20111101 - a song - 15
散歩中に耳が利かなくなることがある。それはいつもイヤホンの空白の内側に逃げ込んでいる弊害なのだろうけど、鼓膜を叩く空気の振動に現実感がなくそこから震動を取り払った真っさらな空気の感触ばかりを計り直している。聞こえなくなった耳はそれでも喧噪を感じてはいて、周囲で音が鳴っているということをあたしに伝えてくれる。雑踏の中ならば賑わっているということを教えてくれる。あたしの反応のなさがそれに対して応答している。
「ふうん」
ここでしかないどこかへ、などと言われて落ち着かぬだけの気分になったので、そのように自分の考えをただ言葉にしてみる。言葉の上だと何かがねじれて、何かがふと空白に触れるように感じることがある。そして、その領域は空白とは呼ばれるべきではないのだろうなと思う。いつかの晩にあたしが樫に話していた通り、それは自らを語ることによって自分を埋めていく余白をただ定めるだけの作業なのだろうなと思う。理解されることによって自らを塗りつぶすように動く空白の、真冬の機械。
あたしも樫にならって缶珈琲を一本買う。スタジャンを着て開栓していない無糖の缶珈琲を持つあたしが街灯の真下からすこしずれた所に立っている。真夜中の街道で不意に現れた坂道、坂道はその下の歩道から少し角度をずらして垂直に切り立ち、ガードレールから垂れる蔦がその坂の存在を何となく隠している。あたしがその坂道の傾斜が始まったばかりの地点に立つ背後には夜とガードレールと蔦がバランスよく配置されている。もし三者的に見たそのような瞬間だけが記憶に残っているのだとしたらその前後にある何と何を何が繋ぐのだろうか。ファッション雑誌の撮影みたく現場の設営があり、電源が確保され、照明が設置され、露出が調整され、シャッターが押されて画像データが記録される。そして何故かモデルを演じているあたしが立っている場面だけがそこにある場合、その前後で想像される光景は何なのだろうか。誌面に収められた写真のなかでそのまま過ぎていく日常、もしくは撮影クルーの撤収シーン、どちらが現実と地続きなのだろうか。
単調な街道を抜け商店街を経てある駅前に出る。改札はシャッターで閉ざされ、駅前のロータリーに辛うじて一台止まっているタクシーの運転手は仮眠中だ。いつのまにかそうして駅から駅を辿ることがその夜の習慣になったらしい。駅名を表示する照明の明るさだけを意識しながら歩いた。同時に他の喧しさや眩しさに見とれながら、ただきりがないということだけが歴然としていて、現にそこに開いている店の名前ひとつとってみても敢えて立ち入ろうなんて気に到底ならない、個人的な規模の時刻。
環状線沿いの繁華街に向けて歩きながら途中で他の路線の駅に立ち寄って、それなりの距離を歩く。トレーナー一枚で出歩いていたのが、今はその上にスタジャンを羽織り、それでも寒いと感じている。主に屋内で過ごす身だが、年を追う毎に冬は長くなる。去年の冬はもっと厳しかったと自分を慰めることのないよう、ただそれだけのために。
それとは関係無しにその夜の空気は冷たかった。
「そこではないどこかへ」
「そこでもないどこかへ」
時折何かを思いつく代わりに言葉が交わされる。