ってしまったのだからしょうがない。その前提に立つ必要があったのかどうかについては最早問うまい。出会うことがないまま、共に過ごす時間が流れていくのならば、それはそれで万事滞りなしということにならないだろうか、と彼女は考える。何を犠牲にして、何を犠牲にしようとしているのだろうか。どっちの場合に。とりあえずこっちの場合の彼女は、もしくは彼女が選んだこっちの場合においては、彼女はまだ何も諦めず、少年と出会おうとしている。そんなことをしている自分がどれほどのお人好しであるのか意識することはない。ただ彼女は思うのだ。誰かと誰かが出会えることが前提の物語ならば、本当に誰かと誰かが出会うことができるか試すだけの価値はあるんじゃないかと。それは彼女にとっての挑戦であり、強迫観念じみた拘束でもあった。もちろん、そんなことを試しているあいだに、人と人は間違いなく出会っているのだけど。そして彼女と誰かが本当に互い出会えたと納得出来ようができまいが、それとも勝手に出会ってしまおうが、彼女がそのことを試みたことに何かの意味があるのだと彼女は思うことにした。もしくはそのようにして彼女は少年と出会ってしまったことに納得しようとしている。なにはともあれ、それらのことを諦める、という選択肢があることを彼女が知っているのかどうかも少年は知らなかった。それ以外のことももちろん知らなかったのだが、それを列挙することは行われない。

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