20111025 - a song - 8
それから知り合いのアンナという編集者からその原稿を受け取るまでの数時間は濁流だった。誰かの笑い声が書き文字の効果音として見えた。見たことのない生物がその場の状況からひねり出され、電車のなかを漂い、窓の外に出ようとして鏡につかえて透明に戻った。車内で見かける中吊り広告内の雑誌名や商標やロゴはすべて別のものに置き換わっていた。駅の名前が別のものに置き換わるということはなかった。
ロングカーディガンの右ポケットからケーブルが延び途中で二本に分かれた先でイヤホンがあたしの両耳に挿さっている。スニーカーの踵は踏んだままだ。
電車を降り人混みの中を歩き始める。焦点を変えて目まぐるしさを自分で定め、体の動きをそれに合わせて調節する。例えば漠然と人混みという言葉に焦点を合わせて、その目まぐるしさを意識して動く。頭のなかに地図が入っているのならば駅の構内や駅近くの繁華街を人混みにのって自分の歩みをクルーズコントロールするのは簡単だ。人を避ける注意力と道を譲る方向の選択、なるだけスムースに、それだけを即興で行いながら、人の残した動線の記憶の内側から夜の街を見て、あたしの人生の感想や文脈の外側でこれは一体どんなものだろうと考える。
「これなんだけど」
あたしが辿り着いた先でアンナは言う。A4サイズのルーズリーフの表裏にびっしりと英文が筆記体で手書きされている。百枚くらいだろうと目算をつける。確認して中味を封筒に戻す。
なるべく早くでお願いね。
「これですか」
と後で自室に戻ったあたしは意味もなく口にしてみる。それから夜間の作業に備えて珈琲を淹れる。
原稿を受け取った後、アンナが机ひとつ分の空間を間借りしている事務所で珈琲を飲みながらしばらく話し込む。あたしはアンナの編成する書籍制作チームで翻訳や英語での渉外を担当している。
アンナはこの前のパターン集の入稿の打ち上げで訪れたバーで出会った男と付き合い始めたと言う。
それからそれぞれ自分の主観について一通りのろけた後あたしはオフィスを後にする。
帰り道、コンビニでモンブランを買う。部屋に戻り一息ついて珈琲豆を切らしていることに気付き自転車に乗って最寄りのスーパーまで出掛ける。午後十一時の閉店にぎりぎり間に合った。再度自室に戻り、鞄から原稿の入った封筒を取り出し一言呟いてから珈琲を淹れ、ノートパソコンは閉じたままようやくモンブランにありつく。
公営住宅に越して来て何回目の秋だろうかと考える。五回目、いや六回目、もし重複しているのならどの年を重複して数えているのだろうか。あたしが二十四になったあの年だろうか。それともあたしが二十五になったあの年だろうか。それともそこにはなかった年を勝手に付け加えているだけだろうか。あるいはそんなに深刻な内実はなく、単に表に浮かび上がる数字が違っているだけか。
深夜過ぎに仕事を始めた三十分後に樫が現れて一杯やろうと言い出す。
あたしの部屋は二階で樫の部屋は四階だ。瓶ビールを二本、指に挟んでいる。仕事を切り上げてきたのだろう。手にインクがついたままだ。
あたしがここに越してきてから何回目の秋だっけね。
唐突にそう問いかけてみる。
「それ去年も言ってたよ」
と言いつつ部屋のなかに入ってくる。瓶を一本受け取り、乾杯の振りをする。
じゃあ去年は何度目の秋だったんだろうね。
さあね。
それから何度目の秋か定まらないのは、どれか特定の年を無意識的に重複して数えているせいか、それとも表に現れる数字が違うせいなのか、ということを話してみた。重複して数えているのは何故か。それとも一日単位で重複して数えている日が幾つも散らばって毎年あり、それが溜まって一年分の余分な感慨となり目の前でわだかまったような気持ちになっているのか。それとも一日や一週間の特定の時間を重複して噛みしめる習慣をいつしかあたしたちは身につけ、そんな時間がたまりにたまって一年分になっているとか。
「だから人がどうやって今という時間を共有しているのかが分からない」
「共有されているのは今っていう時間じゃなくて言葉の方だろ」
樫が答える。
「そのせいで言葉を嫌いになることはない?」