20111107 - a song - 21
翻訳原稿に含まれる空白の箇所も厳然たる空白であることはなく、修正ペンで消してある箇所もあれば、インク用の消しゴムで消したと思しき箇所もある。
その痕跡にあたしの睫毛は何の手も加えられていないさらのルーズリーフの紙面を見て、そこに前後と同じ筆跡で英単語が記されているのを幻視する。あたしが無意識的に前後の文脈から意味を補完して読んでいるという可能性もある。睫毛はそれを見えるようにしているだけだ。
睫毛が映画の字幕を使ってあたしに話しかけてくるように、睫毛が文字を勝手に置き換える。本に連ねられた単語の幾つかを置き換えて、あたしの睫毛があたしに話しかけてくる。その場合は置き換えられた単語の下に何が書かれているかは分かるので特に問題はなかったが、小学生の頃から字幕のついた映画の鑑賞や読書というのはあたしにとってはそのような経験だった。睫毛があたしに見せようとしているものを見る。そして睫毛はあたしの無意識を無意識のうちに反映して見せるものだ。つまりあたしは自分が見たいと思っているものを見る。それは他の人のやっている事と変わらない。
何も映っていないブラウン管や液晶のモニターで突然本編の放映が始まることがあれば、ノートパソコンのデスクトップに見知らぬフォルダがあり、そのアイコンやそのフォルダに含まれるファイルまで含めて丸ごと幻影で、そこに現実のマウスポインタを合わせてダブルクリックをすると幻影のウィンドウが開き、さらに何回かクリックを繰り返すと幻影の映像ファイルなり幻影のテキストなりが開かれる。
その原稿自体がそもそも自分の睫毛が生み出した幻影だと疑ってみたが、そのルーズリーフの束をどのように持ち替えて角度を変えて眺めてみてもそれは当たり前に存在し得る英文の翻訳原稿だった。筆記体の解読に難儀していたものの、翻訳は中盤まではつつがなく進んだ。
途中から空白の箇所に自分の幻影である文字が見え始めることに気がついた。初めの虫食いを埋める文字は”of”と言う単語をつつましやかに成していた。
何故そこで”of”という単語が選択されたのかは分からない。
原文は、
“So tired from the sleepless nights (of) the city.”
「街の眠られぬ夜に困憊して」
という文言なのだが、そこは”of”ではなく”on”でも”off”でも意味が通る。
それが“on”である場合は、訳意は変わらず、
「街での眠られぬ夜に困憊して」
になるし、
“off”である場合は、
「街から取り外された眠られぬ夜に困憊して」
と、あたしならそのように訳すだろう。
そこまで訳したところで自分が全き単語の幻影を訳したことに気付き、息を止めてページをめくってみるとそのような箇所が増えていくことに気付いたところで樫があたしの部屋を訪れ、あたしたちは夜歩きに出掛け、その始発に乗って散歩から帰り、熟睡し、目を覚まし、珈琲を飲みながら、今は「街の眠られぬ夜に困憊して」という昨晩までに辿り着いた訳文に末尾に手を加えようかどうかあたしが考えている証拠に画面上でカーソルが点滅しているところだ。