20110403 - silence (another another)
閉じたまぶたを振るわす静けさ。
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音楽が止んでいた。少年は床にこぼしてしまった茶を拭き取るものを探そうと奮闘していたが、動きのひとつひとつがとにかく要領を得ず、致命的に不器用というわけではないが、的外れで、的を外す才能には充ち満ちているようだった。
彼女が布巾を持って居間に入った時、少年は自分がすわっていたクッションをつま先で動かして、それで床の濡れた部分をどうにかしようとしていた。彼女はきつい視線を少年に投げると、クッションを取り上げた。液体はカーペットとクッションにあらかたしみこんでしまったあとだった。
彼女は布四つに折りたたんだ布巾をぎゅっと押しつけるようにして、少年がこぼしたお茶の後片付けをした。音楽が止んだのは、少年の携帯型音楽プレーヤーが水没するなりして故障したのが原因だと彼女は思っていたが、少年が新たに曲を選び始めるのを見て、単にひとつのプレイリストの再生が終わっただけだと気付いた。
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音楽が止んでいた。それで静かだった。静か、というよりは、静けさが感じられた。喧しさも感じられたが、それは遠かった。
静けさというものが、空気の振動として伝わっているかのようだった。少年には、静けさというものが、まるで自分の体の一部の状態のように感じられた。鼓膜のかわりに、閉じたまぶたを震わせる静けさ。
静かな春だった。彼女の体が静かだった。所在なさげに立っている少年の前で、手際よく布巾で茶を拭き取っている彼女の体は、何も言っていなかった。目を閉じると、彼女の体が発する様々な静けさが少年には感じられるような気がした。
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音楽が止んでいた。彼女は台所でマグカップをゆすぐと、水気を払い、湯を注いだポットと共にふたたび居間に戻った。少年はまだ少し湿っているクッションを脇において、床に直接座っていた。
彼女は何杯目かのカモミールティーを淹れた。ポットの取っ手の感触と重みを指と手首で支えながら、さっき少年の頬に手を伸ばしたときに触れた無精髭の感触を彼女は思い出していた。特に油分の多そうな肌ではなかったが、何故だか少し不潔なものに触れたような気がしていた。
指先に触れた、まだらの、曖昧な固さを持った髭と、少年の肌から伝わった素直な体温を彼女は覚えていた。
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音楽が止んでいた。少年は新しいプレイリストを選ぼうとしていたが、しばらくは生の静寂に浸るのもいい考えかも知れない、と思った。
生の静寂、生の騒音、生の思い出。
携帯型音楽プレイヤーとアンプを繋ぐケーブルを外した方がいいだろうか、と少年は考えた。そうしたら、彼女に自分がしばらくは曲を選ぶ意志を伝えられるし、ひょっとしたら彼女のほうで何かかけたい曲があるかもしれない。彼女が選んだ静寂。もしくは彼女が選んだ曲間の無音状態の余韻に浸って、日常言語の間投詞のようなものとして、純粋な静けさというものを取り戻す契機になるかも知れない。もちろんそんな考えはいい加減なものだったし、そんなことを考えているあいだに、携帯型音楽プレイヤーからケーブルを抜くのを少年はすっかり忘れてしまった。