20111029 - a song - 12
自分がいる時だけこの部屋は都会の一部でなくなり、自分のいない時のこの部屋は都会の一部となる。あたしはこの部屋をこの部屋以外のどこかで見たことがある。フローリングの床は自分で八畳分の畳を剝がし細長い板材を敷き詰めて作った。剝がした畳を積み重ねたものにタオルケットとクロスを巻いたものをマットレスとしている。その上に分厚い布団のマットを敷いてベッドと呼んでいる。あたしはこの部屋が定まった形を持っていることを何故か感謝している。その何故かというのをあたしはこの物語のなかで順を追って遠回りに説明しようとしている。
その日未明の散歩中に考えていた通りあたしはこれまであたしが見聞きしてきたもののパッチワークだ。あたしは精神や記憶を物質のようなものとして考えてきた。それは自分の体の一部ではなく、外に存在し触ろうと思えば触れるものだと考えていた。あたしが睫毛が見せる幻影に手を触れることができたという事実がそれを助長した。事実としてあたしの記憶はあたしの体の形をしてそこにある。
記憶でもなんでもいいからともかく目の前の仕事に取りかかるという記憶にすることにして机に向かう。手書きの英文の読解は内容の複雑さもさることながらそれが筆記体で書かれているということが一番の難関となった。読解よりも解読に時間が掛かった。自分の訳文を見てみて意味が通じているようないないような日本語がそこにあるのだが、それは原文がそのような文章なのだろうと考えて翻訳を進める。この時点ではまだその原稿の妙な箇所には気付いていない。
いつもと同じようにあたしはノートパソコンに向かいその半分の時間は動きのなかで眠っている。残りは静止のなかで起きている。仕事は順調に進む。途中で果物を剥いて食べた。いつもと同じだ。でもそのいつもと同じという感情をいつ感じ始めたのかは覚えていないが、それはまだ知らない感情やまだ見聞きしたことのない出来事から成っている。
あたしは空白によりそのように取り扱われている。そのような自分を扱うことによってあたしは空白に触れようとしている。
午睡から目を覚ます。夕食にしても良い時間だが空腹感がない。映画でも見に行こうかと身支度を調える。冷気の心地よい夜で、景色の質感で冬が近いことが分かった。街灯の下、街は商業の軒を連ねながら歩道を挟んで街路樹が建ち並び、そこに茂る葉が車道を覆っている。風が電灯から電灯を渡る。冬にはその仕組みの骨子が浮かんでいそうな気がする。乾燥した空気を透かして鮮明になった歩道からの景色が、車道に被さる街路樹とそれを内側から照らす街灯の列になる。
駅近くの映画館で次に上映が開始される映画のチケットを買う。
睫毛は映画の字幕を使って話しかけてくる。睫毛の言葉と映画の字幕としてスクリーンに映写されているものの区別は付けることができるし、その両方を同時に見ることができる。
「久しぶりね。元気そう」
と睫毛は字幕を使ってあたしに話しかけてくる。
その時には実際には、
「2009年シアトルで起きた
あの事件については」
と映写されている。
次の、
「話したいことが沢山ある」
は冒頭の俳優のナレーションの字幕をそのまま使う。
そのようにしてあたしは自分の睫毛と会話をする。