20111021 - a song - 4
六歳の春、上睫毛の長さがおよそ倍になった。
長くなったその睫毛を透かすとそれまでに見えなかったものが見えるようになった。突然の環境の変化に戸惑いはしたが六歳の子供だ。すぐに順応した。詳しい理屈などあるのかどうかも分からない。幻影なんてそのようなものだと子供心に納得し、今でもそのままだ。
それ以来あたしが見てきたものの大部分が幻影で、現実にあるものはその幻影を成り立たせるための書き割りとなった。
それで特に支障があるというわけでなし、豊かだと思える内面生活を送っているので人生に不満はない。
小学校からの帰り道に見たことのない花が咲いているのを見た。指で触れてその花弁のざらざらとした感触を確かめることはできるが、摘んでポケットにいれ家に帰り家族に見せる頃にはそれはごく有り触れたクローバーに変わっている。あたしはそのクローバーを母親から借りたコップに挿し、しばらく水道水で生けた。
夜空を見上げると本に載っていない星座が見えた。学校の図書室では司書さんの知らぬ本が見つかった。その本を開くと見たことのない文字が並びその読み方までもが分かった。巻末をみると「持出禁止」の判子が押されていた。動物占いを試してみて「人間」と出た。
現実が変化する、というよりは大抵の場合はそこに余分な情報が付加されるだけなので、それらの区別をつけることを怠らなければ日常生活を送る上で支障はなかった。何度も幻影の花に触れ、それを摘もうと試して失敗しながら、幻影として見えるものはその一瞬一瞬では静止していてそのあいだは自分の手で扱えるけども、それらをあたしが所有することはできないのだと理解した。
あたしは人並みに他の人と言葉や物のやりとりをして、あるいは人並みにそれにしくじりながらも、学校に通い、友達と遊び、知識や知恵を蓄えた。かたやあたしにしか見えない本を読み、あたしにしか観ることの出来ない映画を観た。そこで蓄えた知恵もある。
あたしにしか会えない人、というのはいない。自分を除けばの話だが、その逆だって言える。今もってあたしはあたしに会うことは出来ていない。それでいてあたしはせいぜいあたしにしか会えていない。これは敢えての悲観だ。
そこそこの成績で大学を卒業したあとは就職もせずにぶらぶらしながら、友人から回ってくる仕事をこなし、無為徒食とは言われない程度の働きをして自活してきた。本当はアパレル関係の仕事につきたかったのだが、中途半端な語学力で翻訳の仕事を引き受けているうちに二七になった。自分にしか見えないものとそうでないもの区別をつけることは出来たが、そんな人間に服飾の仕事が適当だとも思えない。
あたしの手は大体いつも暇を持て余し足はそれほど丈夫ではなく、山積する問題がいつも風に吹かれていた。
化粧をする時にはなるべく睫毛はいじらないようにしている。特にビューラーで睫毛をカールアップさせるというのは御法度だ。睫毛を通した世界を見たかった。
それでも、誰かがこの睫毛を切りに来る、そんな夢をたびたび見た。あたしの睫毛にハサミが入るところで目を覚ます。ようやく幻影から自由になったと思い、眠い目を擦ろうとした左の手の甲、親指の根元から手首にかけて細かな点の連なりが剥き出しの神経を描き、そこを流れる微弱な電流が非常な明るさで瞬いて、そのままそれは寝間着の袖口に流れ込む。
五歳の時に結膜炎にかかった時以来、眼科の世話になったことはない。現実のものを見る視力は悪くはない。幻影を見る視力はよくなるばかりだ。他の類の医者にもかかったことはない。
もともと目は大きい方だったので睫毛の手入れにはそれほど気を遣わずにすんだ。スクリューブラシで梳かして整えるくらいだ。あとは黒や透明のマスカラを使い分け、下向きの睫毛のアレンジを楽しむ。
樫は現実の書き割りとあたしの睫毛があたしに見せる幻影の両方にまたがっていた。
正確にいえば同じ樫が現実とあたしの幻覚の両方を行き来していた。
人間である樫は、時にあたしの睫毛を透かして樫の木に変わった。それでも樫は樫の木のまま話し、樫の木のまま眠ったりして、気が付くと人間の姿に戻っている。樫がそれに気付いているのかどうかは分からなかったが、樫があたしにとって特別な存在だということは考えもせずに分かった。