nobody hurts

March 30, 2011

20110330 - silence (of two)

「あなたにとってはこれも思い出なんでしょ」



 こんどは彼女は少年の頬に手の平を重ねた。
 小さく冷たい手の平が気持ちよかった。少年は少し顔を動かして、彼女に応えようとするが、目線で会話するにとどめた。彼女は目線を逸らした。それから腕を下ろした。少年の息を手首のあたりに感じていたことを思い出すか、気付くかした。



 単にそのように遊んでいるのだろうと少年は納得することにした。
 もしくはそのようにして思考しているのかも知れない。
 少年は無限の空間のなかで話をそのように広げてみた。



 そのようにして彼女はここまでのはなしを思考したのだろうか。
 と少年は考えた。
 もしくは自分が彼女の動作を通してそのように思考しているのだろうか。とも。



 記憶が思考した結果生じているのが自分なのでは、と少年は考えた。
 もしくは記憶で思考したものを生きているのではないか。
 記憶以外のものを見てみたいと望むだけ望みながら。



 少年は彼女の手首から何の匂いもしなかったことを思い出していた。
 匂いのかわりに肌触りを備えているかのようだった。
 もしくは彼女の歩んできた荒々しい歴史の匂いが殆ど漂っていそうでもあった。



 あなたにとってはこれも思い出なんでしょ。
 と少年の記憶のなかで彼女が言っている。
 彼女はこれが今だと思っている。



 彼女はもう一度、今度は逆の腕を伸ばし、少年の頬に触れた。もう片方の掌よりもわずかに温かいように感じた。今度は少年は目を合わせるまえに目を逸らすということをやってみたが、彼女はそれを見ていなかった。
 彼女は少年のかたわらの携帯型音楽プレイヤーの液晶をのぞき込んで曲名を確認しようとしたが、いかんせん遠すぎたし、角度も悪かった。



 彼女は少年に曲名をたずねた。
 少年は彼女に曲名を教えた。
 彼女はもう腕を下ろしていた。



 彼女の掌には、少年の無精髭の感触が残っていた。
 それなので肌に触れたというよりはまったく無精髭に触れていたかのようだった。
 あるいは無精髭が肌なのかも知れない。もし何かコメントを求められたら少年はそう言うだろう。



 食前酒を食前酒って理由だけでずっと食前に飲み続けているみたいだ。
 食事に辿りつくことができない。そもそも食事に辿りつくことが目的なのかも分からない。
 そのような時間の過ごし方をするのは嫌だなと彼女は思っていた。



 そのような時間の流れ方でも別に構わないと少年は思っていた。
 経験に酔っているのか主観に酔っているのか分からない。
 少年はそう感じることもあった。



 彼女と少年はかすかな違和感を共有していた。
 通奏低音のようなもどかしさ。
 それは主に少年の手落ちだと彼女は理解していて、たとえそれが真実ではなくとも、少年が彼女に反論することはなかった。



 また、そのようなことがあったとしてもなかったとしても、彼女と少年は気にかけなかっただろう。
 共有されている部分については言葉にすることはないという暗黙の了解を、少年と彼女はすでに共有していた。
 少年と彼女は、そのことに関する無言の審議を行っていた。

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