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      <title>nobodyhurts</title>
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      <description>
★

(a + b + c)

(a) = anonymous daze
(b) = binary soup
(c) = careful mistakes</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2011</copyright>
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            <item>
         <title>20111114  - a song - 28</title>
         <description><![CDATA[<p>　さて、一眠りする時間がやってくる。<br />
　ほんの一時間ばかりの短い睡眠だ。<br />
　眠ったうちに入らないくらいの。<br />
　それでも睫毛を切り落とされるいつもの夢がやってくる。<br />
　目を覚ます。<br />
　いつもより長くゆっくりとした夜歩きに備え、あたしは時間をかけて身支度を整えることにする。終電を逃せば歩けばいい。まだ乾ききっていない髪の毛を束ねて上げて帽子で押さえる。もうすぐ秋も終わる。<br />
　姿見のなかで外装を整える。<br />
　その時は自分の体の動きに焦点を合わせる。<br />
　そして、自分にとってすでにそこにあるものを代表して、それとも、まだそこにないものを代表して、あたしは速さを惰性に変え、自分の体内の仕組みのなかで複雑に入り組んだ角を曲がり切ることにだけ専心して鏡の中で体を動かす。<br />
　体を動かしながらも、たぶん複雑に入り組んだその角を曲がり損ねた部分が外側にはあたしとして見えているのだろうなと思う。自分をそのように定義すれば自分のなかの慌ただしい活動がほんの束の間整理される、その模様が言葉として起こされる。<br />
　少し眠り疲れも取れたが、眠りの分だけ疲れが溜まる。<br />
　それが絶対に発散されることのない力の正体だろうか。これまでに眠ってしまった分の疲れ。それを癒すために起きている時間の大半を使う。眠っているあいだには時間しか流れているものがなくて、眠りは死に似ているから。<br />
　あたしはそれを解決しようと夜歩きに出掛けて、それ以上の問題を抱えて帰宅することになると分かっている。<br />
　そう考えるとそうとしか思えないが、だからと言って何なんだとしか思えない。<br />
　そしてあたしはいつか誰かがその正当な理由を耳打ちしてくれると思っていたが、どうやらそんなことは起こりそうもないので、あたしはその理由をいつか誰かに勝手に耳打ちすることに決めた。<br />
　それがいつどこでかのことは分からないが、それはいつの時点でも起こっていないし、いつの時点でもずっと必ず起こりうる。気分的にはその可能性を軸に回る自分の現実の舵をあたしは取る。<br />
　あくまで気分的には、ということなので傍目にはあたしはただの趣味人に見えることだろうが、似たようなもんはそこかしこに存在するのだとあたしは勝手に思っている。<br />
　そうしてカーブを曲がり損ねた部分が人目に触れて、あたしたちは進路を調整する。他の人が曲がり損ねたカーブをどうにか後付けで自分が曲がれるとでもいうかのように、いつも自分を信じている。<br />
　そしてそれは他の人が本来そのカーブを曲がり切ることが可能だったと信じているからそうするのだ。そうしてまたカーブを曲がり損ねる。<br />
　あたしがどこかの仕組みのなかでカーブを曲がり損ねた結果、巻いたストールがほどけて床に落ちる。そしてそれは単にあたしの睫毛の外側での出来事だ。あたしの主観から取り外せないはずのそれを、出来事として取り外して考える。自分の部屋で自分ひとりでいるときにだけあたしはそれを行うことができる。<br />
　それから内側から扉をくぐり人間の姿に戻ったあたしは、四階まで昇り樫に声をかける。</p>

<p>　　　（了）</p>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 14 Nov 2011 00:32:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111113 - a song - 27</title>
         <description><![CDATA[<p>　一枚の絵があり、それは都会から見上げた夜空と星々を描いたもののようにも、あるいはそれは夜空から見下ろした都会の灯りのようにも見える。<br />
　別に待たれてる筈はないのだがこの街の夜自体に待たれている気がして表に飛び出していた時期があり、それは今でも雨が降る時のように起こる。絶対に発散させることのできない否応のない力があり、それを使い果たそうといつも頭を使おうとしている。それかその逆か。<br />
　流しも綺麗になり生きる希望が沸く。次は風呂場だとか山積する問題はいつも風に吹かれているのだが、そのような埋めるべき余白がいつでもあるのはいいことだと思うことにする。だから空白に取り囲まれている今の暮らしを前向きに捉えることができる。その空白が何の余白かあたしは割り出せばいい。これが何の余白であったかをあたしは割り出さなければならない。そのための時間などはなく他のことをしながらでも。それが現在というものにいつも付きものだったと分かりつつ。<br />
　睫毛用のタオルがかなり溜まっているのでそれも手洗いすることにする。他の洗濯も一緒にやってしまうことにする。そうして夕飯前の時間が何となく忙しく過ぎ去っていく。内容は分からないけれども、何かの過程のその途中を過ごす。<br />
　洗濯にかなり時間が取られる。<br />
　手洗いの洗濯物を脱水にかけ終わったのが九時五十分くらいで、夕飯を食べ終えたのは十時二十分、あともう少ししたら一眠りしなければならない。その後に夜歩きだ。<br />
　自分の睫毛が昨晩の映画の字幕を通して語った予言を充足させるためにあたしはそうしようとしている。仕事はなるべく急ぐが、他のことはゆっくりすることに決めている。<br />
　あたしがこの後で取る午睡のなかで再び誰かに睫毛を切られる夢を見るとあたしは知っている。そう予言されているわけではなく、ただそうだと分かる。<br />
　鼻歌を歌いながら立ち上がり皿を流しに置く。それから自分に鼻歌を歌うという機能が備わっていたことを思い出して動揺する。それはしばしば起こることだが、日常に驚きがあるというのはとてもいい。鼻歌を歌っていない時は単に鼻歌を歌っていないだけだ。譫言なら始終漏らしているし自分のなかで採算は取れている。<br />
　睡眠を取る前にシャワーを浴びる。灯りを落としたまま浴槽に踏み込み、シャワーヘッドから落ちる水が睫毛に触れて束の間光るのを見る。<br />
　見覚えがあるのではなく、記憶にある何かの光景を見忘れたと感じることはできるのだろうかと考える。それもいつもの話なのだろう。自分が実際に見た物が見忘れたもので、他のすべてのものは見覚えがある。だから実際に見た物しか意味がない場合もあるだろう。あたしはそのようにして自分を納得させる。<br />
　タオルを頭に巻き、椅子に座り、ノートパソコンを閉じて、冷めた珈琲を飲む。これから眠ろうというのに珈琲を飲んでいるのだから不注意にも程があるが、これはあたしの習性だ。<br />
　睫毛が一本落ちて珈琲カップに落ちるが何も起こらない。<br />
　そのような幻影を見ることもきっとあるのだろう。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sun, 13 Nov 2011 00:00:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111112 - a song - 26</title>
         <description><![CDATA[<p>　そして都会の空白をあたしの睫毛が勝手に埋めていく。<br />
　完成していないものをあたしが勝手に完成させていく。<br />
　これがあたしの行き着いた先でありここが出発点だ。<br />
　多分あたしの課題は睫毛の見ているものを取り払うことではなく、睫毛が見ているものを理解することだ。孤独を憎むことは他のすべてを憎むことだ。他の人の孤独を含めて。<br />
　他の人の孤独に対して積極的な感情を向けることはできなくとも、自分にあるものを対処することによりどこかで何かが交わるかもしれない。<br />
　空っぽの理解を示すことをあたしは本当は憎んでいる。知った振りして頷くことをあたしは憎んでいる。何かの同意や反応を示す時、自分が何について頷いているのか分かっていないというのは気味が悪いことだ。だからこの気持ちは一生つきまとうのだと思う。<br />
　その場その場の感情のなかだけではなく、状況の流れの中にも人は生きている。自分が対処できるのは流れの方だけだという気持ちが強くある。それでいてその場その場の感情をしか何となくあたしは受け取れない。そこで矛盾が生じている。それを都会のコントラストと呼びたければ呼んでもいいけど、こちらにとっては感情の死活問題だ。<br />
　そんな思いも流れの中でしか対処できない。<br />
　だからこそ悲観はできないのだけど。<br />
　物語の冒頭近くの始発電車のなか、蛍光灯の明かりに均されていた空の色の微細な変化のように、その変化を時間の大まかな経過のなかで捉えて外の状態の前後を確認する。<br />
　あるいはいつかの自室でカーテンを壁から浮かせていた日光がランプシェードを通した明かりを均そうとしていた時のように、真夜中の自室に灯っていたそのランプの色を忘れまいとする。<br />
　あたしに対処できるのは前者のほうで、あたしが覚えていたいのは後者のほうだ。<br />
　あたしが印象として操作できるのは後者のほうで、あたしが本当に忘れていくのは前者のほうだ。<br />
　単にそのような個人的なコントラストのなかにこの都会があるだけで、都会のコントラストなんていう気障な言い方のなかには殆ど何もない。せいぜいあたしくらいしかない。そしてあたしはその明暗のコントラストを掻き分けて何かを掴もうとして、結局は繁華街へ向かう切符ぐらいしか購うことができない。<br />
　そして辿り着いた街の真ん中でしばらく馬鹿面を下げたあと、また自室に戻る。ひとりの時間が待っている。それでも自分の孤独を理解するには足りない。<br />
　あたしが遠回りにでも他の誰かの孤独を理解しようとするためには、こうして話し続けることくらいしか方法がない。<br />
　午後九時少し前にさっき立ち上がった時に淹れた珈琲をのろのろと飲み終わる。そろそろその日の二食目を用意する時間だ。<br />
　さっき流しに放ったままの皿とフォークとフライパンを洗う。一食目と同じメニューですますことにする。ついでに流しに溜まったコーヒーカップを洗う。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 12 Nov 2011 00:33:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111111 - a song - 25</title>
         <description><![CDATA[<p>　日はとっくに落ちていて時に冷蔵庫のモーターが鳴る。まだ仕事の区切りを付けるのには早い。午後四時に起き、いまは午後七時でその日の二食目をとる時間ではなかった。その日の一食目は楽をしたい時はいつもそうする通りB&B形式の軽食で済ませた。皿とフォークとフライパンは流しに放りっぱなしになっている。小食なうえに食事を摂ることを忘れがちなので洗い物はそれほどたまらない。コーヒーカップは無駄に幾つも持っていて、洗い物を怠るので乾燥した珈琲が底にこびりついた陶器や磁器が涸れたステンレスの水槽に溜まる。<br />
　立ち上がるのが面倒な時にはカップを流しに向けて放りたくなる。<br />
　休憩がてら珈琲を淹れることにして、湯が沸くのを待ちながらキッチンが見える位置からこちらを目にやる姿見の中の自分に目をやる。襟首の伸びきった部屋着のTシャツに睫毛が勝手に模様を浮かべている。現実の定義にもよるが超現実的と呼んでもいい。それともそれは超現実的のほうの定義だけで収まるのだろうか。一枚のコインの裏表だがコインは固定されていて、表裏を見るためにはいちいちその回りを歩かなければならない。<br />
　もとより服を着ることには現実に超現実的なものを描き足す用途が多分にある。それを現実と呼んでいるのだから境目など初めからあってないようなものだ。<br />
　あたしが服飾に興味を持ったのもそのような理由もあるのだと思う。誰かが着ている無地のシャツに睫毛があたしの無意識を映し出す。大抵はそこには洋服のパターンと呼んで差し支えのないものが浮かぶ。最近ではそれをスケッチもしなくなったが。<br />
　そして服を着るという行為や、他の身体的な装飾の行為は、あたしの睫毛が外側にあるようなもので、好みと創意次第で大体好きなものを見せることができる。こう水を向ければこれはどこまでも適用することができる話だ。そしてともあれそうすることによって生じるものが現実の範疇におさまるとされていることが重要なのだとあたしは思う。<br />
　湯が沸く。<br />
　あたしはあたしの睫毛の持つ作用についてもう一度考える。<br />
　あたしの睫毛はあたしの無意識を視覚化して現実に重ねる。<br />
　あたしは自分の無意識のその過剰な部分を視覚から除去することができる。<br />
　その括弧付きの現実にしたって何らかの拘束のもと自由に執り行われている。時に応じてある程度は柔軟であることができるという裏返しの拘束により。そうして目に見える形での誰かの妄想に日々触れているが、それについてはこれまでもこれからも実は話し合う暇すらろくにない。<br />
　固定された睫毛の働きを外側に持ち出すような日常の営為により現実の領域を広げることは可能で、あたしは翻訳という作業を通して英文から和文を割り出し、それをほとんど誰にも顧みられることのない片隅で進行させる。何かを付け足す、という言い方は余り正確ではないと思える。<br />
　あたし自身は現実の部分でも全体の一部を不可分に成すものでもなく、部分か全体の一部を不可分に成すなにものかのなかでの範囲を定める定義の組み合わせにより成り立っている。あたしは現実に生えた睫毛だ。<br />
　自分に被さるそのような定義をあたしが憎んでいるということは話した。<br />
　珈琲を机に、あたしは持ち帰る。<br />
　関係の圧力のなかで自分を内側から押し返し自分は自分であると主張している力。<br />
　それを裏返しにしてそっと外側へと向ける。<br />
　今は姿見を見ているからそれが自分に返ってくる。<br />
　姿見のなかのあたしがモニターに視線を戻すのをあたしは興味深げに見ている。<br />
　睫毛を挟んでのことなので、姿見のなかで作業を続ける自分と珈琲を飲みながらそれを見ている自分の関係が逆になることはない。<br />
　それからあたしはモニターに視線を戻す。</p>]]></description>
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         <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 00:52:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111110 - a song - 24</title>
         <description><![CDATA[<p>　前にも話した通りあたしは都会を記そうと試みて幾度も挫折している。<br />
　改めて頭を整理してみて都会をあたしに印象づけているのはコントラストだ。何かと何かの対比。<br />
　そこにあるものとそこにないもの。闇と光り。闇夜に浮かぶ星。夜闇を照らす街灯。あるいは星と星空。ビルとビル群、人と人々。糸口の切り口と口を切った糸口の導く道。時間と経過、記憶と時刻、散歩と昼寝、掃除と炊事。都会の暮らしはそのようなコントラストのなかで過ぎていく。それらのコントラストが記憶されその夕方のあたしが住んでいるこの街があたしによりまたもや空想されている。地名や駅名や角の名前では捉えきれないものをあたしは漠然とした一般的なものとして思い浮かべる。多様さを求めているせいで怠惰になっていると言い訳しているが、その怠惰な認識に対して真摯に立ち望もうとしているのだからわれながらふざけていると思う。<br />
　白夜と白昼。複数の何かがいつかどこかで歪んでいるそんなコントラストを持ち出すことも出来る。威張ることではないがあたしのように昼夜逆転した生活を送っているものにとってみれば昼の時間は白夜のようなものだ。そこにもコントラストが生じている。言うまでもなく、あたしがそのように考えているそのせいで。<br />
　あたしはずっと同じ事を考えてきた。<br />
　そのように物事を捉えることを幼稚だとか感傷的だとか非現実的だと一笑に付すことはきっと容易い。あたしはそのような領分を越えて話すことだけをずっと考えてきた。話の内容がそれに付随するものでしかないときもある。それでも新しい領分では新しい技術が育つ。<br />
　今はまだ伝達可能な信号の種類は限られていても十分な複雑さを生むに足るTPOはばらけてそこにある。もし例え単純なオンかオフの信号しか送れなくとも、人が違えば仕組みが違うので、それが独善的な主義主張を助長するものになるとは思えない。もしそれがそうだというのならば、今までにあたしたちが話してきたすべてのことがそうだということになる。調整に必要な細かなカーブを処理しつつ、何かをひとまたぎにする。<br />
　コミュニケーションというお題目を扱うのにそれでは余りに大雑把であるという思いもある。<br />
　けれども翻訳というあたしの職能ひとつとってみても、文章の解釈があり、訳語の選択があり、それが和文でのニュアンスを生み出し、そのニュアンスを留めておくために前後を整理しながら字数で音数を調える。呼吸をあたしは処理している。意味を通して。<br />
　あ・うん、が繋いでしまっているものの得体を知るために同じ言語のなかで翻訳を繰り返し、辞書のなかを何遍も回ってしまっている。なので、あ・うんで済んでいる。辞書が違うことは強みでしかない。希望よりももっと力強いものがあるとあたしはそう思っている。<br />
　都会を記そうというあたしの試みは結局はあるものとないものの違いを話すだけの試みでしかないと思うことがある。<br />
　翻訳の作業に行き詰まり珈琲をすすりながらあたしは部屋を見渡す。<br />
　この部屋にありあたしが理解が及ぶ全てのものは失われたもので、残りはここにないか、あたしがそれについて分かっていないかのどちらかだ。あたしが目にして理解するものごとのひとつひとつをあたしはこれまでもそして今もとりこぼしている。どこかの都会にある部屋の一サンプルとしてその意味合いを理解できる範囲においては、この部屋にある全てのものはあたしの仕事ではなかった。そしてあたしの理解などたかが知れている。そのことに対する理解すら危うい。そしてあたしの誤解は計り知れない。</p>]]></description>
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         <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 00:18:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111109 - a song - 23</title>
         <description><![CDATA[<p>　アンナはあたしに原稿を渡す前に確認をしなかったのだろうか。普段アンナから回ってくる仕事は文化の形象にまつわる英文の記事やインタビューの翻訳や、それか対訳付きの年鑑の和文英訳であることが多かった。普段とは仕事の性質が違ったが、ちょうど前の書籍を入稿したばかりで凪の時期だったし、払いも良かったので仕事を断る理由はなかった。<br />
　漠然とした疲れを好むとは言っても、作業中の自分の打鍵音を聞くのが嫌いではないということに気付いた。その夕方は自分がノートパソコンのキーボードを叩くペースに焦点を合わせて活動した。<br />
　十本の指でパーカッションを叩くみたいに鍵盤を打つ。<br />
　画面上の言葉がその音に被さる。実際にはローマ字かな変換を採用しているので、打鍵の数と画面上に現れる文字の数は一致しないのだけれども。<br />
　自分の訳文が気に入らず、デリートキーを押す時に一番趣を感じる。普通の文章を打つ際には打鍵のリズムは散らばってまちまちなのだけど、デリートキーを押すリズムはいつも一定で、あたしは消したい文字数だけデリートキーに触れる。迷路で間違えた道を選んだことに気づき、来た道を猫背でとぼとぼと引き返すみたく、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とそのキーに触れる。<br />
　こんな虫食いの文章が出てきた。<br />
 　“And sometime a day will go by quietly at that house (o’) altitude”<br />
　明らかにあたしの睫毛は間違えた単語の選択をしている。<br />
　あたしが見えている通りに訳せば、<br />
　「そしていつか一日はその家で静かに過ぎ去るだろう、おお深遠なるかな」<br />
　になるが、<br />
　実際は、<br />
　“And sometime a day will go by quietly at the house (of) altitude”<br />
　「そしていつか一日が高台にあるその家で静かに過ぎるだろう」<br />
　と言う文章の方が自然だ。<br />
　とは言え”o’”を”of”を省略したものと捉えることもできる。<br />
　すでに自分が失われたものに囲まれて暮らしているとしたら、この目の前にあり、あたしの睫毛により空白を補完されている原稿は一体何なのだろうか。<br />
　その原稿の筆者は単語を削り自分の原稿を途切れ途切れの文脈は持つが未完成である状態に戻した。意味が意味に縛られることがないように。そのように想像してみる。<br />
　そしてあたしの目の前にあるのは完成されていないが故に理解の及ばない都会の姿であるはずなのに、あたしの睫毛がその欠けた部位を補い、既にあたしが知っている意味にあてはめて読んでしまっている。<br />
　睫毛を一本抜いてみる。<br />
　睫毛を抜いた感触はある。<br />
　けれども親指と人差し指のあいだに挟まっているはずの睫毛はそこにない。<br />
　睫毛がそう見せているのだ。<br />
　と諦念半分自嘲半分の気持ちでいたら、腿の上に落ちている睫毛を一本見つけて何だか馬鹿らしくなる。</p>]]></description>
         <link>http://nobodyhurts.com/Archive/000503.html</link>
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         <pubDate>Wed, 09 Nov 2011 00:29:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111108 - a song - 22</title>
         <description><![CDATA[<p>　“So tired from the sleepless nights off the city”。<br />
　カーソルの点滅を見ながら思う。<br />
　あたしの心情的にはその空白が”off”で埋まっており、「街から取り外された眠られぬ夜に困憊して」という文面になっている方がよかった。<br />
　というのは、身の回りですでに実現されて自分の理解が及ぶものに関しては、既に自分が取りこぼしたもので、その意味でそれらは既に失われてしまっているものだからだ。あたしのこの考えも含めて。<br />
　そんな漠然とした疲れの方が良かった。<br />
　まあ。<br />
　繰り返すがそのような漠然とした状態であたしは疲れていたかった。<br />
　街から取り外された夜のなかにいたかった。<br />
　だがあたしの睫毛が見せる幻影により虫食いの英文が完成して、そこに"so tired from the sleepless nights (of) the city"という文面が浮かぶ。<br />
　もしあたしがその気ならば文字の消し痕を先の丸まった鉛筆でなぞりその下に何が書かれていたのかを自ら明かすべきだろう。下のインクごとそぎ取らないように修正液を剝がすべきだろう。<br />
　それでも睫毛がそこに見せる単語により完成する文章の意味と、そこに別の単語を入れた時に成り立つ文章の意味の違いを楽しむのも乙だった。<br />
　その対比は現実に対して異なった解釈を与える。<br />
　正確に言えば、現実の樫の絵と、あたしが夢で見た樫の絵に対して。言うまでもなくと言うまでもなく、そのどちらも現実だ。<br />
　樫の描いている絵がどこか違った地平から見た夜空だということは分かっているが、先程見た夢の中ではそれは街の灯りだと諭されあたしもそう信じた。夢のなかあたしはその夜空を夜景だと捉えた。<br />
　「街から取り外された眠られぬ夜」ならばそれは別の星の地表を成す荒野での眠れぬ夜、という意味に取れる。そこで寝転んだらあの星空が見える。<br />
　「街の眠られぬ夜」ならばどこかの街、ひょっとしたらこの街の眠られぬ夜そのものの景色、という意味に取れる。空から見たならばこの街の夜景はどこか違う地平の夜空と同じように見えるのかも知れない。”nights”と複数形だから幾重にもぶれて見えているのかも知れない。<br />
　午後四時半に珈琲を飲みながら考える。そして仕事の続きに取りかかる。<br />
　この後であたしはもう一度夜の街を歩くことになる。だから一仕事終えた後、午後十一時から日付が変わるまであたしは午睡をとることになる。きっとそれから終電に乗り込むのだろう。それは昨晩の映画館であたしの睫毛があたしに教えてくれたことだ。<br />
　「昼寝から目を覚ましたら」<br />
　と女優の台詞をなぞる字幕が言う。<br />
　「散歩に出るわ」<br />
　とあたしの睫毛が字幕をそのまま借りて予言する。昨晩のあたしはそれを信じることにした。その後に出歩く前には昼寝をする暇なんてなかったし、今は一晩中歩いた疲れが残っているので後で小一時間ほど仮眠をとるのは難しくないだろう。</p>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 07 Nov 2011 23:55:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111107 - a song - 21</title>
         <description><![CDATA[<p>　翻訳原稿に含まれる空白の箇所も厳然たる空白であることはなく、修正ペンで消してある箇所もあれば、インク用の消しゴムで消したと思しき箇所もある。<br />
　その痕跡にあたしの睫毛は何の手も加えられていないさらのルーズリーフの紙面を見て、そこに前後と同じ筆跡で英単語が記されているのを幻視する。あたしが無意識的に前後の文脈から意味を補完して読んでいるという可能性もある。睫毛はそれを見えるようにしているだけだ。<br />
　睫毛が映画の字幕を使ってあたしに話しかけてくるように、睫毛が文字を勝手に置き換える。本に連ねられた単語の幾つかを置き換えて、あたしの睫毛があたしに話しかけてくる。その場合は置き換えられた単語の下に何が書かれているかは分かるので特に問題はなかったが、小学生の頃から字幕のついた映画の鑑賞や読書というのはあたしにとってはそのような経験だった。睫毛があたしに見せようとしているものを見る。そして睫毛はあたしの無意識を無意識のうちに反映して見せるものだ。つまりあたしは自分が見たいと思っているものを見る。それは他の人のやっている事と変わらない。<br />
　何も映っていないブラウン管や液晶のモニターで突然本編の放映が始まることがあれば、ノートパソコンのデスクトップに見知らぬフォルダがあり、そのアイコンやそのフォルダに含まれるファイルまで含めて丸ごと幻影で、そこに現実のマウスポインタを合わせてダブルクリックをすると幻影のウィンドウが開き、さらに何回かクリックを繰り返すと幻影の映像ファイルなり幻影のテキストなりが開かれる。<br />
　その原稿自体がそもそも自分の睫毛が生み出した幻影だと疑ってみたが、そのルーズリーフの束をどのように持ち替えて角度を変えて眺めてみてもそれは当たり前に存在し得る英文の翻訳原稿だった。筆記体の解読に難儀していたものの、翻訳は中盤まではつつがなく進んだ。<br />
　途中から空白の箇所に自分の幻影である文字が見え始めることに気がついた。初めの虫食いを埋める文字は”of”と言う単語をつつましやかに成していた。<br />
　何故そこで”of”という単語が選択されたのかは分からない。<br />
　原文は、<br />
　“So tired from the sleepless nights (of) the city.”<br />
　「街の眠られぬ夜に困憊して」<br />
　という文言なのだが、そこは”of”ではなく”on”でも”off”でも意味が通る。<br />
　それが“on”である場合は、訳意は変わらず、<br />
　「街での眠られぬ夜に困憊して」<br />
　になるし、<br />
　“off”である場合は、<br />
　「街から取り外された眠られぬ夜に困憊して」<br />
　と、あたしならそのように訳すだろう。<br />
　そこまで訳したところで自分が全き単語の幻影を訳したことに気付き、息を止めてページをめくってみるとそのような箇所が増えていくことに気付いたところで樫があたしの部屋を訪れ、あたしたちは夜歩きに出掛け、その始発に乗って散歩から帰り、熟睡し、目を覚まし、珈琲を飲みながら、今は「街の眠られぬ夜に困憊して」という昨晩までに辿り着いた訳文に末尾に手を加えようかどうかあたしが考えている証拠に画面上でカーソルが点滅しているところだ。</p>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 07 Nov 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111106 - a song - 20</title>
         <description><![CDATA[<p>　それから泥のように眠る。<br />
　また誰かに睫毛を切り落とされる夢を見る。背景の焦点は甘く、ソフトフォーカスのレンズを通したみたいな室内や屋外の光景が最大限に滲んでいるそのなかにあたしはいる。活気があるという訳でなければ寂寥たる印象もない、ただの郊外の街角。信号機、街路樹、自動車の移動の影、空気の色、光り、瞬き。もしくは壁際にソファ以外は何もない白い壁の部屋。やけにくっきりと見える睫毛の向こう側、そういったものの印象がそこにある。それらは物体の形を留めず、輪郭の曖昧な色の違いにまで還元されている。<br />
　ソファは白く滲み、床のカーペットはグレーに滲み、窓の外の青が滲み、でも実はそれは個々で滲んでそうなったわけではなく、その全体を合わせてあたしが知る室内の光景が滲んだものに似ているのだと分かる。異界が適度に滲んでそれがあたしが知る部屋の印象に偶然似ている。夢の中でそんなことを思う。<br />
　あたしはずっとそれらの焦点の甘い光景のなか浮遊している。<br />
　目の前の睫毛だけがくっきりと見える。夢の中でも律儀に瞬きはしている。夢のなかで瞬きをして、そのあいだだけ目を覚まし、目を瞑ったまま目蓋の裏を見る。<br />
　時折実際に目を覚まして水を飲む。どっちが夢なのか区別がつかない、と自室で起きているあいだのあたしは思う。そうして水を半分コップに残したまま、また眠りに落ちる。次に目を覚ました時にはナイトテーブル代わりの椅子のうえ、水を半分だけ残したコップから一口飲んでまた目を閉じる。<br />
　目を閉じているあいだは夢が続く。ハサミが追いかけてくる。そこに何かがあるのだかないのだか分からない視覚のなかをあたしは走る。あたしを包んでいるのは空気ではなく色。方角といったものはなく、ただ色に呑まれたあたしの爪先が向く方向以外には前も後ろも存在しない。<br />
　たまにその焦点の甘い光景のなか、水の入ったコップがやけにくっきりと現れて、それは夢の中の出来事で、なおかつそれはあたしの睫毛を透かした出来事だと夢の中のあたしは理解しているのだけど、夢の中では睫毛の幻影を所有することが出来ないというルールが働かないのであたしは残った一口を飲んでコップをベッド脇の椅子に戻す。<br />
　走りながら、時に目の端に映る自分の手足も茫漠とした色の動きでしかないことに気付く。だから自分は光景なのだとあたしは思い込む。あたしは誰かに見られている自分を見ているのだと思い込む。だからあたしの体も色にまで還元されているのだと。誰かに見られている自分に与えられた肉体は色の変化や動きでしかなくなっている。あたしはそれを自分の体の内側から見ている。それともそれは外側なのだろうか。実は関係を持たない物同士を結びつけあたしはそれらを自分の内側なり外側なりと呼んでいるだけだ。<br />
　やがて曖昧模糊とした色のバックドロップが少しずつ暗くなっていく。夜空が現れる。手前には甘い焦点の色の狂騒がそのままの明るさで残っている。その夜空はあたしが今朝樫の部屋で見た、制作途中の絵画に描かれたどこかの星の地表から見た星空だと分かる。ぼやけた地平線の上でその夜空の黒と無数の光点だけがはっきりと見える。星雲すら肉眼で捉えられる。樫がイメージしているとあたしが思っている、完全な夜空。それはまるでどこかの街の灯りを上空から眺めているようだ。<br />
　「そう、あの絵のタイトルは『まちのあかり』というんだ」<br />
　と樫の木が教えてくれる。<br />
　その時あたしに追いついたハサミがあたしの睫毛を切り落とす。その後にはあたしの睫毛が残っている。それからあたしは目を覚ます。<br />
　それからベッド脇の椅子のコップに残った一口を飲む。<br />
　ノートパソコンの脇の携帯電話で午後四時であることを確認する。<br />
　水筒に残った珈琲を飲みながら豆を挽いて珈琲を淹れる。<br />
　ページ毎に何カ所か睫毛の幻影により文中の空白が埋められた翻訳原稿をぱらぱらとめくる。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sun, 06 Nov 2011 00:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111105 - a song - 19</title>
         <description><![CDATA[<p>　二階の自室に戻り、閉じられたノートパソコンの脇に置かれたマグカップに半分残った冷めた珈琲を飲み干し、新鮮な珈琲を淹れて水筒に移し、ストラップを流しの上の収納棚から見つけて水筒をたすき掛けにする。<br />
　天井の灯りは点けず、ナイトテーブル代わりの背もたれのない木製の椅子に置いたランプの光りが、ベージュの囲いにダークシアンの紗を重ねたシェードを透かし、カーテンに閉ざされた夜明け前の部屋を照らしている。北風を通わす冬の機械とはまた違った機構がそこで働いている。照らされることによって働く個人的な視覚の機械。<br />
　壁際の机、その上のノートパソコン、その左脇に置かれたフェルト糸で綴じられたルーズリーフ、ノートパソコンを挟んだその逆側には冷めた珈琲を湛えたマグカップが置いてあった。日の出はまだだったけれども、ぼんやりとした光りがカーテンを透かして染み込んできて、それはシェードを通した白熱灯の光りに均されることがない。これから時間をかけて外からの光りが部屋を満たす色を均していくあたしはその前に灯りをおとす。<br />
　四階の樫の部屋の鍵は開いている。樫はもう屋上だろうか。樫の部屋はあたしの暮らす部屋と同じ間取りだが、樫は畳の床をそのまま使っている。スニーカーを持ってベランダへと歩き出す前、玄関口から部屋を見渡した時、大きなキャンパスが壁に立てかけられていることに気付いた。高さ二メートル半、横幅四メートル程の帆布は全面黒で塗りつぶされている。<br />
　初めに見えたのはキャンバス上で瞬く光りの点だった。それは樫の制作途中の絵だと心得ていたから、その光点はあたしの睫毛が生み出した幻影だと分かった。星空が描かれているようだが、見慣れた星座は一つもなかった。<br />
　前にも話した通りあたしの睫毛の幻影の内側でも外側でも樫の絵に描かれていることは変わらない。だから樫は実際にどこかの星空や星雲を描いている途中なのだろう。黒い背景に打たれた白い点と同じ数だけの光点が睫毛を挟んでゆっくりと瞬いている。<br />
　ベランダに出て、窓の横の壁に立てかけられているハシゴを登る。たすき掛けにした水筒が脇腹に当たる。<br />
　樫は先に屋上に出ていた。午前六時より二十分前、氷である炎が東の空で溶けて群青の容器の底に貯まる。眺望というほどのものはなかったが、程よく何にも遮られずに東の空を望むことが出来たし、歩道に被さるクスノキの下を行くたまの人影や生き物の影が見えた。見上げれば晴れた空が被さっている。まだ空に見える星に目をやりながら話す。<br />
　部屋にあった絵だけど。<br />
　「別の星の地表から見上げた夜空をイメージして描いてるんだ」<br />
　見ながらではないけど、と付け加える。<br />
　見ながらだと言われてもあたしは困ってしまうだろうけど。<br />
　あたしは水筒にコーヒーだけ入れて、マグカップを持ってくるのを忘れたことに気付く。樫の木がビールの缶を振り子みたく振って、コーヒーは要らないと伝える。<br />
　心でしかないどこかへ、体を連れて。<br />
　水筒の蓋から湯気立つ珈琲を飲みながら思いついた今晩の続きをあたしは口に出す。<br />
　いいかげんそのバリエーションは、<br />
　「止めなよ」と今度は樫の木があたしに向かって言う。<br />
　「止めない」と今度はあたしが答える。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 05 Nov 2011 00:13:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111104 - a song - 18</title>
         <description><![CDATA[<p>　北風と夜明け前の街灯の明かりと視線により編まれた冬の機械の、小さな河川に掛かる橋の建物の途切れた風景が夜をその長い腕で寝かしつけている。町並みは路地の交わりで漉した夜気を掬い取り、街灯の明かりだけがその有り様を覚えていて、冬の機械がそれを再現している。冬の機械はただ北風を通すだけの機構で、北風は南に向かう。<br />
　そんなに都合よく世界が終わっているはずもなく、街灯の明かりだけではなくこのあたしもその有り様をよく覚えていて、午前四時過ぎで、足と目の裏が痛む。冬の機械が霧散する。誰にも観測されていない姿の都会が見たいと願いながら、それは誰かと誰かの思い出話の合わさる場所にしか存在しないと考えつく。樫に話そうかと思ったが、言葉を省いた。だからそれはあたしが辛うじて見た都会の断面のひとつでしかない。<br />
　何かについて話すために何かを省略したり増幅しようと試みた結果ある程度均された感受のなかにあたしはいて、言葉はその景色に凹凸を与える。時の景色にそぐう破片を選んで地を固め天が降るのを待つ。あたしと樫は公営住宅の最寄りの駅までの切符を買う。<br />
　ホームでもまだ飲んでいる。見知りのバーを渡り歩いたいつかの晩の夜歩きの時よりも幾らか酔っ払っていた。<br />
　「今日何日」<br />
　とどちらかが聞いて前夜と二三日ずれた日付をどちらかが答える。部屋を出る時に漂っていた珈琲の匂いを思い出す。屋上に出る前に珈琲を飲んでしまおう。ウィスキーを垂らしてもいいし、また豆を挽いてもいい。その時間のために出来ることを選ぶ。そしてその時間が何のためになっているかなんて忘れてしまうにかぎる。それで省かれる手間が余計なものかどうかは分からなくとも。<br />
　何台も電車がやってきては去る。この駅に止まりもしない。大勢の乗客を乗せてただ通過していく。あるいは何台もの電車がこの駅に止まり、人の出入りがあり、再びこの駅を発車していく。睫毛を勝手に働かせて、時間の早さを無視して目の前で進行する昼夜の風景を目の中で過ごす。<br />
　始発がプラットホームに滑り込む。途中で寄り道をしながら一晩かけて歩いた距離を鉄道は数十分で消化する。たまに何かの儀式みたく朝の電車に乗り込む必要がある。それまでの過程がある。足の裏が痛む。<br />
　電車を乗り換えたあと、シートの端の手すりにもたれかかりながら屋上から見える景色のことをあたしは半分眠りながら考えている。ちゃんと目を覚ますことが出来ればその光景の中に正しく辿り着くことが出来ると、半分眠りながら考えていたことを覚えている。<br />
　駅から公営住宅に歩くあいだには空は白み始めている。だがまだ夜は明けていない。あたしと樫は少し早足で歩いた。足下が多少ふらつき、様々な方向へと早足で歩くことになった。それでもちゃんと十五分のラップライムで目的地には辿り着いた。その十五分に焦点を合わせて、まだ動けることを確認した。</p>]]></description>
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         <pubDate>Fri, 04 Nov 2011 01:44:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111103 - a song - 17</title>
         <description><![CDATA[<p>　午前三時半の冬の機械が薄く作動している。街灯に照らされて透明なそれが分かる。空気と色彩とほんのちょっとの繊細な音によって編まれる冬の機械のその骨組み。ただ風がそこを渡れるように組み立てられる街の仕組み。大気と同じだけの重さで絶対なのに一カ所一カ所は危うい偶然で成り立っている。あるいはあたしは物事をそのような単位でしか切り取れない。<br />
　街灯の光に街路樹の葉の一枚一枚が照らされているのが見えてそれは表か裏かで違う色を返し、その少し下では信号のネオンがたまに色を変え、灰色の車道の黒い艶がそのバランスを支えている。そのような視線の動きが冬の機械を編む。人々の視線によって完成する季節限定の機械。透明なそれだから、特に合意が得られることもなく、ひとびとは北風を探し、中空や揺れる枝を見る。あたしの睫毛に光りが絡まるみたいに、冬の透明の機械に北風の細い糸が絡まっていく。空気が小さく渦を巻いている。それが幾つもある。北風を大気から呼び込んでその場の状況に応じて透明な光りの糸を紡ぐ冬の機械。質感の機械。<br />
　一瞬一瞬では止まっていて、時間を通して見れば動いている。それは嘘で、それが静止しているように見える一瞬をあたしは捉えられずにいる。これからもそれが出来るようになるとは思えない。それはただ呼吸のサイクル毎に注意時間を定めるのと同じことで、呼気から数えるか吸気から数えるかできっと少しずつ時間の印象は異なっていく。そのような瞬間を重ねていく。<br />
　都会の一瞬一瞬をそのように足の裏で捉えていく。夜気に涼む。季節が花を添える。彩りが時刻を添える。そうして身の回りの品々に呼吸が戻っていく。街灯に馴れる夜の景色みたいに。<br />
　ビールを何本か飲んで既に酔っ払う。自動販売機を見つける毎に缶珈琲を買うのと同じペースで、コンビニでビールを買っている。空き缶はコンビニ前に置かれたゴミ箱に分別して捨てる。あるいは途中で通り過ぎた自動販売機の隣に置かれたプラスチックの箱に放る。始発に乗る時くらいは酔っ払っていたいという人情が働いたか、結局は飲んでいる。夜を過ぎた格好で朝を通り過ぎるために。季節と同じように儀礼的に、夜の習性のなかあたしは腕時計を持たずに。<br />
　酔うと睫毛の幻影は弱まる。この街の歩道に挟まれた運河として車道を沈めていた水は排水孔からさらに沈み、この都会の地下を水浸しにする。それすらも睫毛の働きで、つまりはあたしは自分自身をさらに巧妙に騙しているだけだ。あたしの足の裏、地面を隔てた場所で盛大に水しぶきが上がっている。あたしはその分の処理を余分に行っている。呼吸の隙間をふと見つめるのと同じように、ひとつのペースのなかに含まれるペースを穏やかに見つめる。空は雲一つない空、月の全部が見えていてその半分だけが光っている、それみたいに。</p>]]></description>
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         <pubDate>Thu, 03 Nov 2011 04:44:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111102 - a song - 16</title>
         <description><![CDATA[<p>　繁華街まで辿り着き始発を待つ。何駅か巡るうちに、だいたいそのようなペースを見つけた。<br />
　駅ビルのシャッターを脇に通り過ぎて切符だけ買ってホームで延々と始発を待つ時間、そこに焦点を合わせて散歩を続けた。あたしが自分に対して設定したそのような目まぐるしさの程度と、自動販売機の前を通りかかるベースが重なり、あたしは何故か目を覚ましていた。缶珈琲を消費しながらその晩がどれだけ遠いのかを測ろうとした。それを言い表すための言葉を探そうとした。まだ自分が理解していないことを正確に言い表すための言葉を先にあたしは探そうとしていた。<br />
　どこの店にも立ち寄らなかった。途中のコンビニでそれぞれ一本ビールを買っただけだ。あとは脇道をかわし近道をかわし、ただ愚直に歩き続けた。その晩に起こっている騒ぎの全てを見逃すことをいつも惜しいと思う。それから我に返る。解けている靴紐を結び直す。何度か転びそうになり、壁に手をつき、手の平がブロック塀の石の粗い粒子に触れる。その感触をこの街のものだと同定する。アスファルトにまでその感覚を伸ばす。そのようにして路面の様子を掴む。足下はだいぶおろそかになる。<br />
　その晩はあたしと樫は歩くことによってこの街を描写する方法を得た。足の裏をいつも場所の名前がノックしていた。だいたいの時はそのことさえ殆ど意識されなかった。場所の名前と記憶があまり上手に結びつかない。どこも似たようなもんなのだと思う。だからあたしたちが歩いていたその晩も結局はどこも似たようなもんだったのだと思う。あたしたちは目の前の風景を更新し続けた。時速四キロメートルでのろのろと地表すれすれを滑空した。そのあいだに何度か足をつき、肢体のバランスを整え、その次もまた一歩と呼んだ。<br />
　疲れている時には睫毛の活動は活発になりがちだ。幻影のソフトドリンクの自動販売機が配置され、その取りそろえも充分妥当なものと思える。まるであたしが何を買いたいか知っているかのように。あたしはまだ自分が何を買いたいか知らないのに。街の一角がまるごと消え失せてそこにはない横道の幻影が見えるということも希にだがある。そこに実際にある街の寝姿がちゃんと見えて、それが幻影であることが分かる。<br />
　そこにない駅が見えてそこにない線路が敷かれて、そこにない乗客を乗せたそこにない電車がまだそこにない場所とここを同時に目指して走っていく。<br />
　あたしが翻訳を任された原稿にはそこにはない単語があたしの幻影として平然と浮かんでいる。<br />
　午前三時半にはあと一駅分も歩けば繁華街に辿り着くというところまで来ていた。特に何をするというあてもなかったが、駅近くの終夜営業のカフェにでも入ってアイスコーヒーでも頼もうかと思っていた。だがそこに辿りつくための最後の直線を歩き始めたあたりからビールの割合が珈琲よりも多くなり始める。</p>]]></description>
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         <pubDate>Wed, 02 Nov 2011 02:16:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111101 - a song - 15</title>
         <description><![CDATA[<p>　散歩中に耳が利かなくなることがある。それはいつもイヤホンの空白の内側に逃げ込んでいる弊害なのだろうけど、鼓膜を叩く空気の振動に現実感がなくそこから震動を取り払った真っさらな空気の感触ばかりを計り直している。聞こえなくなった耳はそれでも喧噪を感じてはいて、周囲で音が鳴っているということをあたしに伝えてくれる。雑踏の中ならば賑わっているということを教えてくれる。あたしの反応のなさがそれに対して応答している。<br />
　「ふうん」<br />
　ここでしかないどこかへ、などと言われて落ち着かぬだけの気分になったので、そのように自分の考えをただ言葉にしてみる。言葉の上だと何かがねじれて、何かがふと空白に触れるように感じることがある。そして、その領域は空白とは呼ばれるべきではないのだろうなと思う。いつかの晩にあたしが樫に話していた通り、それは自らを語ることによって自分を埋めていく余白をただ定めるだけの作業なのだろうなと思う。理解されることによって自らを塗りつぶすように動く空白の、真冬の機械。<br />
　あたしも樫にならって缶珈琲を一本買う。スタジャンを着て開栓していない無糖の缶珈琲を持つあたしが街灯の真下からすこしずれた所に立っている。真夜中の街道で不意に現れた坂道、坂道はその下の歩道から少し角度をずらして垂直に切り立ち、ガードレールから垂れる蔦がその坂の存在を何となく隠している。あたしがその坂道の傾斜が始まったばかりの地点に立つ背後には夜とガードレールと蔦がバランスよく配置されている。もし三者的に見たそのような瞬間だけが記憶に残っているのだとしたらその前後にある何と何を何が繋ぐのだろうか。ファッション雑誌の撮影みたく現場の設営があり、電源が確保され、照明が設置され、露出が調整され、シャッターが押されて画像データが記録される。そして何故かモデルを演じているあたしが立っている場面だけがそこにある場合、その前後で想像される光景は何なのだろうか。誌面に収められた写真のなかでそのまま過ぎていく日常、もしくは撮影クルーの撤収シーン、どちらが現実と地続きなのだろうか。<br />
　単調な街道を抜け商店街を経てある駅前に出る。改札はシャッターで閉ざされ、駅前のロータリーに辛うじて一台止まっているタクシーの運転手は仮眠中だ。いつのまにかそうして駅から駅を辿ることがその夜の習慣になったらしい。駅名を表示する照明の明るさだけを意識しながら歩いた。同時に他の喧しさや眩しさに見とれながら、ただきりがないということだけが歴然としていて、現にそこに開いている店の名前ひとつとってみても敢えて立ち入ろうなんて気に到底ならない、個人的な規模の時刻。<br />
　環状線沿いの繁華街に向けて歩きながら途中で他の路線の駅に立ち寄って、それなりの距離を歩く。トレーナー一枚で出歩いていたのが、今はその上にスタジャンを羽織り、それでも寒いと感じている。主に屋内で過ごす身だが、年を追う毎に冬は長くなる。去年の冬はもっと厳しかったと自分を慰めることのないよう、ただそれだけのために。<br />
　それとは関係無しにその夜の空気は冷たかった。<br />
　「そこではないどこかへ」<br />
　「そこでもないどこかへ」<br />
　時折何かを思いつく代わりに言葉が交わされる。</p>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 01 Nov 2011 01:29:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>20111031 - a song - 14</title>
         <description><![CDATA[<p>　珍しく午前中から活動していたその日のその晩、再び仕事に取りかかり原稿に妙なところがあることに気付いた後に、あたしは樫と再び秋の構内に降り立つ運びとなる。部屋を出た時に珈琲がまだ湯気を立てていたのを覚えている。珈琲の匂いがしていたのを覚えている。それをまるで季節の匂いみたいに感じていたことを覚えている。長い一日になりそうだと思ったことを覚えている。<br />
　あたしのものでも樫のものでもそれともどこかの映画の中で見た物でも構わない。どれか好きな夜の場面を思い浮かべてくれればいい。そんな夜だ。実際には環状線に辿り着いたところで歩き始めることに決めた。都会の繁華のなかを移動したかったわけではない。本当にただの意味のない夜歩き。あらゆるものにうんざりしながら、言葉を失うものの前では言葉を失う。そのことを言い表す言葉を獲得するのがその時でないことを分かっているから。それは何に対してもそうなのだけど。そのような領分もある。先に言葉があるものになんて大した意味はないと多分二人とも思っていたから。狂った体内時計が正確な一秒を計り続け、狂った時計はともかく正確な一秒を共有している。その背後のメカニズムについては分からない。少なくとも今はそのように感じる。そうでなかった時は思い出せない。<br />
　珈琲の匂いが夜の部屋を満たしていた。<br />
　「トリック・オア・トリート」に対して、<br />
　「トリック・オア・トリート」と返して部屋に通した。<br />
　その晩は樫はビールを持たず、あたしの冷蔵庫を漁り始めた。缶ビールをみつけてあたしの分のプルリングもひいてくれる。あたしは原稿の妙な箇所に気付き動揺し始めていたところだったから、有り難く自分のビールを受け取った。いつもと同じようにおざなりに乾杯するふりだけする。二三口飲む。<br />
　夜歩きに出たそうだったので、あたしがスタジャンを手に取るとビールの缶を持ったまま樫は玄関口へと移動し始めた。<br />
　どのみちあたしも自分の部屋にいられる気がしなかった。外気が必要だった。<br />
　電車から降りて環状線の高架下を歩きながら、通過していく電車をやり過ごす。線路に沿って歩き、時に住宅地に分け入りながら、その晩あたしと樫はずっと黙ったまま歩いていた。<br />
　沈黙に耐えかねて「ここではないどこかへ」とあたしは言ってみる。<br />
　「ここでしかないどこかへ」と樫の木が何かの合図を待っていたかのように答えて返す。<br />
　そんな時にあたしは樫の木をぶん殴りたくなる。こいつはあたしの世界を終わらない広がりのなかに閉じ込めようとしている。そのように感じるから。あたしはどこかに行けると思っていた。けれどもそのどこかというのが別にどこでもいいことになる。そう考えるとあたしは解き放たれたままどこかに幽閉された気持ちになる。終わらなさの裾野、慣性だけで生々しい。<br />
　あたしは部屋に立ちこめていた珈琲の匂いを思い出していた。樫の木は自動販売機の横を通りかかるたびにいつものように缶珈琲を一本ずつ買い、飲み終わった缶をその次の自動販売機の脇にあるゴミ箱に捨てる。終わらない珈琲が終わらない缶に詰められて終わらないゴミ箱が並んでいる。だからかどうかは分からないがその晩は樫は民家の屋根に向かって空き缶を投げ始める。<br />
　「止めなよ」とあたしは言う。<br />
　「止めない」と樫は答える。<br />
　でもその場では止めるのだ。そこが樫の面白いところだと思う。</p>]]></description>
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         <pubDate>Mon, 31 Oct 2011 02:13:22 +0900</pubDate>
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