nobody hurts

November 14, 2011

20111114 - a song - 28

 さて、一眠りする時間がやってくる。
 ほんの一時間ばかりの短い睡眠だ。
 眠ったうちに入らないくらいの。
 それでも睫毛を切り落とされるいつもの夢がやってくる。
 目を覚ます。
 いつもより長くゆっくりとした夜歩きに備え、あたしは時間をかけて身支度を整えることにする。終電を逃せば歩けばいい。まだ乾ききっていない髪の毛を束ねて上げて帽子で押さえる。もうすぐ秋も終わる。
 姿見のなかで外装を整える。
 その時は自分の体の動きに焦点を合わせる。
 そして、自分にとってすでにそこにあるものを代表して、それとも、まだそこにないものを代表して、あたしは速さを惰性に変え、自分の体内の仕組みのなかで複雑に入り組んだ角を曲がり切ることにだけ専心して鏡の中で体を動かす。
 体を動かしながらも、たぶん複雑に入り組んだその角を曲がり損ねた部分が外側にはあたしとして見えているのだろうなと思う。自分をそのように定義すれば自分のなかの慌ただしい活動がほんの束の間整理される、その模様が言葉として起こされる。
 少し眠り疲れも取れたが、眠りの分だけ疲れが溜まる。
 それが絶対に発散されることのない力の正体だろうか。これまでに眠ってしまった分の疲れ。それを癒すために起きている時間の大半を使う。眠っているあいだには時間しか流れているものがなくて、眠りは死に似ているから。
 あたしはそれを解決しようと夜歩きに出掛けて、それ以上の問題を抱えて帰宅することになると分かっている。
 そう考えるとそうとしか思えないが、だからと言って何なんだとしか思えない。
 そしてあたしはいつか誰かがその正当な理由を耳打ちしてくれると思っていたが、どうやらそんなことは起こりそうもないので、あたしはその理由をいつか誰かに勝手に耳打ちすることに決めた。
 それがいつどこでかのことは分からないが、それはいつの時点でも起こっていないし、いつの時点でもずっと必ず起こりうる。気分的にはその可能性を軸に回る自分の現実の舵をあたしは取る。
 あくまで気分的には、ということなので傍目にはあたしはただの趣味人に見えることだろうが、似たようなもんはそこかしこに存在するのだとあたしは勝手に思っている。
 そうしてカーブを曲がり損ねた部分が人目に触れて、あたしたちは進路を調整する。他の人が曲がり損ねたカーブをどうにか後付けで自分が曲がれるとでもいうかのように、いつも自分を信じている。
 そしてそれは他の人が本来そのカーブを曲がり切ることが可能だったと信じているからそうするのだ。そうしてまたカーブを曲がり損ねる。
 あたしがどこかの仕組みのなかでカーブを曲がり損ねた結果、巻いたストールがほどけて床に落ちる。そしてそれは単にあたしの睫毛の外側での出来事だ。あたしの主観から取り外せないはずのそれを、出来事として取り外して考える。自分の部屋で自分ひとりでいるときにだけあたしはそれを行うことができる。
 それから内側から扉をくぐり人間の姿に戻ったあたしは、四階まで昇り樫に声をかける。

   (了)

November 13, 2011

20111113 - a song - 27

 一枚の絵があり、それは都会から見上げた夜空と星々を描いたもののようにも、あるいはそれは夜空から見下ろした都会の灯りのようにも見える。
 別に待たれてる筈はないのだがこの街の夜自体に待たれている気がして表に飛び出していた時期があり、それは今でも雨が降る時のように起こる。絶対に発散させることのできない否応のない力があり、それを使い果たそうといつも頭を使おうとしている。それかその逆か。
 流しも綺麗になり生きる希望が沸く。次は風呂場だとか山積する問題はいつも風に吹かれているのだが、そのような埋めるべき余白がいつでもあるのはいいことだと思うことにする。だから空白に取り囲まれている今の暮らしを前向きに捉えることができる。その空白が何の余白かあたしは割り出せばいい。これが何の余白であったかをあたしは割り出さなければならない。そのための時間などはなく他のことをしながらでも。それが現在というものにいつも付きものだったと分かりつつ。
 睫毛用のタオルがかなり溜まっているのでそれも手洗いすることにする。他の洗濯も一緒にやってしまうことにする。そうして夕飯前の時間が何となく忙しく過ぎ去っていく。内容は分からないけれども、何かの過程のその途中を過ごす。
 洗濯にかなり時間が取られる。
 手洗いの洗濯物を脱水にかけ終わったのが九時五十分くらいで、夕飯を食べ終えたのは十時二十分、あともう少ししたら一眠りしなければならない。その後に夜歩きだ。
 自分の睫毛が昨晩の映画の字幕を通して語った予言を充足させるためにあたしはそうしようとしている。仕事はなるべく急ぐが、他のことはゆっくりすることに決めている。
 あたしがこの後で取る午睡のなかで再び誰かに睫毛を切られる夢を見るとあたしは知っている。そう予言されているわけではなく、ただそうだと分かる。
 鼻歌を歌いながら立ち上がり皿を流しに置く。それから自分に鼻歌を歌うという機能が備わっていたことを思い出して動揺する。それはしばしば起こることだが、日常に驚きがあるというのはとてもいい。鼻歌を歌っていない時は単に鼻歌を歌っていないだけだ。譫言なら始終漏らしているし自分のなかで採算は取れている。
 睡眠を取る前にシャワーを浴びる。灯りを落としたまま浴槽に踏み込み、シャワーヘッドから落ちる水が睫毛に触れて束の間光るのを見る。
 見覚えがあるのではなく、記憶にある何かの光景を見忘れたと感じることはできるのだろうかと考える。それもいつもの話なのだろう。自分が実際に見た物が見忘れたもので、他のすべてのものは見覚えがある。だから実際に見た物しか意味がない場合もあるだろう。あたしはそのようにして自分を納得させる。
 タオルを頭に巻き、椅子に座り、ノートパソコンを閉じて、冷めた珈琲を飲む。これから眠ろうというのに珈琲を飲んでいるのだから不注意にも程があるが、これはあたしの習性だ。
 睫毛が一本落ちて珈琲カップに落ちるが何も起こらない。
 そのような幻影を見ることもきっとあるのだろう。

November 12, 2011

20111112 - a song - 26

 そして都会の空白をあたしの睫毛が勝手に埋めていく。
 完成していないものをあたしが勝手に完成させていく。
 これがあたしの行き着いた先でありここが出発点だ。
 多分あたしの課題は睫毛の見ているものを取り払うことではなく、睫毛が見ているものを理解することだ。孤独を憎むことは他のすべてを憎むことだ。他の人の孤独を含めて。
 他の人の孤独に対して積極的な感情を向けることはできなくとも、自分にあるものを対処することによりどこかで何かが交わるかもしれない。
 空っぽの理解を示すことをあたしは本当は憎んでいる。知った振りして頷くことをあたしは憎んでいる。何かの同意や反応を示す時、自分が何について頷いているのか分かっていないというのは気味が悪いことだ。だからこの気持ちは一生つきまとうのだと思う。
 その場その場の感情のなかだけではなく、状況の流れの中にも人は生きている。自分が対処できるのは流れの方だけだという気持ちが強くある。それでいてその場その場の感情をしか何となくあたしは受け取れない。そこで矛盾が生じている。それを都会のコントラストと呼びたければ呼んでもいいけど、こちらにとっては感情の死活問題だ。
 そんな思いも流れの中でしか対処できない。
 だからこそ悲観はできないのだけど。
 物語の冒頭近くの始発電車のなか、蛍光灯の明かりに均されていた空の色の微細な変化のように、その変化を時間の大まかな経過のなかで捉えて外の状態の前後を確認する。
 あるいはいつかの自室でカーテンを壁から浮かせていた日光がランプシェードを通した明かりを均そうとしていた時のように、真夜中の自室に灯っていたそのランプの色を忘れまいとする。
 あたしに対処できるのは前者のほうで、あたしが覚えていたいのは後者のほうだ。
 あたしが印象として操作できるのは後者のほうで、あたしが本当に忘れていくのは前者のほうだ。
 単にそのような個人的なコントラストのなかにこの都会があるだけで、都会のコントラストなんていう気障な言い方のなかには殆ど何もない。せいぜいあたしくらいしかない。そしてあたしはその明暗のコントラストを掻き分けて何かを掴もうとして、結局は繁華街へ向かう切符ぐらいしか購うことができない。
 そして辿り着いた街の真ん中でしばらく馬鹿面を下げたあと、また自室に戻る。ひとりの時間が待っている。それでも自分の孤独を理解するには足りない。
 あたしが遠回りにでも他の誰かの孤独を理解しようとするためには、こうして話し続けることくらいしか方法がない。
 午後九時少し前にさっき立ち上がった時に淹れた珈琲をのろのろと飲み終わる。そろそろその日の二食目を用意する時間だ。
 さっき流しに放ったままの皿とフォークとフライパンを洗う。一食目と同じメニューですますことにする。ついでに流しに溜まったコーヒーカップを洗う。

November 11, 2011

20111111 - a song - 25

 日はとっくに落ちていて時に冷蔵庫のモーターが鳴る。まだ仕事の区切りを付けるのには早い。午後四時に起き、いまは午後七時でその日の二食目をとる時間ではなかった。その日の一食目は楽をしたい時はいつもそうする通りB&B形式の軽食で済ませた。皿とフォークとフライパンは流しに放りっぱなしになっている。小食なうえに食事を摂ることを忘れがちなので洗い物はそれほどたまらない。コーヒーカップは無駄に幾つも持っていて、洗い物を怠るので乾燥した珈琲が底にこびりついた陶器や磁器が涸れたステンレスの水槽に溜まる。
 立ち上がるのが面倒な時にはカップを流しに向けて放りたくなる。
 休憩がてら珈琲を淹れることにして、湯が沸くのを待ちながらキッチンが見える位置からこちらを目にやる姿見の中の自分に目をやる。襟首の伸びきった部屋着のTシャツに睫毛が勝手に模様を浮かべている。現実の定義にもよるが超現実的と呼んでもいい。それともそれは超現実的のほうの定義だけで収まるのだろうか。一枚のコインの裏表だがコインは固定されていて、表裏を見るためにはいちいちその回りを歩かなければならない。
 もとより服を着ることには現実に超現実的なものを描き足す用途が多分にある。それを現実と呼んでいるのだから境目など初めからあってないようなものだ。
 あたしが服飾に興味を持ったのもそのような理由もあるのだと思う。誰かが着ている無地のシャツに睫毛があたしの無意識を映し出す。大抵はそこには洋服のパターンと呼んで差し支えのないものが浮かぶ。最近ではそれをスケッチもしなくなったが。
 そして服を着るという行為や、他の身体的な装飾の行為は、あたしの睫毛が外側にあるようなもので、好みと創意次第で大体好きなものを見せることができる。こう水を向ければこれはどこまでも適用することができる話だ。そしてともあれそうすることによって生じるものが現実の範疇におさまるとされていることが重要なのだとあたしは思う。
 湯が沸く。
 あたしはあたしの睫毛の持つ作用についてもう一度考える。
 あたしの睫毛はあたしの無意識を視覚化して現実に重ねる。
 あたしは自分の無意識のその過剰な部分を視覚から除去することができる。
 その括弧付きの現実にしたって何らかの拘束のもと自由に執り行われている。時に応じてある程度は柔軟であることができるという裏返しの拘束により。そうして目に見える形での誰かの妄想に日々触れているが、それについてはこれまでもこれからも実は話し合う暇すらろくにない。
 固定された睫毛の働きを外側に持ち出すような日常の営為により現実の領域を広げることは可能で、あたしは翻訳という作業を通して英文から和文を割り出し、それをほとんど誰にも顧みられることのない片隅で進行させる。何かを付け足す、という言い方は余り正確ではないと思える。
 あたし自身は現実の部分でも全体の一部を不可分に成すものでもなく、部分か全体の一部を不可分に成すなにものかのなかでの範囲を定める定義の組み合わせにより成り立っている。あたしは現実に生えた睫毛だ。
 自分に被さるそのような定義をあたしが憎んでいるということは話した。
 珈琲を机に、あたしは持ち帰る。
 関係の圧力のなかで自分を内側から押し返し自分は自分であると主張している力。
 それを裏返しにしてそっと外側へと向ける。
 今は姿見を見ているからそれが自分に返ってくる。
 姿見のなかのあたしがモニターに視線を戻すのをあたしは興味深げに見ている。
 睫毛を挟んでのことなので、姿見のなかで作業を続ける自分と珈琲を飲みながらそれを見ている自分の関係が逆になることはない。
 それからあたしはモニターに視線を戻す。

November 10, 2011

20111110 - a song - 24

 前にも話した通りあたしは都会を記そうと試みて幾度も挫折している。
 改めて頭を整理してみて都会をあたしに印象づけているのはコントラストだ。何かと何かの対比。
 そこにあるものとそこにないもの。闇と光り。闇夜に浮かぶ星。夜闇を照らす街灯。あるいは星と星空。ビルとビル群、人と人々。糸口の切り口と口を切った糸口の導く道。時間と経過、記憶と時刻、散歩と昼寝、掃除と炊事。都会の暮らしはそのようなコントラストのなかで過ぎていく。それらのコントラストが記憶されその夕方のあたしが住んでいるこの街があたしによりまたもや空想されている。地名や駅名や角の名前では捉えきれないものをあたしは漠然とした一般的なものとして思い浮かべる。多様さを求めているせいで怠惰になっていると言い訳しているが、その怠惰な認識に対して真摯に立ち望もうとしているのだからわれながらふざけていると思う。
 白夜と白昼。複数の何かがいつかどこかで歪んでいるそんなコントラストを持ち出すことも出来る。威張ることではないがあたしのように昼夜逆転した生活を送っているものにとってみれば昼の時間は白夜のようなものだ。そこにもコントラストが生じている。言うまでもなく、あたしがそのように考えているそのせいで。
 あたしはずっと同じ事を考えてきた。
 そのように物事を捉えることを幼稚だとか感傷的だとか非現実的だと一笑に付すことはきっと容易い。あたしはそのような領分を越えて話すことだけをずっと考えてきた。話の内容がそれに付随するものでしかないときもある。それでも新しい領分では新しい技術が育つ。
 今はまだ伝達可能な信号の種類は限られていても十分な複雑さを生むに足るTPOはばらけてそこにある。もし例え単純なオンかオフの信号しか送れなくとも、人が違えば仕組みが違うので、それが独善的な主義主張を助長するものになるとは思えない。もしそれがそうだというのならば、今までにあたしたちが話してきたすべてのことがそうだということになる。調整に必要な細かなカーブを処理しつつ、何かをひとまたぎにする。
 コミュニケーションというお題目を扱うのにそれでは余りに大雑把であるという思いもある。
 けれども翻訳というあたしの職能ひとつとってみても、文章の解釈があり、訳語の選択があり、それが和文でのニュアンスを生み出し、そのニュアンスを留めておくために前後を整理しながら字数で音数を調える。呼吸をあたしは処理している。意味を通して。
 あ・うん、が繋いでしまっているものの得体を知るために同じ言語のなかで翻訳を繰り返し、辞書のなかを何遍も回ってしまっている。なので、あ・うんで済んでいる。辞書が違うことは強みでしかない。希望よりももっと力強いものがあるとあたしはそう思っている。
 都会を記そうというあたしの試みは結局はあるものとないものの違いを話すだけの試みでしかないと思うことがある。
 翻訳の作業に行き詰まり珈琲をすすりながらあたしは部屋を見渡す。
 この部屋にありあたしが理解が及ぶ全てのものは失われたもので、残りはここにないか、あたしがそれについて分かっていないかのどちらかだ。あたしが目にして理解するものごとのひとつひとつをあたしはこれまでもそして今もとりこぼしている。どこかの都会にある部屋の一サンプルとしてその意味合いを理解できる範囲においては、この部屋にある全てのものはあたしの仕事ではなかった。そしてあたしの理解などたかが知れている。そのことに対する理解すら危うい。そしてあたしの誤解は計り知れない。

November 9, 2011

20111109 - a song - 23

 アンナはあたしに原稿を渡す前に確認をしなかったのだろうか。普段アンナから回ってくる仕事は文化の形象にまつわる英文の記事やインタビューの翻訳や、それか対訳付きの年鑑の和文英訳であることが多かった。普段とは仕事の性質が違ったが、ちょうど前の書籍を入稿したばかりで凪の時期だったし、払いも良かったので仕事を断る理由はなかった。
 漠然とした疲れを好むとは言っても、作業中の自分の打鍵音を聞くのが嫌いではないということに気付いた。その夕方は自分がノートパソコンのキーボードを叩くペースに焦点を合わせて活動した。
 十本の指でパーカッションを叩くみたいに鍵盤を打つ。
 画面上の言葉がその音に被さる。実際にはローマ字かな変換を採用しているので、打鍵の数と画面上に現れる文字の数は一致しないのだけれども。
 自分の訳文が気に入らず、デリートキーを押す時に一番趣を感じる。普通の文章を打つ際には打鍵のリズムは散らばってまちまちなのだけど、デリートキーを押すリズムはいつも一定で、あたしは消したい文字数だけデリートキーに触れる。迷路で間違えた道を選んだことに気づき、来た道を猫背でとぼとぼと引き返すみたく、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とぼ、とそのキーに触れる。
 こんな虫食いの文章が出てきた。
 “And sometime a day will go by quietly at that house (o’) altitude”
 明らかにあたしの睫毛は間違えた単語の選択をしている。
 あたしが見えている通りに訳せば、
 「そしていつか一日はその家で静かに過ぎ去るだろう、おお深遠なるかな」
 になるが、
 実際は、
 “And sometime a day will go by quietly at the house (of) altitude”
 「そしていつか一日が高台にあるその家で静かに過ぎるだろう」
 と言う文章の方が自然だ。
 とは言え”o’”を”of”を省略したものと捉えることもできる。
 すでに自分が失われたものに囲まれて暮らしているとしたら、この目の前にあり、あたしの睫毛により空白を補完されている原稿は一体何なのだろうか。
 その原稿の筆者は単語を削り自分の原稿を途切れ途切れの文脈は持つが未完成である状態に戻した。意味が意味に縛られることがないように。そのように想像してみる。
 そしてあたしの目の前にあるのは完成されていないが故に理解の及ばない都会の姿であるはずなのに、あたしの睫毛がその欠けた部位を補い、既にあたしが知っている意味にあてはめて読んでしまっている。
 睫毛を一本抜いてみる。
 睫毛を抜いた感触はある。
 けれども親指と人差し指のあいだに挟まっているはずの睫毛はそこにない。
 睫毛がそう見せているのだ。
 と諦念半分自嘲半分の気持ちでいたら、腿の上に落ちている睫毛を一本見つけて何だか馬鹿らしくなる。

November 7, 2011

20111108 - a song - 22

 “So tired from the sleepless nights off the city”。
 カーソルの点滅を見ながら思う。
 あたしの心情的にはその空白が”off”で埋まっており、「街から取り外された眠られぬ夜に困憊して」という文面になっている方がよかった。
 というのは、身の回りですでに実現されて自分の理解が及ぶものに関しては、既に自分が取りこぼしたもので、その意味でそれらは既に失われてしまっているものだからだ。あたしのこの考えも含めて。
 そんな漠然とした疲れの方が良かった。
 まあ。
 繰り返すがそのような漠然とした状態であたしは疲れていたかった。
 街から取り外された夜のなかにいたかった。
 だがあたしの睫毛が見せる幻影により虫食いの英文が完成して、そこに"so tired from the sleepless nights (of) the city"という文面が浮かぶ。
 もしあたしがその気ならば文字の消し痕を先の丸まった鉛筆でなぞりその下に何が書かれていたのかを自ら明かすべきだろう。下のインクごとそぎ取らないように修正液を剝がすべきだろう。
 それでも睫毛がそこに見せる単語により完成する文章の意味と、そこに別の単語を入れた時に成り立つ文章の意味の違いを楽しむのも乙だった。
 その対比は現実に対して異なった解釈を与える。
 正確に言えば、現実の樫の絵と、あたしが夢で見た樫の絵に対して。言うまでもなくと言うまでもなく、そのどちらも現実だ。
 樫の描いている絵がどこか違った地平から見た夜空だということは分かっているが、先程見た夢の中ではそれは街の灯りだと諭されあたしもそう信じた。夢のなかあたしはその夜空を夜景だと捉えた。
 「街から取り外された眠られぬ夜」ならばそれは別の星の地表を成す荒野での眠れぬ夜、という意味に取れる。そこで寝転んだらあの星空が見える。
 「街の眠られぬ夜」ならばどこかの街、ひょっとしたらこの街の眠られぬ夜そのものの景色、という意味に取れる。空から見たならばこの街の夜景はどこか違う地平の夜空と同じように見えるのかも知れない。”nights”と複数形だから幾重にもぶれて見えているのかも知れない。
 午後四時半に珈琲を飲みながら考える。そして仕事の続きに取りかかる。
 この後であたしはもう一度夜の街を歩くことになる。だから一仕事終えた後、午後十一時から日付が変わるまであたしは午睡をとることになる。きっとそれから終電に乗り込むのだろう。それは昨晩の映画館であたしの睫毛があたしに教えてくれたことだ。
 「昼寝から目を覚ましたら」
 と女優の台詞をなぞる字幕が言う。
 「散歩に出るわ」
 とあたしの睫毛が字幕をそのまま借りて予言する。昨晩のあたしはそれを信じることにした。その後に出歩く前には昼寝をする暇なんてなかったし、今は一晩中歩いた疲れが残っているので後で小一時間ほど仮眠をとるのは難しくないだろう。

20111107 - a song - 21

 翻訳原稿に含まれる空白の箇所も厳然たる空白であることはなく、修正ペンで消してある箇所もあれば、インク用の消しゴムで消したと思しき箇所もある。
 その痕跡にあたしの睫毛は何の手も加えられていないさらのルーズリーフの紙面を見て、そこに前後と同じ筆跡で英単語が記されているのを幻視する。あたしが無意識的に前後の文脈から意味を補完して読んでいるという可能性もある。睫毛はそれを見えるようにしているだけだ。
 睫毛が映画の字幕を使ってあたしに話しかけてくるように、睫毛が文字を勝手に置き換える。本に連ねられた単語の幾つかを置き換えて、あたしの睫毛があたしに話しかけてくる。その場合は置き換えられた単語の下に何が書かれているかは分かるので特に問題はなかったが、小学生の頃から字幕のついた映画の鑑賞や読書というのはあたしにとってはそのような経験だった。睫毛があたしに見せようとしているものを見る。そして睫毛はあたしの無意識を無意識のうちに反映して見せるものだ。つまりあたしは自分が見たいと思っているものを見る。それは他の人のやっている事と変わらない。
 何も映っていないブラウン管や液晶のモニターで突然本編の放映が始まることがあれば、ノートパソコンのデスクトップに見知らぬフォルダがあり、そのアイコンやそのフォルダに含まれるファイルまで含めて丸ごと幻影で、そこに現実のマウスポインタを合わせてダブルクリックをすると幻影のウィンドウが開き、さらに何回かクリックを繰り返すと幻影の映像ファイルなり幻影のテキストなりが開かれる。
 その原稿自体がそもそも自分の睫毛が生み出した幻影だと疑ってみたが、そのルーズリーフの束をどのように持ち替えて角度を変えて眺めてみてもそれは当たり前に存在し得る英文の翻訳原稿だった。筆記体の解読に難儀していたものの、翻訳は中盤まではつつがなく進んだ。
 途中から空白の箇所に自分の幻影である文字が見え始めることに気がついた。初めの虫食いを埋める文字は”of”と言う単語をつつましやかに成していた。
 何故そこで”of”という単語が選択されたのかは分からない。
 原文は、
 “So tired from the sleepless nights (of) the city.”
 「街の眠られぬ夜に困憊して」
 という文言なのだが、そこは”of”ではなく”on”でも”off”でも意味が通る。
 それが“on”である場合は、訳意は変わらず、
 「街での眠られぬ夜に困憊して」
 になるし、
 “off”である場合は、
 「街から取り外された眠られぬ夜に困憊して」
 と、あたしならそのように訳すだろう。
 そこまで訳したところで自分が全き単語の幻影を訳したことに気付き、息を止めてページをめくってみるとそのような箇所が増えていくことに気付いたところで樫があたしの部屋を訪れ、あたしたちは夜歩きに出掛け、その始発に乗って散歩から帰り、熟睡し、目を覚まし、珈琲を飲みながら、今は「街の眠られぬ夜に困憊して」という昨晩までに辿り着いた訳文に末尾に手を加えようかどうかあたしが考えている証拠に画面上でカーソルが点滅しているところだ。

November 6, 2011

20111106 - a song - 20

 それから泥のように眠る。
 また誰かに睫毛を切り落とされる夢を見る。背景の焦点は甘く、ソフトフォーカスのレンズを通したみたいな室内や屋外の光景が最大限に滲んでいるそのなかにあたしはいる。活気があるという訳でなければ寂寥たる印象もない、ただの郊外の街角。信号機、街路樹、自動車の移動の影、空気の色、光り、瞬き。もしくは壁際にソファ以外は何もない白い壁の部屋。やけにくっきりと見える睫毛の向こう側、そういったものの印象がそこにある。それらは物体の形を留めず、輪郭の曖昧な色の違いにまで還元されている。
 ソファは白く滲み、床のカーペットはグレーに滲み、窓の外の青が滲み、でも実はそれは個々で滲んでそうなったわけではなく、その全体を合わせてあたしが知る室内の光景が滲んだものに似ているのだと分かる。異界が適度に滲んでそれがあたしが知る部屋の印象に偶然似ている。夢の中でそんなことを思う。
 あたしはずっとそれらの焦点の甘い光景のなか浮遊している。
 目の前の睫毛だけがくっきりと見える。夢の中でも律儀に瞬きはしている。夢のなかで瞬きをして、そのあいだだけ目を覚まし、目を瞑ったまま目蓋の裏を見る。
 時折実際に目を覚まして水を飲む。どっちが夢なのか区別がつかない、と自室で起きているあいだのあたしは思う。そうして水を半分コップに残したまま、また眠りに落ちる。次に目を覚ました時にはナイトテーブル代わりの椅子のうえ、水を半分だけ残したコップから一口飲んでまた目を閉じる。
 目を閉じているあいだは夢が続く。ハサミが追いかけてくる。そこに何かがあるのだかないのだか分からない視覚のなかをあたしは走る。あたしを包んでいるのは空気ではなく色。方角といったものはなく、ただ色に呑まれたあたしの爪先が向く方向以外には前も後ろも存在しない。
 たまにその焦点の甘い光景のなか、水の入ったコップがやけにくっきりと現れて、それは夢の中の出来事で、なおかつそれはあたしの睫毛を透かした出来事だと夢の中のあたしは理解しているのだけど、夢の中では睫毛の幻影を所有することが出来ないというルールが働かないのであたしは残った一口を飲んでコップをベッド脇の椅子に戻す。
 走りながら、時に目の端に映る自分の手足も茫漠とした色の動きでしかないことに気付く。だから自分は光景なのだとあたしは思い込む。あたしは誰かに見られている自分を見ているのだと思い込む。だからあたしの体も色にまで還元されているのだと。誰かに見られている自分に与えられた肉体は色の変化や動きでしかなくなっている。あたしはそれを自分の体の内側から見ている。それともそれは外側なのだろうか。実は関係を持たない物同士を結びつけあたしはそれらを自分の内側なり外側なりと呼んでいるだけだ。
 やがて曖昧模糊とした色のバックドロップが少しずつ暗くなっていく。夜空が現れる。手前には甘い焦点の色の狂騒がそのままの明るさで残っている。その夜空はあたしが今朝樫の部屋で見た、制作途中の絵画に描かれたどこかの星の地表から見た星空だと分かる。ぼやけた地平線の上でその夜空の黒と無数の光点だけがはっきりと見える。星雲すら肉眼で捉えられる。樫がイメージしているとあたしが思っている、完全な夜空。それはまるでどこかの街の灯りを上空から眺めているようだ。
 「そう、あの絵のタイトルは『まちのあかり』というんだ」
 と樫の木が教えてくれる。
 その時あたしに追いついたハサミがあたしの睫毛を切り落とす。その後にはあたしの睫毛が残っている。それからあたしは目を覚ます。
 それからベッド脇の椅子のコップに残った一口を飲む。
 ノートパソコンの脇の携帯電話で午後四時であることを確認する。
 水筒に残った珈琲を飲みながら豆を挽いて珈琲を淹れる。
 ページ毎に何カ所か睫毛の幻影により文中の空白が埋められた翻訳原稿をぱらぱらとめくる。

November 5, 2011

20111105 - a song - 19

 二階の自室に戻り、閉じられたノートパソコンの脇に置かれたマグカップに半分残った冷めた珈琲を飲み干し、新鮮な珈琲を淹れて水筒に移し、ストラップを流しの上の収納棚から見つけて水筒をたすき掛けにする。
 天井の灯りは点けず、ナイトテーブル代わりの背もたれのない木製の椅子に置いたランプの光りが、ベージュの囲いにダークシアンの紗を重ねたシェードを透かし、カーテンに閉ざされた夜明け前の部屋を照らしている。北風を通わす冬の機械とはまた違った機構がそこで働いている。照らされることによって働く個人的な視覚の機械。
 壁際の机、その上のノートパソコン、その左脇に置かれたフェルト糸で綴じられたルーズリーフ、ノートパソコンを挟んだその逆側には冷めた珈琲を湛えたマグカップが置いてあった。日の出はまだだったけれども、ぼんやりとした光りがカーテンを透かして染み込んできて、それはシェードを通した白熱灯の光りに均されることがない。これから時間をかけて外からの光りが部屋を満たす色を均していくあたしはその前に灯りをおとす。
 四階の樫の部屋の鍵は開いている。樫はもう屋上だろうか。樫の部屋はあたしの暮らす部屋と同じ間取りだが、樫は畳の床をそのまま使っている。スニーカーを持ってベランダへと歩き出す前、玄関口から部屋を見渡した時、大きなキャンパスが壁に立てかけられていることに気付いた。高さ二メートル半、横幅四メートル程の帆布は全面黒で塗りつぶされている。
 初めに見えたのはキャンバス上で瞬く光りの点だった。それは樫の制作途中の絵だと心得ていたから、その光点はあたしの睫毛が生み出した幻影だと分かった。星空が描かれているようだが、見慣れた星座は一つもなかった。
 前にも話した通りあたしの睫毛の幻影の内側でも外側でも樫の絵に描かれていることは変わらない。だから樫は実際にどこかの星空や星雲を描いている途中なのだろう。黒い背景に打たれた白い点と同じ数だけの光点が睫毛を挟んでゆっくりと瞬いている。
 ベランダに出て、窓の横の壁に立てかけられているハシゴを登る。たすき掛けにした水筒が脇腹に当たる。
 樫は先に屋上に出ていた。午前六時より二十分前、氷である炎が東の空で溶けて群青の容器の底に貯まる。眺望というほどのものはなかったが、程よく何にも遮られずに東の空を望むことが出来たし、歩道に被さるクスノキの下を行くたまの人影や生き物の影が見えた。見上げれば晴れた空が被さっている。まだ空に見える星に目をやりながら話す。
 部屋にあった絵だけど。
 「別の星の地表から見上げた夜空をイメージして描いてるんだ」
 見ながらではないけど、と付け加える。
 見ながらだと言われてもあたしは困ってしまうだろうけど。
 あたしは水筒にコーヒーだけ入れて、マグカップを持ってくるのを忘れたことに気付く。樫の木がビールの缶を振り子みたく振って、コーヒーは要らないと伝える。
 心でしかないどこかへ、体を連れて。
 水筒の蓋から湯気立つ珈琲を飲みながら思いついた今晩の続きをあたしは口に出す。
 いいかげんそのバリエーションは、
 「止めなよ」と今度は樫の木があたしに向かって言う。
 「止めない」と今度はあたしが答える。

November 4, 2011

20111104 - a song - 18

 北風と夜明け前の街灯の明かりと視線により編まれた冬の機械の、小さな河川に掛かる橋の建物の途切れた風景が夜をその長い腕で寝かしつけている。町並みは路地の交わりで漉した夜気を掬い取り、街灯の明かりだけがその有り様を覚えていて、冬の機械がそれを再現している。冬の機械はただ北風を通すだけの機構で、北風は南に向かう。
 そんなに都合よく世界が終わっているはずもなく、街灯の明かりだけではなくこのあたしもその有り様をよく覚えていて、午前四時過ぎで、足と目の裏が痛む。冬の機械が霧散する。誰にも観測されていない姿の都会が見たいと願いながら、それは誰かと誰かの思い出話の合わさる場所にしか存在しないと考えつく。樫に話そうかと思ったが、言葉を省いた。だからそれはあたしが辛うじて見た都会の断面のひとつでしかない。
 何かについて話すために何かを省略したり増幅しようと試みた結果ある程度均された感受のなかにあたしはいて、言葉はその景色に凹凸を与える。時の景色にそぐう破片を選んで地を固め天が降るのを待つ。あたしと樫は公営住宅の最寄りの駅までの切符を買う。
 ホームでもまだ飲んでいる。見知りのバーを渡り歩いたいつかの晩の夜歩きの時よりも幾らか酔っ払っていた。
 「今日何日」
 とどちらかが聞いて前夜と二三日ずれた日付をどちらかが答える。部屋を出る時に漂っていた珈琲の匂いを思い出す。屋上に出る前に珈琲を飲んでしまおう。ウィスキーを垂らしてもいいし、また豆を挽いてもいい。その時間のために出来ることを選ぶ。そしてその時間が何のためになっているかなんて忘れてしまうにかぎる。それで省かれる手間が余計なものかどうかは分からなくとも。
 何台も電車がやってきては去る。この駅に止まりもしない。大勢の乗客を乗せてただ通過していく。あるいは何台もの電車がこの駅に止まり、人の出入りがあり、再びこの駅を発車していく。睫毛を勝手に働かせて、時間の早さを無視して目の前で進行する昼夜の風景を目の中で過ごす。
 始発がプラットホームに滑り込む。途中で寄り道をしながら一晩かけて歩いた距離を鉄道は数十分で消化する。たまに何かの儀式みたく朝の電車に乗り込む必要がある。それまでの過程がある。足の裏が痛む。
 電車を乗り換えたあと、シートの端の手すりにもたれかかりながら屋上から見える景色のことをあたしは半分眠りながら考えている。ちゃんと目を覚ますことが出来ればその光景の中に正しく辿り着くことが出来ると、半分眠りながら考えていたことを覚えている。
 駅から公営住宅に歩くあいだには空は白み始めている。だがまだ夜は明けていない。あたしと樫は少し早足で歩いた。足下が多少ふらつき、様々な方向へと早足で歩くことになった。それでもちゃんと十五分のラップライムで目的地には辿り着いた。その十五分に焦点を合わせて、まだ動けることを確認した。

November 3, 2011

20111103 - a song - 17

 午前三時半の冬の機械が薄く作動している。街灯に照らされて透明なそれが分かる。空気と色彩とほんのちょっとの繊細な音によって編まれる冬の機械のその骨組み。ただ風がそこを渡れるように組み立てられる街の仕組み。大気と同じだけの重さで絶対なのに一カ所一カ所は危うい偶然で成り立っている。あるいはあたしは物事をそのような単位でしか切り取れない。
 街灯の光に街路樹の葉の一枚一枚が照らされているのが見えてそれは表か裏かで違う色を返し、その少し下では信号のネオンがたまに色を変え、灰色の車道の黒い艶がそのバランスを支えている。そのような視線の動きが冬の機械を編む。人々の視線によって完成する季節限定の機械。透明なそれだから、特に合意が得られることもなく、ひとびとは北風を探し、中空や揺れる枝を見る。あたしの睫毛に光りが絡まるみたいに、冬の透明の機械に北風の細い糸が絡まっていく。空気が小さく渦を巻いている。それが幾つもある。北風を大気から呼び込んでその場の状況に応じて透明な光りの糸を紡ぐ冬の機械。質感の機械。
 一瞬一瞬では止まっていて、時間を通して見れば動いている。それは嘘で、それが静止しているように見える一瞬をあたしは捉えられずにいる。これからもそれが出来るようになるとは思えない。それはただ呼吸のサイクル毎に注意時間を定めるのと同じことで、呼気から数えるか吸気から数えるかできっと少しずつ時間の印象は異なっていく。そのような瞬間を重ねていく。
 都会の一瞬一瞬をそのように足の裏で捉えていく。夜気に涼む。季節が花を添える。彩りが時刻を添える。そうして身の回りの品々に呼吸が戻っていく。街灯に馴れる夜の景色みたいに。
 ビールを何本か飲んで既に酔っ払う。自動販売機を見つける毎に缶珈琲を買うのと同じペースで、コンビニでビールを買っている。空き缶はコンビニ前に置かれたゴミ箱に分別して捨てる。あるいは途中で通り過ぎた自動販売機の隣に置かれたプラスチックの箱に放る。始発に乗る時くらいは酔っ払っていたいという人情が働いたか、結局は飲んでいる。夜を過ぎた格好で朝を通り過ぎるために。季節と同じように儀礼的に、夜の習性のなかあたしは腕時計を持たずに。
 酔うと睫毛の幻影は弱まる。この街の歩道に挟まれた運河として車道を沈めていた水は排水孔からさらに沈み、この都会の地下を水浸しにする。それすらも睫毛の働きで、つまりはあたしは自分自身をさらに巧妙に騙しているだけだ。あたしの足の裏、地面を隔てた場所で盛大に水しぶきが上がっている。あたしはその分の処理を余分に行っている。呼吸の隙間をふと見つめるのと同じように、ひとつのペースのなかに含まれるペースを穏やかに見つめる。空は雲一つない空、月の全部が見えていてその半分だけが光っている、それみたいに。

November 2, 2011

20111102 - a song - 16

 繁華街まで辿り着き始発を待つ。何駅か巡るうちに、だいたいそのようなペースを見つけた。
 駅ビルのシャッターを脇に通り過ぎて切符だけ買ってホームで延々と始発を待つ時間、そこに焦点を合わせて散歩を続けた。あたしが自分に対して設定したそのような目まぐるしさの程度と、自動販売機の前を通りかかるベースが重なり、あたしは何故か目を覚ましていた。缶珈琲を消費しながらその晩がどれだけ遠いのかを測ろうとした。それを言い表すための言葉を探そうとした。まだ自分が理解していないことを正確に言い表すための言葉を先にあたしは探そうとしていた。
 どこの店にも立ち寄らなかった。途中のコンビニでそれぞれ一本ビールを買っただけだ。あとは脇道をかわし近道をかわし、ただ愚直に歩き続けた。その晩に起こっている騒ぎの全てを見逃すことをいつも惜しいと思う。それから我に返る。解けている靴紐を結び直す。何度か転びそうになり、壁に手をつき、手の平がブロック塀の石の粗い粒子に触れる。その感触をこの街のものだと同定する。アスファルトにまでその感覚を伸ばす。そのようにして路面の様子を掴む。足下はだいぶおろそかになる。
 その晩はあたしと樫は歩くことによってこの街を描写する方法を得た。足の裏をいつも場所の名前がノックしていた。だいたいの時はそのことさえ殆ど意識されなかった。場所の名前と記憶があまり上手に結びつかない。どこも似たようなもんなのだと思う。だからあたしたちが歩いていたその晩も結局はどこも似たようなもんだったのだと思う。あたしたちは目の前の風景を更新し続けた。時速四キロメートルでのろのろと地表すれすれを滑空した。そのあいだに何度か足をつき、肢体のバランスを整え、その次もまた一歩と呼んだ。
 疲れている時には睫毛の活動は活発になりがちだ。幻影のソフトドリンクの自動販売機が配置され、その取りそろえも充分妥当なものと思える。まるであたしが何を買いたいか知っているかのように。あたしはまだ自分が何を買いたいか知らないのに。街の一角がまるごと消え失せてそこにはない横道の幻影が見えるということも希にだがある。そこに実際にある街の寝姿がちゃんと見えて、それが幻影であることが分かる。
 そこにない駅が見えてそこにない線路が敷かれて、そこにない乗客を乗せたそこにない電車がまだそこにない場所とここを同時に目指して走っていく。
 あたしが翻訳を任された原稿にはそこにはない単語があたしの幻影として平然と浮かんでいる。
 午前三時半にはあと一駅分も歩けば繁華街に辿り着くというところまで来ていた。特に何をするというあてもなかったが、駅近くの終夜営業のカフェにでも入ってアイスコーヒーでも頼もうかと思っていた。だがそこに辿りつくための最後の直線を歩き始めたあたりからビールの割合が珈琲よりも多くなり始める。

November 1, 2011

20111101 - a song - 15

 散歩中に耳が利かなくなることがある。それはいつもイヤホンの空白の内側に逃げ込んでいる弊害なのだろうけど、鼓膜を叩く空気の振動に現実感がなくそこから震動を取り払った真っさらな空気の感触ばかりを計り直している。聞こえなくなった耳はそれでも喧噪を感じてはいて、周囲で音が鳴っているということをあたしに伝えてくれる。雑踏の中ならば賑わっているということを教えてくれる。あたしの反応のなさがそれに対して応答している。
 「ふうん」
 ここでしかないどこかへ、などと言われて落ち着かぬだけの気分になったので、そのように自分の考えをただ言葉にしてみる。言葉の上だと何かがねじれて、何かがふと空白に触れるように感じることがある。そして、その領域は空白とは呼ばれるべきではないのだろうなと思う。いつかの晩にあたしが樫に話していた通り、それは自らを語ることによって自分を埋めていく余白をただ定めるだけの作業なのだろうなと思う。理解されることによって自らを塗りつぶすように動く空白の、真冬の機械。
 あたしも樫にならって缶珈琲を一本買う。スタジャンを着て開栓していない無糖の缶珈琲を持つあたしが街灯の真下からすこしずれた所に立っている。真夜中の街道で不意に現れた坂道、坂道はその下の歩道から少し角度をずらして垂直に切り立ち、ガードレールから垂れる蔦がその坂の存在を何となく隠している。あたしがその坂道の傾斜が始まったばかりの地点に立つ背後には夜とガードレールと蔦がバランスよく配置されている。もし三者的に見たそのような瞬間だけが記憶に残っているのだとしたらその前後にある何と何を何が繋ぐのだろうか。ファッション雑誌の撮影みたく現場の設営があり、電源が確保され、照明が設置され、露出が調整され、シャッターが押されて画像データが記録される。そして何故かモデルを演じているあたしが立っている場面だけがそこにある場合、その前後で想像される光景は何なのだろうか。誌面に収められた写真のなかでそのまま過ぎていく日常、もしくは撮影クルーの撤収シーン、どちらが現実と地続きなのだろうか。
 単調な街道を抜け商店街を経てある駅前に出る。改札はシャッターで閉ざされ、駅前のロータリーに辛うじて一台止まっているタクシーの運転手は仮眠中だ。いつのまにかそうして駅から駅を辿ることがその夜の習慣になったらしい。駅名を表示する照明の明るさだけを意識しながら歩いた。同時に他の喧しさや眩しさに見とれながら、ただきりがないということだけが歴然としていて、現にそこに開いている店の名前ひとつとってみても敢えて立ち入ろうなんて気に到底ならない、個人的な規模の時刻。
 環状線沿いの繁華街に向けて歩きながら途中で他の路線の駅に立ち寄って、それなりの距離を歩く。トレーナー一枚で出歩いていたのが、今はその上にスタジャンを羽織り、それでも寒いと感じている。主に屋内で過ごす身だが、年を追う毎に冬は長くなる。去年の冬はもっと厳しかったと自分を慰めることのないよう、ただそれだけのために。
 それとは関係無しにその夜の空気は冷たかった。
 「そこではないどこかへ」
 「そこでもないどこかへ」
 時折何かを思いつく代わりに言葉が交わされる。

October 31, 2011

20111031 - a song - 14

 珍しく午前中から活動していたその日のその晩、再び仕事に取りかかり原稿に妙なところがあることに気付いた後に、あたしは樫と再び秋の構内に降り立つ運びとなる。部屋を出た時に珈琲がまだ湯気を立てていたのを覚えている。珈琲の匂いがしていたのを覚えている。それをまるで季節の匂いみたいに感じていたことを覚えている。長い一日になりそうだと思ったことを覚えている。
 あたしのものでも樫のものでもそれともどこかの映画の中で見た物でも構わない。どれか好きな夜の場面を思い浮かべてくれればいい。そんな夜だ。実際には環状線に辿り着いたところで歩き始めることに決めた。都会の繁華のなかを移動したかったわけではない。本当にただの意味のない夜歩き。あらゆるものにうんざりしながら、言葉を失うものの前では言葉を失う。そのことを言い表す言葉を獲得するのがその時でないことを分かっているから。それは何に対してもそうなのだけど。そのような領分もある。先に言葉があるものになんて大した意味はないと多分二人とも思っていたから。狂った体内時計が正確な一秒を計り続け、狂った時計はともかく正確な一秒を共有している。その背後のメカニズムについては分からない。少なくとも今はそのように感じる。そうでなかった時は思い出せない。
 珈琲の匂いが夜の部屋を満たしていた。
 「トリック・オア・トリート」に対して、
 「トリック・オア・トリート」と返して部屋に通した。
 その晩は樫はビールを持たず、あたしの冷蔵庫を漁り始めた。缶ビールをみつけてあたしの分のプルリングもひいてくれる。あたしは原稿の妙な箇所に気付き動揺し始めていたところだったから、有り難く自分のビールを受け取った。いつもと同じようにおざなりに乾杯するふりだけする。二三口飲む。
 夜歩きに出たそうだったので、あたしがスタジャンを手に取るとビールの缶を持ったまま樫は玄関口へと移動し始めた。
 どのみちあたしも自分の部屋にいられる気がしなかった。外気が必要だった。
 電車から降りて環状線の高架下を歩きながら、通過していく電車をやり過ごす。線路に沿って歩き、時に住宅地に分け入りながら、その晩あたしと樫はずっと黙ったまま歩いていた。
 沈黙に耐えかねて「ここではないどこかへ」とあたしは言ってみる。
 「ここでしかないどこかへ」と樫の木が何かの合図を待っていたかのように答えて返す。
 そんな時にあたしは樫の木をぶん殴りたくなる。こいつはあたしの世界を終わらない広がりのなかに閉じ込めようとしている。そのように感じるから。あたしはどこかに行けると思っていた。けれどもそのどこかというのが別にどこでもいいことになる。そう考えるとあたしは解き放たれたままどこかに幽閉された気持ちになる。終わらなさの裾野、慣性だけで生々しい。
 あたしは部屋に立ちこめていた珈琲の匂いを思い出していた。樫の木は自動販売機の横を通りかかるたびにいつものように缶珈琲を一本ずつ買い、飲み終わった缶をその次の自動販売機の脇にあるゴミ箱に捨てる。終わらない珈琲が終わらない缶に詰められて終わらないゴミ箱が並んでいる。だからかどうかは分からないがその晩は樫は民家の屋根に向かって空き缶を投げ始める。
 「止めなよ」とあたしは言う。
 「止めない」と樫は答える。
 でもその場では止めるのだ。そこが樫の面白いところだと思う。

October 30, 2011

20111030 - a song - 13

 自分の睫毛と会話をした後、結局交通に入り込み環状線まで上る。いつもイヤホンで耳を塞いでいるので、街中でイヤホンを外すと自分を包んでいる音の響きに一瞬ぼうっとなる。感想した空気を通して伝わる環境音が駅の改札を出て地下街に入ろうとするところであたしを一度洗い流す。その残響音のなかを突き進む生き残ったあたしがいて、気付けばいつも通り物事の原音のなかを歩いている。つまり普通通りに街を歩いている。世界が起きていない振りをしながら。
 地下街の出入り口の一つから地下中二階の高さで横に延びる廊下を渡り、その端で地上に出る階段を上る。新宿で、ただの場所で、名前を失った景色と雑踏のなかを再びあたしは歩き出す。頭の中に入っている地図は利用する。自分がいるのはさらの都会だと捉える。その中でざわめきが止まず、何も理解できないまま全部が過ぎ去っていく。
 そりゃそうだけど。と視界に字幕が入る。
 でもここにこうして残っているものね。
 とあたしは答えて返す。
 そのような思考を行った後、ラーメンを食べ、知ってる道を歩く。時にビルの階層のなかにいて、階から階を移動している時間があり、地上階に出て、冷気に身を縮める。
 睫毛に冷気が絡みつくせいで冬の歯車が見えるのだろうか。街灯から街灯を渡る風が伝っている冬の機械。冬のあいだこの街を動かしている機械。そのようなものが見えるのは睫毛がもたらす錯覚だろうか。あたしは判定を下しかねている。
 それも儀式的なことだと気づく。慣習は更新されていくけれども、冬の機械はそのぶん入り組んで問題もなく作動している。重力の強さ、というよりは大気の重さとして完全に。儀式的というか慣例でないのならば季節とは呼ばれないだろう。だから秋が秋であることに深い意味などないのだと自分を説得する。
 それでも秋という言葉には秋という意味があり、あたしはそれを愚鈍に心ゆくまで楽しんでいる。あるものとないものがそこで出会っていて、あたしはそれをしばし引き留めるためにだけ存在する。あるものとないものの違いとして。
 夏に近い秋よりは冬に近い秋が好きで、一枚余分に来て一枚分寒いくらいの気温が好きだ。裏返しのトレーナーをTシャツに重ねて着ているだけなので少し寒いその日を少し好きだ。その残りの意味を探していて、何度も裏返り、着地点は秋で、まだ出発もしてないのにと思う。
 それが一歩一歩の出来事で、睫毛がその大半をキャンセルしている。
 キャンセルできなかった分が幻影としてこぼれている。
 あたしはそのような思考で自分に問いかけるが、返答の字幕は浮かばない。
 何はともあれキャンセルしきれているということだろう。
 だから一度ついたその溜め息をつかなかったことにする。そうして意味を背後から取り戻す。というのは溜め息をついたという事実を認めることにより、感情に時間を渡らしてそれが迂回できたと自分に伝える。そのあいだにあたしは過去と現在を頭の中で精確に行き来している。そうして自分の感情を見渡す。
 そのあいだにあたしは交通に入り込み自室に戻っている。冷気として薄く浮かぶ冬の機械に運ばれて街灯から街灯へ夜道を頼りに家路を辿る。公営住宅の階段を上り始めた時点であたしの散歩は終わっている。静かな気持ちで階段を上る。二階の自室の扉を開く。その部屋はあたしが出入りする時にだけ目を覚ます。あとは灯りを点けても眠ったままの部屋のなかであたしはポリエチレン製のトートバッグを床に置いて伸びをする。

October 29, 2011

20111029 - a song - 12

 自分がいる時だけこの部屋は都会の一部でなくなり、自分のいない時のこの部屋は都会の一部となる。あたしはこの部屋をこの部屋以外のどこかで見たことがある。フローリングの床は自分で八畳分の畳を剝がし細長い板材を敷き詰めて作った。剝がした畳を積み重ねたものにタオルケットとクロスを巻いたものをマットレスとしている。その上に分厚い布団のマットを敷いてベッドと呼んでいる。あたしはこの部屋が定まった形を持っていることを何故か感謝している。その何故かというのをあたしはこの物語のなかで順を追って遠回りに説明しようとしている。
 その日未明の散歩中に考えていた通りあたしはこれまであたしが見聞きしてきたもののパッチワークだ。あたしは精神や記憶を物質のようなものとして考えてきた。それは自分の体の一部ではなく、外に存在し触ろうと思えば触れるものだと考えていた。あたしが睫毛が見せる幻影に手を触れることができたという事実がそれを助長した。事実としてあたしの記憶はあたしの体の形をしてそこにある。
 記憶でもなんでもいいからともかく目の前の仕事に取りかかるという記憶にすることにして机に向かう。手書きの英文の読解は内容の複雑さもさることながらそれが筆記体で書かれているということが一番の難関となった。読解よりも解読に時間が掛かった。自分の訳文を見てみて意味が通じているようないないような日本語がそこにあるのだが、それは原文がそのような文章なのだろうと考えて翻訳を進める。この時点ではまだその原稿の妙な箇所には気付いていない。
 いつもと同じようにあたしはノートパソコンに向かいその半分の時間は動きのなかで眠っている。残りは静止のなかで起きている。仕事は順調に進む。途中で果物を剥いて食べた。いつもと同じだ。でもそのいつもと同じという感情をいつ感じ始めたのかは覚えていないが、それはまだ知らない感情やまだ見聞きしたことのない出来事から成っている。
 あたしは空白によりそのように取り扱われている。そのような自分を扱うことによってあたしは空白に触れようとしている。
 午睡から目を覚ます。夕食にしても良い時間だが空腹感がない。映画でも見に行こうかと身支度を調える。冷気の心地よい夜で、景色の質感で冬が近いことが分かった。街灯の下、街は商業の軒を連ねながら歩道を挟んで街路樹が建ち並び、そこに茂る葉が車道を覆っている。風が電灯から電灯を渡る。冬にはその仕組みの骨子が浮かんでいそうな気がする。乾燥した空気を透かして鮮明になった歩道からの景色が、車道に被さる街路樹とそれを内側から照らす街灯の列になる。
 駅近くの映画館で次に上映が開始される映画のチケットを買う。
 睫毛は映画の字幕を使って話しかけてくる。睫毛の言葉と映画の字幕としてスクリーンに映写されているものの区別は付けることができるし、その両方を同時に見ることができる。
 「久しぶりね。元気そう」
 と睫毛は字幕を使ってあたしに話しかけてくる。
 その時には実際には、
 「2009年シアトルで起きた
  あの事件については」
 と映写されている。
 次の、
 「話したいことが沢山ある」
 は冒頭の俳優のナレーションの字幕をそのまま使う。
 そのようにしてあたしは自分の睫毛と会話をする。

October 28, 2011

20111028 - a song - 11

 目を閉じて時の流れに焦点を合わせたままあたしはシーツの上に曳き止められ、眠りに落ちる。
 また誰かに睫毛を切り落とされる夢を見ながら、あたしはそれを夢だと気付いている。ステンレス製の銀のプレインなハサミのその艶がその夢の中、あたしの睫毛の見せる幻影として見えている。誰かがそれを持つことさえせずにハサミを開いたり閉じたりしている。夢のなかであたしは気付いている。その誰かがあたしの睫毛を切り終えた時に、ハサミも、そしてそのハサミを開閉していた誰かもあたしの睫毛と共にすでにそこから姿を消していることを。
 そして目を覚まし目蓋を閉ざしたまま考える。今日は昨日の続き。昨日がいつだったかは覚えていない。昨日がいつだったかを思い出すためにあたしは目を開き、上半身を起こす。毛布を下半身に絡めたまましばらく呼吸を意識して行う。自分が息を吸っているのだか吐いているのだかその都度判断して呼気と吸気を数え呼吸のサイクルが定まるまで待つ。
 同じ作業を目蓋に対しても行う。
 目蓋を上げたり下ろしたりしてその都度自分が目を閉じているのか開いているのか確認する。そのようにして何度か瞬きを繰り返し自分が目蓋が上がっている時に自分の目が開いていることを確認する。というのもあたしの厄介な睫毛のせいで目を開いているときにも目蓋の裏の景色が見えることがあるのだ。
 他人と共有可能な現実と自分にしか見えないものの区別は付くとは話した通りだが、起き抜けには現実と幻影を見分けられずに幻影としてそこに浮かんでいる歯ブラシやコップを手に取ってしまうことがある。すると部屋が水で満たされていて、その水槽のなかにいるあたしはコップでその水の一部をすくい取り、口に運ぶ。しかし目には見えて手で触れることはできてもそれを所有することは出来ないというルールが働いて、コップですくわれた分の水が唇に触れた瞬間に部屋中で水位が下がりどこかからどこかへ向けて飛沫が上がり、盛大な音を立てて一秒先一秒先へと床から水が沈んでいく。幻影だと分かりながらも目を丸くしてその様子を見ているあたしの左手にはまだ水の残ったグラス、右手には歯ブラシが握られているが、それらも程なくして消える。
 自分が目を開いていることを確認する時、あたしはまだベッドで半身を起こした姿勢のままだ。
 昼夜の別がなくなり時刻だけが残るとか抜かす割りにはあたしの部屋には時計がない。カーテンの少し壁から浮いた部分から差し込む日射しの色と角度でおおよそ午前十一時から正午のあいだだろうと見当をつける。まだ寝ぼけているあたしはその陽の光がカーテンを壁から浮かせているのだろうと信じて疑わない。後からノートパソコンを開き時刻を確認して、それが予測した時間よりも遅ければあたしは自分が長くベッドに居すぎたと思うだろうし、予測した時間よりも早ければベッドから抜け出るのが早かったと飲み下す。
 でもそれもベッドから抜け出てコーヒーを淹れたあとの話だ。特に予定がないと分かっている日に、起きてすぐに時刻を確認する必要はない。あたしは特に予定がなかったかどうか思い出そうとする。その時点ではまだベッドで半身を起こしたままだ。起きてからまだ三分も経っていない。
 トレーナーが脱ぎ捨てられた格好のまま床に突っ伏している。普段は裏返しに着ているグレーのトレーナーだ。粗い斜線で見た目の色が表現されそうなグレーの表面が所々で折れ曲がり、少し崩れた砂の城を思わせるシルエットで床から立ち上がっている。昨晩というかその日の未明に散歩していたことを思い出す。そこに焦点を合わせる。
 そのトレーナーが腰回りの裾があたしの腰の高さまで持ち上がり、上半身だけ着衣した薄っぺらい透明人間が、広げた両手を床についてストレッチをする。襟首が内側へと巻き込まれ始め、肩口から胸元そして腹、両腕、手首の裾がその後に続く。裏返ったトレーナーが丁度あたしの肩の高さで空中にぶら下がる。それが水平に回転する途中で夕立が刺繍された襟元のタグが見える。それだけ見せてからそれは裏返しのまま再び地面に崩れ落ちる。あたしが上着の類、袖を通すものを脱ぐときには例外も完膚もなくそれらは裏返しになる。そして幻影が終わり現実のトレーナーが今目の前で裏返しになって地面に落ちているということはあたしはそれを昨晩着ていなかったのだ。洗濯したあとにベランダで干し取り込んだあと、焦げ茶色の衣装棚にしまう前に落としてしまったのだろう。
 昨日の散歩に着て行ったスタジャンはあたしの下半身に絡まる毛布に埋もれている。両脚を毛布のしたで伸ばしてそれを皺のついたジャンパーを引き出す。それをベッドの脇に置いて、立ち上がり珈琲を淹れる。
 でもそれもシャワーを浴び、睫毛を拭ってからの話だ。
 トレーナーを着て散歩から戻ったばかりみたいな振りをしながらノートパソコンのスペースキーを叩いて電気を通す。
 スクリーンの右上の時計によれば十時少し過ぎ。
 すると無糖の珈琲が少し甘く感じられる。

October 27, 2011

20111027 - a song - 10

 仕事の合間を縫って深夜、公営住宅の周囲を散歩する。
 二十七にもなり定職につかずただ街をふらついている。
 フリーランスの翻訳家として生計を立てつつ、機会がある毎に様々な場所に顔を出す。音楽がかかり、酒が振る舞われ、誰かが踊っている。あるいは仕事で回ってきた英語の文章とそれが紹介している作品の画像と顔を付き合わせる。そこから誰かと何を共有しているのかは分からないまま、ただ何かを共有したのだという甘やかな記憶だけが漠然と連ねられていく。
 いつしか夜と昼の区別がなくなり時刻だけが存在するようになる。個人的な伝説や神話に自分の記憶の一部分を預ける。あたし自身が誰かの人生の記憶の一部分を担っているということもあるかも知れない。それでも自分が何を受け持っているのかは分からず、人の気持ちを理解することよりも文化的な形象を理解することの方が大事だと思い込むことがありそれが過ちであったと後になり気付く。感受と消費の境目が曖昧になる。
 誰かがそこにいるということの方が本当は重要なのに、作り手も受け手も既成の文化の枠に人格を乗っ取られる。みんながみんなそうでないということも分かっている。理解され、理解するための手続きとして、細分化を続ける表現の枠組みの重要さは理解しているつもりだ。達成の目印として、符号を符号として伝えるものとして、ともかくはある一つの文化と認識されているものの大切さも分かる。その中で培われた伝統は後進の世代に受け継がれ、時代や社会のなかで新たな化学反応を生み出す。特に何者でもないあたしだってそうした様々な文化的な形象のパッチワークとして存在している。そうして存在しているのは楽で心地よいが、それに対する憎悪が同時に育つ。だから都会でのあたしのつつましやかな活動の根源には自分が見聞きして感じて来たものに対する愛着と憎悪の両方がある。
 あたしはそのような枠組みから自由になりたいとずっと思ってきた。
 それでも共感を求めてしまう。
 それがあたしの抱える矛盾で、それが唯一のものでなければ、最大のものでもない。
 あたしや樫が都会にこだわるのはそのような理由からではないかと思う。動きを動きとして捉え、それを動きのなかで動きとして表現できれば膠着は避けられる。
 公営住宅の周囲はさほど賑わっているわけではなく、郊外と呼んでも差し障りはない。最寄りの駅まで歩いて十五分、そこから街の環状線に辿り着くまで三十分弱。自転車を持っているが、駅までは歩くことのほうが好きだ。自転車に乗っていると睫毛の作り出す幻影が何故か活発なものとなる。そのせいで通行人やガードレールやブロック塀に衝突したりすることはないが、余分な神経を使う。
 深夜に一人歩きしている時には人混みという言葉に焦点を合わせることができないから、夜風だとかに焦点を合わせることになる。あるいは自分の足音だとか鼓動だとか衣擦れだとか呼吸だとか瞬きだとか。あるいは地球の自転だとか公転だとか焦点を合わせる。そんなことが出来るのは夜の一人歩きの時だけだ。そうしてゆったりと歩く。
 けれども結局あたしの焦点はいつでもあたしの睫毛に合わさっていることをあたしは知っている。そしてあたしの睫毛はあたしの考えていることを考え、あたしは睫毛があたしに見せることを選んでいるものを見ている。だからあたしは本当は物凄い近眼で、ずっと遠くに実際にありずっと遠くに見えているものすら結局は自分の頭の中にあるのだと知っている。時代だとか文化だとか環境だとかから自由になりたいと威勢よく言ってみたところで、あたしが逃れることのできない個人的な檻はいつでも目の前にある。
 午前四時過ぎに自室に戻り、まださほど疲れも感じないまま仕事を放ってベッドに体を投げ出し目を閉じる。
 そうした折りにだけ、運が良ければ、時の流れに焦点を合わせることができる。

October 26, 2011

20111026 - a song - 9

 そのような生活のなかで言葉なり意味なりを憎む理由を見つけながらも、あたしは持ち帰った原稿の翻訳を日々続ける。
 趣味で英詩を書くものの、いわゆるクリエイティヴライティングはあたしの専門ではない。けれどもあたしの頭のどこかで自分は都会を新しく書く方法を探しているのだと感じる。都会が都会的なものとしてすでにそこに実際に存在している以上それは達成不可能な目標ではないような気がする。
 目の前にすでに建物や景色として実現され、どうにか自分の理解が及ぶと思えるものは、自分がとりこぼしたものだと思うことにしている。それは自分の仕事ではなかったのだと。
 公営住宅に越して来てからたぶん四年、そこで自分が立ち止まり重複して体験したように感じる時間を足した朧気な五六年間をあたしはそのような作業に従事しながら過ごしてきた。
 人間の意識も自然現象の一つであることを認めるのならば、文明が自然のカテゴリーから除外されるのはどこか自然ではないとあたしは感じる。都会を都会の秩序から切り離して考えたいが、例えあたしが草原や密林のなかで暮らしていても従わざるを得ないルールは存在するだろう。知りつつ、あたしと樫は慣習に染まっていない都会の見え方を探そうと徒労を重ねている。
 あたしや樫は一日のある時間の切れ端のなかで立ち止まりながらきっとそのような徒労をまたもう一度とまたもう一度と積み重ねてきた。目の前のものが名前を失い、そのついでに束の間消え去ろうとする自分自身のその立ちくらみを保存する。
 あたしが人混みという言葉に自分を預けてクルーズコントロールで街を歩き、自分の外を流れていく雑踏を自分の一部として捉える時のように。
 それをあたしは主に英語から日本語に翻訳するという作業のなか言葉を選んでいくという行為に落とし込み、樫は絵筆を選ぶところから始めて絵を描くという行為に含まれる諸々の手順の一つ一つを定めていく上で留意する点として保とうとしている。そうして自分の人生の感想に染められていない体験の痕跡を自身の人生の文脈の内側で再現しようと試みる。あたしの訳語がやはり前後の文脈に従わなければならないのと同じだ。
 自分がいない時にこの街はどう見えているのか。
 例えそれが掴めたとしても、それだけでは街を新しく描写するためには足りない。
 そこで立ち止まらず、自分を除いたこの街を自分からさらに差し引いて、そこに残っているものがそれ自身を語り、それ自身を埋めてしまうための余白。そんな場所にいたいねと樫と言葉を交わす。そんな余白はどうにかそれ自身を語るための言葉に塗りつぶされ、余白ではなくなってしまうのだけど。
 「結局はそれが俺たちの理解できる範囲だからな」
 フローリングの床に胡座をかき、半分ばかりビールの残った瓶の口をつまみ膝の上で振りながら樫の木が言う。あたしは樫の木の言い分に頷くことにより樫の木がまだ言ってないことに対して頷いている。樫の木がそんなことを言うのは、それが限界ではないと樫の木が何故か容易く知っていると分かるから。
 その向こう側に対してあたしは頷いている。
 樫の木は瓶の口近くをつまみ、瓶を振り子みたく回し続ける。瓶のなかで泳いでいるビールの重みが分かる。
 あたしの理解や先入観や幻想の肩代わりをする睫毛があたしにそのように伝えている。
 そして、先に述べた通り、いま目の前にいる樫の木に関して少しでも理解が及ぶと感じる部分に関しては、あたしがあたしを構築するうえで既にとりこぼしてしまったものだと思うことにしている。特に誰ということもないあたしの代わりに既にそこにあるものとして。
 あたしはあたし自身についても同じように考える。あたしはすでにここで実現されていると感じるあたしを自分が既にとりこぼしたものとして認める。ここにあると分かるすべてのものは既に失われたものだ。そしてあたしはその余白が自分自身を語るに任せる。
 樫と午前三時くらいまでそんな話をして、そのまま九時過ぎまで集中して翻訳を進める。それからシャワーを浴び、頭にタオルを巻いたまま睫毛用のタオルで睫毛を拭う。
 窓の外、午前十時の町並みが広がる。二階の窓だから眺めはよくない。あたしの理解の及ばないものが何かを語りかけようとしている。あたしはさきほど樫に対してそうしたように、それらに対してただ頷いて返す。
 そしてあたしはひとつ確かな瞬きをする。
 あたしの睫毛があたしに対して頷くように。

October 25, 2011

20111025 - a song - 8

 それから知り合いのアンナという編集者からその原稿を受け取るまでの数時間は濁流だった。誰かの笑い声が書き文字の効果音として見えた。見たことのない生物がその場の状況からひねり出され、電車のなかを漂い、窓の外に出ようとして鏡につかえて透明に戻った。車内で見かける中吊り広告内の雑誌名や商標やロゴはすべて別のものに置き換わっていた。駅の名前が別のものに置き換わるということはなかった。
 ロングカーディガンの右ポケットからケーブルが延び途中で二本に分かれた先でイヤホンがあたしの両耳に挿さっている。スニーカーの踵は踏んだままだ。
 電車を降り人混みの中を歩き始める。焦点を変えて目まぐるしさを自分で定め、体の動きをそれに合わせて調節する。例えば漠然と人混みという言葉に焦点を合わせて、その目まぐるしさを意識して動く。頭のなかに地図が入っているのならば駅の構内や駅近くの繁華街を人混みにのって自分の歩みをクルーズコントロールするのは簡単だ。人を避ける注意力と道を譲る方向の選択、なるだけスムースに、それだけを即興で行いながら、人の残した動線の記憶の内側から夜の街を見て、あたしの人生の感想や文脈の外側でこれは一体どんなものだろうと考える。
 「これなんだけど」
 あたしが辿り着いた先でアンナは言う。A4サイズのルーズリーフの表裏にびっしりと英文が筆記体で手書きされている。百枚くらいだろうと目算をつける。確認して中味を封筒に戻す。
 なるべく早くでお願いね。
 「これですか」
 と後で自室に戻ったあたしは意味もなく口にしてみる。それから夜間の作業に備えて珈琲を淹れる。
 原稿を受け取った後、アンナが机ひとつ分の空間を間借りしている事務所で珈琲を飲みながらしばらく話し込む。あたしはアンナの編成する書籍制作チームで翻訳や英語での渉外を担当している。
 アンナはこの前のパターン集の入稿の打ち上げで訪れたバーで出会った男と付き合い始めたと言う。
 それからそれぞれ自分の主観について一通りのろけた後あたしはオフィスを後にする。
 帰り道、コンビニでモンブランを買う。部屋に戻り一息ついて珈琲豆を切らしていることに気付き自転車に乗って最寄りのスーパーまで出掛ける。午後十一時の閉店にぎりぎり間に合った。再度自室に戻り、鞄から原稿の入った封筒を取り出し一言呟いてから珈琲を淹れ、ノートパソコンは閉じたままようやくモンブランにありつく。
 公営住宅に越して来て何回目の秋だろうかと考える。五回目、いや六回目、もし重複しているのならどの年を重複して数えているのだろうか。あたしが二十四になったあの年だろうか。それともあたしが二十五になったあの年だろうか。それともそこにはなかった年を勝手に付け加えているだけだろうか。あるいはそんなに深刻な内実はなく、単に表に浮かび上がる数字が違っているだけか。
 深夜過ぎに仕事を始めた三十分後に樫が現れて一杯やろうと言い出す。
 あたしの部屋は二階で樫の部屋は四階だ。瓶ビールを二本、指に挟んでいる。仕事を切り上げてきたのだろう。手にインクがついたままだ。
 あたしがここに越してきてから何回目の秋だっけね。
 唐突にそう問いかけてみる。
 「それ去年も言ってたよ」
 と言いつつ部屋のなかに入ってくる。瓶を一本受け取り、乾杯の振りをする。
 じゃあ去年は何度目の秋だったんだろうね。
 さあね。
 それから何度目の秋か定まらないのは、どれか特定の年を無意識的に重複して数えているせいか、それとも表に現れる数字が違うせいなのか、ということを話してみた。重複して数えているのは何故か。それとも一日単位で重複して数えている日が幾つも散らばって毎年あり、それが溜まって一年分の余分な感慨となり目の前でわだかまったような気持ちになっているのか。それとも一日や一週間の特定の時間を重複して噛みしめる習慣をいつしかあたしたちは身につけ、そんな時間がたまりにたまって一年分になっているとか。
 「だから人がどうやって今という時間を共有しているのかが分からない」
 「共有されているのは今っていう時間じゃなくて言葉の方だろ」
 樫が答える。
 「そのせいで言葉を嫌いになることはない?」

October 24, 2011

20111024 - a song - 7

 プールなどで泳ぐ時にはこの現象は起きない。景色みたいにその匂いが漂っている塩素に光りの契機が失われる。風呂ではたまに湯が光る。
 浴槽につかる。膝を曲げ、腰を沈め、湯が背筋を辿り首元を包む。シャンプーとコンディショナーの赤い容器、石鹸、スポンジ、それを乗っけているアルミ製の金網のカゴが吸盤で壁のタイルに固定されている。顎まで浸かる。風呂の電灯は消えている。
 少し深めに息を吸い込んで頬、耳たぶ、耳、鼻、と沈めていく。左目を閉じて、少し顔を傾け、左の睫毛だけを湯に漬ける。ほとんど溺れそうな状態だが、右目は薄く開いたまま保つ。すると浴槽の水に電気が通い、あたしの睫毛の一本一本の毛先から幾つもの色で様々な形の反応が起きるのが見える。ネオン、インク、青白い電流、それぞれ染み渡り、早回しの記憶みたく場面が展開する。塗装の落ちた窓枠やポストや地面の高さから見上げた信号や電線やそれと同じ色で所々で折れ曲がる細い枝やソファの焦げ茶の布地や毛羽立ったカーペットやリコリスのプリントされたカーテンの裾がトゥーンシェーディングめいた質感で重なって入り混じり、角度を変えながら明滅する。光りの色で時間帯やら電球の種類などが分かる。早回しの風景はいちどきに数々の空気感を呼び込み、現実感を強めるだか弱めるだかして、湯船の底に膝を立てて座りながら、あたしはあたしの両足が自分の体重を支えているみたいに緊張しているのを感じる。湯が光り湯気を仄かにライトアップする。シャワーカーテンが光りと蒸気に濡れている。眉毛から下のほんの小さな要塞をあたしは湯の表面と右目のあいだに保つ。鼻から漏れた息は泡の抵抗に受け止められる。あんまり長い時間その体勢を取っているのも辛いし、息もそんなに長くは持たない。
 その後は湯を半分抜いて三十分ばかり半身浴をして体中から汗を流す。
 そうしてようやく眠気が訪れる。
 髪の毛をタオルで拭いながら、コップの水を飲み干す。すでに八時を回っている。
 睫毛を拭く用のタオルを鏡台の引き出しから取り出す。
 ハンカチや余った薄い布の切れ端を四センチメートル四方に切りそれを二つ折りにして三つの辺を縫う。長辺四センチ短辺二センチの長方形の布。小人用のタオルみたいな形をしたそれを百枚くらい作り、漆器調の小箱のなかに畳んで重ねてある。使い終わった睫毛用のタオルは台所の隅に用意したザルに放り込んで、九十枚くらい溜まったところでまとめて衣服用の洗剤で手洗いし、机に並べて乾かす。その時にはノートパソコンとA4サイズのノートと何冊かの本をベッドに逃がさなければならない。コーヒーカップは手で持つ。そのあいだは仕事が出来ない、と言い訳も出来ないのでベッドで伸ばした足の上にノートパソコンを開いて作業をする。
 左右それぞれ一枚ずつタオルを使う。
 そのまま眠らずにいたいのだが眠気が勝つ。眠くなればなるほど眠りたくなくなる。三時頃に目を覚まし起き抜けにそんなことを思う。
 メールをチェックする。友人が借りている事務所まで翻訳原稿を受け取りにいかなければならない、とその朝に思い出し損ねた予定を確認する。ノートパソコンの脇にはアクティブスピーカーが原風景みたく置かれている。トーストを一枚、目玉焼きを一つ、フライパンで温めた缶詰入りの豆を一枚の皿に盛る。楽をしたい時にはいつもそのメニューで済ます。ベーコンとトマトは切らしている。そうこうしているうちに五時になる。街に灯りがともり始める。常套句だけをかいつまんで話している。
 髪の毛をまとめ白のYシャツに青のロングカーディガンを重ねる。下はよれよれのジーンズだが気にしない。キャンパス地のスニーカーの踵をつぶして履く。
 蒸す夜でカーディガンが少し暑かった。駅まで十五分歩く間、湿気と寝不足のせいなのか睫毛も上手く機能していなかった。比較的穏やかな自分の視界のなかをあたしは歩いた。そのせいで注意散漫になり、駅の券売機の横に何故か設えられた鏡にあたしの姿が映らないことを確かめるまでそれが幻影だと言うことに気が付かなかった。

October 23, 2011

20111023 - a song - 6

 情報が表層を均したうえで内容を分類しひとつの時代に於ける感情の置き場所を定めた。薄暗い時代を経て遂に何も見えなくなりあれこれ感情を指示する既存の言葉からようやく抜け出しつつあるとひとり感じる。あたしは翻訳作業をそのようなところに留意しながら進める。英文和訳が主で和文英訳の仕事が回ってくるときもある。趣味で英詩を書くが、それを誰かに見せたことはない。
 幻影に慣れるためには感情を抑えることを覚えなければならなかった。睫毛が伸びたのは六歳の頃だったが、自分にしか見えていないものにいちいち反応していたらまともな社会生活は送れないと子供ながらに理解していたのだろう。教室の机の引き出しから砂が溢れ、黒板に太陽が映り、五月なのに蝉の鳴き声がして、清く正しく机に向かっている総勢三十名の生徒に囲まれ、教室の出入り口からは笹の葉が飛び出し、背後のロッカーにはまた別の三十名の生徒が入っていて、弁当箱の中に弁当箱が入っているのが分かり、つまり弁当箱が弁当箱に入っているだけだと分かった。
 そこに実際にあったものは教室と机と黒板と総勢三十名だけの小学生と五月のそよ風と出入り口とロッカーと、弁当箱のなかに入っていない弁当箱だけだった。そのようにいつも区別をつけた。訓練というほどの訓練は要らなかった。六歳児の常識がなんぼのもんじゃと思いはするが、その感覚と共に育ったのだからそのような心がけを定めた幼い自分にそれとはなしに感謝している。
 結局始発で帰った朝は公営住宅の屋上に上り日の出を見るという儀式を行うことができなかった。その時期の日の出は六時少し前で、少し余裕を持って公営住宅に帰りつくことはできたのだが、樫はそのまま自分の部屋に戻ってしまった。自室に戻ったあたしは髪の毛を下ろし三つ編みを解いて、トレーナーを脱ぎ捨てTシャツのままベッドに横になる。締切の近い案件はなかったか考える振りをしたがその分の記憶はメールの受信フォルダに預けたままだ。
 部屋の壁がゆっくりと伸縮して呼吸しているのが分かる。テーブルの足には階下から届いた蔦が絡みついて上り、八時間以上は放っておかれたままであろう珈琲にありつこうとしている。長方形の木片が敷き詰められたの床にはところどころ雑草が生えていて、それはいつものことで、寝起きの運動代わりに草むしりをすることもある。床にはファッション雑誌や音楽誌、あとは漫画本が積まれている。焦げ茶色のタンスにはあたしの持つ衣装がそれらがそうされるべく整頓されて収納されている。
 例えば古着屋で見つけた黒いシャツスカート、逆さになった桜ん坊がプリントされていて1960年代後半のBIBAの製品ぽく見えるがボタンの形が違う。自分で肩パッドをいれてシルエットをそれらしく調整した。あるいはフリマで買った、あたしにはその名前を言い当てることの出来ない花の白いシルエットのパターンが乗った赤褐色のナイロンのスモック。その袖に、縦に三つボタンを縫い付けた。
 あたしの睫毛は人々が着る服にそこにはないプリントを重ねる。中学生くらいの頃からその模様をスケッチブックに写し始めた。睫毛はあたしの経験や視覚への刺激の強度を視覚化する。あたしの睫毛は時代により成形され、あたしの視界をアレンジする。自分の無意識によりアレンジされたものを自分で受け取りながら、現実は現実で噛みしめる。あたしはこの街で始終感電しているような状態が好きだった。沸騰でも延焼でもなく単なる感電。
 この街の視覚や空気が生み出す空電を拾いあたしの睫毛は働いていた。
 眠れないままあたしは体を起こす。透明のコップに水を注ぐ。
 たまにこんなことをして遊ぶ。
 そのコップに睫毛を一本だけ抜いて浮かべる。
 睫毛は水面の真ん中あたりでくるくると回転し、そこから色が溶けて落ちる。
 ネオンのように、インクのように、稲光のように、様々な色や模様が水を透明なまま染める。水を内側から照らす。コップを形作るガラスに光りが反射する。その光りがコップを覗き込むあたしの肌を染める。部屋のあちこちにその微かな染みが浮かび、その模様は中空を移動するように壁面をなぞる。
 あたしは、それがコップの水面に浮かぶあたしの睫毛の実際の働きなのか、それともあたしの睫毛があたしに見せている幻影なのか分からないふりをする。

October 22, 2011

20111022 - a song - 5

 樫は独立自営のイラストレーターで自分でこまめに営業に出て取ってきた小さな仕事の一つ一つを丁寧にこなした。樫は動きを描くのが上手かった。要素の一つ一つを大事に描き、それを切り取られた変化の画像の一瞬の配置のなかに収める方法を知っていた。駅前の風景、夜のドライヴ、ひとりきりの部屋で目を閉じている誰かがその目蓋の裏で見ている光景、どこまでも続く都会のサバービア、その悪夢が悪夢ではないことを樫は知っていた。ディテイルとパース、その双方から双方を活かす術を心得ていた。一枚のキャンパスを一枚のキャンパスとして固定している視点から沸き上がった移ろいは樫の絵を見ている人を包む時の流れと同期して、いつでもそこに残った。
 樫の絵にはいつも樫自身の姿が描かれていた。人混みに含まれるひとりとして、夜の雑踏の形をした秋の空気の裾を持ち上げてどこかのバーへの階段を下りる後ろ姿として、自分の見ている風景の複雑さに途方に暮れているカメラとして、あるいは大抵はどこか寂しそうな顔をした少年として、樫はどこか隅の方から絵全体を見ていた。樫が本当に寂しいのかどうか尋ねたことはなかった。
 だって結局それは泣き言だから。
 「なあ睫毛、そんなの当たり前だろ」
 と樫は言うだろう。そしてあたしはそれが当たり前だと分かりつつも、それがどう当たり前なのか大概の時は実感できないだろう。
 「孤独を憎むことは全てを憎むことだものね」
 他の人の孤独も含めて。だからたぶん人は自分の孤独を憎んではならない。何が何でも。それしか理解の及ぶ道はない。それで実際に足りるということは決してないとわかりつつも。あたしはその残りを言葉にはしないのだけど。
 孤独を憎むことは全てを憎むことだものね。樫に応えそう話してみてそれは少なくとも論理的には多分正しいのだろうなとは思うが、言葉の意味ばかりが早まり実感が遅れる。理屈が先行し実感が伴わない。もしくは言葉のほうに実感が宿りあたしの心には何かが残らない。あたしはそれを自分のものにする方法を知らない。自分が勝手な何かを言えている気がするが、誰がそれを言っているのかが分からない。だから目の前で話している誰かの言葉を聞いて頷きながらも、誰がそれを言っているのか分からない。
 とっくに諦めていたから。そして自分が何を諦めたのかもう理解していないから。それなのにまた始めようとしているから。自分が諦めたことすら忘れてしまったものを信じることによって。無を認めることによりそれは無でなくなる。人間はそんな力を否応なしに持つ。服飾関係の仕事に就くというかつてのあたしの夢のように。あたしが翻訳作業の合間を見て暇を持て余す以外の時間を見つけた時、今でもまっ白なキャンパスに冬物のスケッチを引くことがあるように。
 樫と樫の描いた絵、あたしが先に見たのは絵の方だった。
 あたしは始めはそれを自分の睫毛が見せている幻影だと思った。自分にだけ見えている幻影と、現実として多分他の人々と何らかの意味で共有可能なものの区別がつくということは先に話した通りだ。何故かあたしは樫の描いた絵を自分の幻影として認識した。あたしはそれを誰かが時間と労力を費やし現実の土壌で描いたものだとは思えなかった。あたしはそれを睫毛を透かして見た幻影だと思った。
 そして突然視界に割り込んできた樫の木がその絵をあたしの幻影の外側にそのままの形で持ち出した時には心底驚いた。樫の肌を被う樫の木の木理は樫の内側で成長しているかのように変化しながら樫の頬をなぞり鼻筋を辿り額で渦を巻き髪の毛に逃れた。ぼさぼさの髪の毛は一本一本が繊細な枝で出来ていて、風もないのに何かにそよいでいた。
 それからゆっくりと樫はあたしの幻影から逃れて人間の皮膚を取り戻し体温を帯びた頬が赤くなっていくのを見た。あたしは温度感知器が人間を見るようにそれを見ながら、それは睫毛が見せている幻影ではなく本当にそこに誰かがいるのだと気付いた。
 それまで家族を除けばそんなことが起こることはなかった。樫は現実のものとしてそこにあり、樫の木としてあたしの幻影に割り込みその中で樫としての人格を保っていた。あたしの幻影と現実世界を行き来する樫だけれども絵を描く時は必ず人間の姿でいた。それでいてあたしが幻影として見ている物を描くのだった。そして樫はそれをあたしの外側へと持ち出す。それは現実の絵画となりどこかのギャラリーに展示されたり誰かの部屋を飾る。それはあたしの幻影に属するものだからあたしがそれを所有することは出来ない。でも樫があたしに見せてくれた絵を心から取り出し、一枚一枚を心ゆくまで眺めることはいつでもできる。だから樫はあたしが見る幻影をあたしの外で作り、それをあたしの外に持ち出す。そんなことくらいは出来て当たり前だという風に。あたしもそれを当たり前だと思うし当たり前だとは思いたくない。

October 21, 2011

20111021 - a song - 4

 六歳の春、上睫毛の長さがおよそ倍になった。
 長くなったその睫毛を透かすとそれまでに見えなかったものが見えるようになった。突然の環境の変化に戸惑いはしたが六歳の子供だ。すぐに順応した。詳しい理屈などあるのかどうかも分からない。幻影なんてそのようなものだと子供心に納得し、今でもそのままだ。
 それ以来あたしが見てきたものの大部分が幻影で、現実にあるものはその幻影を成り立たせるための書き割りとなった。
 それで特に支障があるというわけでなし、豊かだと思える内面生活を送っているので人生に不満はない。
 小学校からの帰り道に見たことのない花が咲いているのを見た。指で触れてその花弁のざらざらとした感触を確かめることはできるが、摘んでポケットにいれ家に帰り家族に見せる頃にはそれはごく有り触れたクローバーに変わっている。あたしはそのクローバーを母親から借りたコップに挿し、しばらく水道水で生けた。
 夜空を見上げると本に載っていない星座が見えた。学校の図書室では司書さんの知らぬ本が見つかった。その本を開くと見たことのない文字が並びその読み方までもが分かった。巻末をみると「持出禁止」の判子が押されていた。動物占いを試してみて「人間」と出た。
 現実が変化する、というよりは大抵の場合はそこに余分な情報が付加されるだけなので、それらの区別をつけることを怠らなければ日常生活を送る上で支障はなかった。何度も幻影の花に触れ、それを摘もうと試して失敗しながら、幻影として見えるものはその一瞬一瞬では静止していてそのあいだは自分の手で扱えるけども、それらをあたしが所有することはできないのだと理解した。
 あたしは人並みに他の人と言葉や物のやりとりをして、あるいは人並みにそれにしくじりながらも、学校に通い、友達と遊び、知識や知恵を蓄えた。かたやあたしにしか見えない本を読み、あたしにしか観ることの出来ない映画を観た。そこで蓄えた知恵もある。
 あたしにしか会えない人、というのはいない。自分を除けばの話だが、その逆だって言える。今もってあたしはあたしに会うことは出来ていない。それでいてあたしはせいぜいあたしにしか会えていない。これは敢えての悲観だ。
 そこそこの成績で大学を卒業したあとは就職もせずにぶらぶらしながら、友人から回ってくる仕事をこなし、無為徒食とは言われない程度の働きをして自活してきた。本当はアパレル関係の仕事につきたかったのだが、中途半端な語学力で翻訳の仕事を引き受けているうちに二七になった。自分にしか見えないものとそうでないもの区別をつけることは出来たが、そんな人間に服飾の仕事が適当だとも思えない。
 あたしの手は大体いつも暇を持て余し足はそれほど丈夫ではなく、山積する問題がいつも風に吹かれていた。
 化粧をする時にはなるべく睫毛はいじらないようにしている。特にビューラーで睫毛をカールアップさせるというのは御法度だ。睫毛を通した世界を見たかった。
 それでも、誰かがこの睫毛を切りに来る、そんな夢をたびたび見た。あたしの睫毛にハサミが入るところで目を覚ます。ようやく幻影から自由になったと思い、眠い目を擦ろうとした左の手の甲、親指の根元から手首にかけて細かな点の連なりが剥き出しの神経を描き、そこを流れる微弱な電流が非常な明るさで瞬いて、そのままそれは寝間着の袖口に流れ込む。
 五歳の時に結膜炎にかかった時以来、眼科の世話になったことはない。現実のものを見る視力は悪くはない。幻影を見る視力はよくなるばかりだ。他の類の医者にもかかったことはない。
 もともと目は大きい方だったので睫毛の手入れにはそれほど気を遣わずにすんだ。スクリューブラシで梳かして整えるくらいだ。あとは黒や透明のマスカラを使い分け、下向きの睫毛のアレンジを楽しむ。
 樫は現実の書き割りとあたしの睫毛があたしに見せる幻影の両方にまたがっていた。
 正確にいえば同じ樫が現実とあたしの幻覚の両方を行き来していた。
 人間である樫は、時にあたしの睫毛を透かして樫の木に変わった。それでも樫は樫の木のまま話し、樫の木のまま眠ったりして、気が付くと人間の姿に戻っている。樫がそれに気付いているのかどうかは分からなかったが、樫があたしにとって特別な存在だということは考えもせずに分かった。

October 20, 2011

20111020 - a song - 3

 電車代だけはちゃんと残してあるので午前五時前の始発に乗り込む。
 まだ夜は明けていない。この季節の日の出はおおよそ六時前後だとあたしも樫も心得ているから慌てることはない。火曜の朝だったけど時間が時間なので環状線の駅の構内にも車内にも人影はまばらで、季節からも時刻からも切り離された時の流れが電車の座席の形をして並んでいる。
 あたしはまばたき一つでその座席を電鉄の車両に見立てる。吊革をぶら下げる金属のパイプを線路に定め、交通を内側へ内側へと引き込もうとする。街はあたしの心のなかを移動している。あたしは夢見がちで現実離れしていて、本当は夢さえも現実のなかで見られるものだから足下がおぼつかない。
 あたしの睫毛はあたしを目の中に閉じ込める鉄格子みたいなものだ。目で見るものを手で触れて感じることまではできる。でもそれは睫毛に引っかかってしまい、ポケットに入れることは出来ない。そんなものも当然ある。あたしが座っている座席が電車の車両そのものであるはずはないのだし、あたしが足を投げ出して座っているシートが吊革のレールに沿って走っているわけはない。あたしが外からそれらを自分の好みのサイズで眺めているわけでもない。何かを抱きしめようとして結局は鉄格子めいた睫毛を抱きしめていることになる。睫毛に絡みつき、減速し、カーブを切り、不可能な方向から寄せた光りがあたしの視界を奪う。あたしの視界はこの街を通り過ぎた様々な時間や視角の残映に奪われている。
 ふとあたしは自分がこの街にやって来た頃を思い出す。
 と話し始めたいところだが、あたしはこの街の生まれだ。
 けれども自分がこの街にやって来た頃の光景がありありと浮かぶ。
 それはちょうどこんな景色だった。
 これはちょうどそんな景色なのだろう。
 シャッターを切るみたいに瞬きを繰り返す。少しずつ景色がずれていく。電車が動き、線路がそれに追随する。あたしが瞬きを切るワンフレームごとに景色は横にずれて建物の角度が異なる。空の光量はほんの僅かずつ増している筈だがあたしの感覚は車内の電灯に均されて車外の明るさの変化を察知することができない。列車は早朝の市街地を忌憚なく貫いて走る。住民たちの寝息が聞こえないのはこの列車が通過する音に彼らの眠りが妨げられたせいだろう。
 建物が途切れ東の空が露わになる。
 「ねえ、樫」
 見てよ、窓の外。
 樫は節くれ立った樫の木になって眠っていた。ガタンゴトンの音がその外形を撫でて震わせている。かける言葉も毛布もない。魔法はあるが魔法の言葉はない。言葉にかかる魔法はある。樫が樫という言葉にかかった魔法であるように。闇や照明の光りに乾いていたぼさぼさの髪の毛と顎髭と無精髭が、そこかしこで反射して届く夜明け前の日光に湿り始めていた。さっきまで飲んでいた酒の匂いが漂っていた。あたしは髪留めを直し、右ポケットに切符が入っていることを確認する。前にもこんな明け方はあった。こんな散歩を何度繰り返したのだろうか。これから何度こんな散歩をする暇を見つけられるだろうか。これから何度こんなことを思うのだろうか。
 これまでに重ねてきた散歩のあと、何度こんなことを思わなかったのだろうか。
 感慨のなかったそんな朝の方が懐かしく感じられる。
 「着いたよ」
 あたしは肩に触れて樫を起こす。
 まだ着いてはいなかったのだけど。

October 19, 2011

20111019 - a song - 2

 あたしと樫は公営住宅の夜から抜け出して時計だけが午前二時を指している繁華街の人混みのなかにいる。そのまま繁華街を抜けて歩き続ける。平日の夜だ。
 樫はいつもみたくあたしの格好にけちをつける。あたしはそれを聞き流す。あたしは肩胛骨のあたりまである髪を結い上げて細い三つ編みを何本か垂らす。裏返しに着たグレーのトレーナーの襟元のタグには夕立を刺繍した。たまに止んでいる時もあるが、気付けば雨はまた降っている。あたしの睫毛を透かすと物事はそのように見える。
 そのトレーナーには他にもワッペンやらバッジやらが留められていて、手洗いの時に外せるバッジは外す。そのトレーナーはもう何年も着ているものだ。と言いたいところだがまだ一年と少ししか着ていない。どこでそのトレーナーを見つけたものだかもう覚えていない。どこにでもありそうなプレーンのトレーナーで、襟元が少し伸びている。グレーのトレーナーだけど裏地は少し毛羽立ち、白に近くて、頼みもしないのに誰かが勝手にバッジをつけてくれることもある。かと言ってじゃらじゃらと装飾がうるさいというほどでもなく、たまにワッペンやバッジを張り替えたりして穏当な見かけを保とうと努力している。
 「なあ睫毛、まるでスクリーンみたいなトレーナーだな」
 と背後から樫が言う。樫は黒いパーカーにベージュのチノパンを合わせている。映画で見たどこかの国の憂鬱ではないサバービアの大学生みたく見える。
 「まるでトレーナーみたいなスクリーンでしょ」
 とあたしは答える。
 あたしと樫は行く宛でもあるふりをしながら歩く。ただ歩くのが好きなのだ。そしてあれこれ好きなことを言い合う。あるいは格好つけて沈黙を使って会話をする。樫は自動販売機を見つけるたびに缶珈琲を一本ずつ消費する。
 「体に悪いよ」とあたしが言うと、
 「命は体に良くない」との答えが返ってくる。
 「生命は性病である、っていうジョークみたい」
 樫はあたしの言葉を聞き流して工事現場に向けて空き缶を放る。月と地表のあいだを風が吹いて抜ける。
 樫が口笛で夜風に命を吹き込む。新鮮な夜風がその懐かしいメロディをすすぐ。時間の流れがすっかりと落ち、それは現在に属するものになる。それでもあたしは樫が未来に向けて懸命に口笛を吹いていることを知っている。息が闇に溶け込み時間のどこかで滴になって落ちる。
 「それなんの曲だっけ」
 と聞くと、樫はまた別の曲を口笛で演奏し始める。
 そのどちらかの曲名はきっと『アイ・ドント・ノウ』なのだとあたしはあたりをつける。
 そのような内実を確かめないままの冗談を沢山抱えたままあたしたちは歩き続ける。そうやって特にあてもなく歩いていること自体が内実の確かめられないままの冗談の一つではないかと思うこともある。
 あてもなく歩いているという割りには様々な場所に立ち寄る。あたしと樫は立ち寄った先のバーで一杯ずつ酒をおごりあう。乾杯とは言わずにただグラスをぶつける振りをする。午前四時くらいに辿り着く場所ではあたしも樫もほとんどすっからかんで、生ビールを一杯注文してそれを二人で分け合う。近所のコンビニまで出るのも億劫だった。
 「あんなに缶珈琲ばかり飲まなければ良かったのに」とあたしが言うと、
 「そうじゃなかったらこんな時間まで起きてられない」との答えが返ってくる。

October 18, 2011

20111018 - a song - 1

 あたしと樫は秋のプラットホームに降り立つ。
 あたしは睫毛を見ながら生活している。
 春夏秋冬という名称にさほど意味はなく、いつも漠然とした季節を生きている。名前があるから印象が生まれ、印象から実感を膨らませ、実感からあたしはあたしを取り出す。それでもあたしにとってあたしはあたしという印象であることを知っている。
 電車のなかのニュートラルな空気があたしは好きだ。季節感のない昼夜の移動、光景が過ぎ去り、目的地が自然に発生するようで、常に帰り道を検索して情報が絡まる。用事を思い出して、家を出た理由を忘れる。それから数年経つ。
 軽々しくこんな事を言っているが、人間はもう少し複雑に出来ている物だとあたしだって知っている。世の中はもう少し複雑にできているものだとちゃんと心得ているし、それなりに折り合いを付けながらこれまで生きてきたが、近頃はそのような折り合いをつけつつも、目眩が止まない。あたしの体や意識が処理しきれなかった現実の一部分が目眩となり、あたしという印象があたしという人称を名乗って生活している。
 随分と昔に「現実は遅すぎる」と知り合いのウェブデザイナーが言っていたことを思い出す。かと言って車や飛行物体が行き交い飛び交うなかで暮らしていくというのはいかにも物騒なので、人間には人間用の物事がほどほどの速度で進行する環境が用意されている。車道と歩道はちゃんと分かれている。それでもブラウザーは定期的にRSSフィードを拾い続けメールは頻繁に届き、ソーシャルネットワークサイトで近況がアップデートされてコメントが付き、誰もがいいねと思ったり別にいいねと思ったりしている。そこでは結構な速度で物事が進む。
 そのウェブデザイナーの発言だってスクランブル交差点の真ん中で発せられたものだ。その時にその空間を取り囲む信号が点滅し始めていた可能性だってある。だからあたしは自分を取り囲む目まぐるしさ、現実の速度、あるいは目眩の濃度を、自分の生活のどこに焦点を合わせるかで調節するようにしている。
 珈琲がカップから減るペース、曲から曲へと流れるペース、音楽に含まれる拍子のペース、あたしはあたしの生活を組み立てる部品を砂時計として見立て、自分の鼓動の早さを決定している。ひとつのペースにまた別のペースが含まれていたりペース同士で重複する部分がある時もある。仕事場で音楽を聴きながら珈琲を飲んでいるときには、音楽の目まぐるしさに巻かれて、珈琲の減るペースを砂時計として用いることができない。忙しさのなかにゆったりとしたペースが含まれているのだから別にいいじゃないかと思うことがある。仕事や音楽のペースのなかにゆっくりと珈琲を飲んでいるペースだって生きている。贅沢は言えないな。そのように思うこともある。
 そのようにバランスを保ってきたつもりだったが、近頃は目眩がひどい。すべてのものに一律に焦点があっているかのようだ。あたしが直接見たり触れたりすることの出来ないすべてのものも含めて、この世にあるものすべてのものからの僅かな引力にあたしの皮膚や血液が反応しているかのようだ。月から引力を感じ、海からの引力は潮汐により変化する。それらの引力の波があたしの髪の毛のように流れ艶を返す。人の流れにより重力が変化して光りの届き方が変わる。あたしに見える光景が変わるのはそのせいだ。
 光りは直接あたしの眼球には届かず、まずあたしの睫毛に絡め取られる。睫毛は光りを漉して、光りが睫毛を彩色する。あたしはその睫毛を見ながら生活している。
 あたしのことは睫毛と呼んでくれて構わない。

April 11, 2011

20110411 - silence (almost unreal)

耳。



 そのようにして人称が溶けて、あるいは彼女と少年が人称から溶け出し、行為が少年と彼女の体を借りて踊っていた。
 もう一方で主観を持たない身体感覚がそれ自身の意味と世界の膜を試していた。
 誰もいない部屋に口づけがひとつ浮かんでいた。


★ 


 「彼女」が消えていた。
 別れのキスをしている最中に「彼女」は消えた。
 それは彼女から「彼女」への贈り物だった。



 彼女が少年に教えたかったのは、彼女がそういう人間だということだった。
 けれども少年がそのことに気付くかどうかは賭けだった。
 つまりは彼女はそういう人間だということだった。



 そのような血なまぐさい話ばかりではなく、胸が温まるような話もある。
 たとえば彼女の居間に浮かんでいた一つの口づけは、しばらくそのままそこに残ったこと。
 その口づけがほどけて、二つの唇が残ったこと。



 二つの人の形がいったん目を覚まして、それから体格のいい方が細い方を抱き締め直したこと。
 細い方はマグカップに指を伸ばそうとしていたが、その動作をキャンセルしなければならなかったこと。
 細い方はクッションに座り、体格のいい方は床に座っていたこと。



 どこか遠くの場所の静けさが聞こえそうだったこと。
 様々な音のぎりぎりの隙間を幾度もくぐり抜け、それは今にも少年か彼女の耳に届きそうだったこと。
 それは届くことによりそれ自身を掻き消すような静寂ではないことを少年が願い、一方彼女はそれは届くことによりそれ自身を掻き消した静寂ではないかと思っていたこと。



 「彼女」がいなくなったことの違和感を少年が感じていたこと。
 懐かしさに対する懐かしさが「彼女」の不在に紐付けられていたこと。
 彼女が懐かしさを諦めていたことなど。



 黄昏が降り、部屋は暗かった。彼女の服の色を、その温度で感じられそうだと少年は思った。
 だから少年は部屋が暗くなったことに気付いていなかった。それともまだ何にも気付いていなかった。
 それでも彼女が喉を渇かせていることには何故か少年は気付いた。



 はじめは口移しで飲まそうかと少年は考えた。
 少年は抱擁を緩め、左手でマグカップを彼女の右の手許まで寄せた。
 彼女の右手がマグカップの側面をつまんだ。少年にはそれが分かった。



 彼女は冷めたカモミールティーを口に含むと、マグカップを置いてそのまま頭を少年の左肩にもたせかけた。
 それが彼女が発した沈黙以外の初めの合図だった。
 それを少年が受け取ることができたかどうかは分からない。どちらにせよ少年は知っていた。



 少年が彼女の頭を支えながら体重移動をするように少し左肩を引くと、彼女の左耳が少年の口許まで来た。
 少年がその耳に唇で触れるか、言葉で触れるかする寸前の瞬間があった。
 そこで彼女の髪の毛の一本がぷつんと弾けた。

 
 (了)

April 10, 2011

20110410 - silence (factual)

舌。



 そこには少年は存在せず、少年が彼女を抱きしめているという事実だけがあった。もしくは彼女がそこにいるという事実があった。少年は自分がそこにいるという事実をかたくなに認めなかった。もしくは少年は自分がそこにいるという事実を否定しながらも、四月の彼女の住居の居間で自分が彼女を抱擁しているという事実は認め、いわばその事実だけを誰かが愛した。
 彼女は痩せていたが、抱きしめてみるまでは少年がその肩の広さを測ることはできなかった。肩の広がり、項や背中へと流れていく数種類の曲線、あるいは結い上げた髪の毛から垂れている彼女の肩の破片、肌色の広がりと、肌色と衣服の境界、彼女自身の体のニュアンスを拾いあげる彼女の体の動き、自分の胴体と少年の左腕に挟まれた右腕を自由しようと彼女が軽く体をよじらせた。自由になった右腕を彼女は少年の背中に回した。
 あるいはそこには彼女も存在せず、「彼女」が誰かに抱擁され、「彼女」が誰かを抱擁しているという事実だけがそこにあるのかもしれなかった。



 先に唇を重ねようとしたのはどちらだったか。少年の影のかたちをしたものが先に動いていた。少年にとっては感触の映画が続いていた。皮膚を流れていく通常では考えられないほど沢山の情報と、それによる高揚を少年は眺めた。それは静寂や沈黙と等価でなければならない、と少年は思う。しかし。
 どちらの舌がどちらの舌に先に触れたのかも分からなかった。沈黙で喋るために舌を絡ませた。没頭された行為だけが存在した。だからそれは眠りのような口づけだった。あるいはそれは眠りのようだった。あるいはそれは口づけのようであり、少年と彼女の形のようでもあった。
 少年の形をした少年が、彼女の形をした彼女の沈黙を確かめていた。その事実だけが、少年と彼女をそこに存在させていた。



 境界線しかそこに存在しなくなった。世界は濡れた膜になった。温度が動き、時間が意識を持った。どこかに心拍数が二斤存在した。舌が二人の人間に対して二枚あった。それらは完全に絡むということもなければ、完全に逸れるということもなく、時折いたずらに規則性が乱されては、展開が即興で発見された。その結果だけが存在し続け、それ以外のものは消えた。
 いやまだだ。と彼女は思う。
 まだ誰もいなくなったわけではない。「彼女」が残っている。そしてこの抱擁と口づけが「彼女」に対する装飾としてのみ作用し始めている。きっとこれが少年が見たいと思っていたものだろう。でもこれで終わりじゃない。まだ続きがある。彼女は行為に没頭したまま、「彼女」が逆編集の手法で現在を懐かしむように仕向けた。つまり、彼女はそこからいなくなった振りをしている人間の振りを始めた。そこからいなくなった振りをした「彼女」は自身の経験を追いかけようとして彼女の動きを見ていた。自分を覆っていた両面鏡張りの装甲が透明になったのを彼女は感じた。あるいは、最も恐ろしいのは、透明になっても結局鏡は鏡であるかもしれないということだった。

April 9, 2011

20110409 - silence (physical)

背。



 彼女は少年の肘に触れていた。少年は彼女の腰に触れていた。自然と、少年と彼女は抱き合うような格好になった。抱擁が交わされる寸前の瞬間を、少年の肘に触れる彼女の指がもてあそび、現在から見た未来や過去ではないいずれかの方向へと転がしていた。彼女は瞬間の力を受け流し、吸気と呼気のあいだのその短い隙に虚構を育み、それ以外の時は現実に順応して、例えばその時には少年に抱き寄せられるようにしながら、彼女は「彼女」である振りを続けていた。
 どちらかが呼吸すると、それはどちらの呼吸だったのだろうかと、どちらもが考えた。
 互い違いの方向を見た顔が擦れ違う瞬間で立ち止まり、その瞬間を慈しんでいた。向き合って座り、彼女と少年は偶然に頬や頬骨を時に擦りあわせては偶然に愛撫を交わしあっていた。あるいは偶然が彼女と少年を愛撫していた。どちらかにとってはそれは偶然ではないのだろうなと、どちらかが思っていた。だから結局はそれはどちらにとっても偶然の出来事ではなかったかもしれなかった。



 少年はまだ逆編集を続けていた。逆編集を続けながら、彼女と半ば抱擁しあうような姿勢と取っていた。その距離で嗅ぐ彼女の髪の毛やら衣服や体の匂い、少年の胸元に時折触れる彼女のオレンジ色のセーターの感触、そのセーターを通して伝わる彼女の筋肉と脂肪、支えられるためでもなく伝わる彼女の胴体の重さ、それらひとつひとつのものをさらにひとつのものにまとめあげている自分の身体感覚、少年はその身体を感じているのが自分ではないという振りをしていた。
 自分の身体から自分を除外する。自分が感じているはずの感覚だけがそこに存在するという状態、そのように語る虚偽を含めて、少年は状況から説明される自分を眺めていた。少年の掌の内側の彼女の腰の細さが、彼女の胴体ごと曲率を変えて、判然としない力点を少年の掌に発生させていた。力点は少年を居場所を突き止めようとしていた。だから、というわけではないかもしれないが、少年はその力点のありかを探ろうとしているのが自分ではない振りをしていた。それは状況のてのひらであり、少年のてのひらではない。
 それは逃避ではなく、習性だった。



 少年が消え去り、「彼女」の肉体を介して伝えられる刺激のみがそこに存在していた。少なくとも少年はそのような振りをしている。もしくはそのような振りをしている。そこまでは彼女の計算通りだった。彼女は少年の肘にかけた人差し指と中指を少年の骨格に沿って優しく、無感情に前後に滑らせていた。
 それから彼女は少年の肘にかけた指に軽く力を入れて、まだ遠慮がちに彼女の腰に触れていた少年の手を自分の背中へとうながした。
 彼女の背骨の数を中途半端な途中から数えるようにしばらく彼女の背中をさまよった少年の左手の掌は彼女の肩胛骨のあいだにあてれらた。どこからともなく現れた少年の右手がその左手と交差して、彼女の右の肩胛骨に触れた。

April 8, 2011

20110408 - silence (fictional)

腰。



 少年が手を動かそうとすると、「彼女」の手がそれを許さなかった。あなたがそれ以上崩れるのをあたしは許さないから、と「彼女」が無言で少年に告げた。それはどういう意味だと少年は無言で問うてから、それはどういう意味なのか考え始めた。その意味を知ってはいたかもしれないが、それが「彼女」の言葉と結びつくことはなかった。
 「彼女」は少年をそれ以上の崩壊から守ろうとしていた。手に手を重ねるだけで。それで少年は人の形を保ち続けた。彼女がそうしていた。少年が決して懐かしさに負けることがないように。「彼女」が彼女にそうすることを託したのだと、「彼女」の振りをし続けている彼女がそう認識した。それは彼女が想定している少年の妄想の度合いに応じたもので、必ずしも現実に即したものだとは限らなかった。
 彼女は少年が手を動かさぬように押さえていた。動きを押さえていたのか、手を押さえていたのか。それとももっと別のものを押さえていたのか。ただ手で手を押さえているだけのはずなのに、正確さを求めて拡散する、ただそれだけのことなのにと彼女は思う。



 少年はなぜ自分が手を動かそうとしたのか自問してみる。特に深い理由などなく、少ししんどくなったからというのが最も真相に近いところだろうが、「彼女」の首筋や、肩に触れようとしていたのだと言い訳もできる。それともそれはやはり「彼女」自身に関係あるのだろうか、と少年は考える。それはつまり、少年の視界のなかで手を動かそうとしていた誰かの思惑は何か、と翻訳される。
 それでは「彼女」が自分をそれ以上の崩壊から守ろうとするその意図は何か。それは「彼女」が「彼女」として救われる可能性の一つを保全しようとするだけの作業ではないか、と少年は考える。「彼女」の世界で可能性へと転じようとしている不可能性のひとつのかけら。少年はそれが結局は自分の世界観であることを自覚していた。実際には少年の世界観はもっと活き活きとしていた。暗くてほとんど何も見えないことを除けば、そこではすべてのことが起こっていた。
 少年はもう手を動かそうとはしてなかったのに、「彼女」はまだ掌に力を込めていた。透き通る、静かな強さだった。だから少年は「彼女」が「彼女」自身を救うための道具として自分を救おうとしているという考えをそれについて考える前に却下した。少年が「彼女」の頬に手を軽く押しつけると、「彼女」の手から力が抜けた。



 こんなことをするのは昼下がりに限る、と手の力を抜いた彼女は思う。夜だったらきっと真面目になり過ぎてしまう。この季節のこの時間帯が一番良い、と彼女は思う。
 それから彼女はふと手に力を入れ直すと、少年の右腕を自分の腰まで運んだ。
 少年の掌が「彼女」の腰のくびれを包んだ。背筋のカーブが、動かず、柔らかで、丈夫そうだった。少年は彼女にもう少し近寄らなければならなかった。あぐらをかいた膝と膝が触れては離れた。

April 7, 2011

20110407 - silence (intangible)

頬。



 このときには少年の主観的には少年と彼女との触れ合いは発生していなかった。少年はまだ現在を逆編集しているつもりになっていた。つまり、「彼女」に触れながら、そこにいる彼女に触れているのは誰か別の人間の掌だという振りを少年はまだ続けていた。少年は自分がそこにいないふりをまだ続けていた。
 彼女が映画のように起こっていて、誰かの掌が映画のなかの出来事のように彼女の頬に重なっていた。彼女も「彼女」も同じ風速を持つ血流を共有しながら、それぞれ別々の人間として駆動していた。「彼女」の頬の温かさの奥にも結果のない力が渦巻いていた。目の前の映画のなかで彼女に触れている誰かもその渦を感じていることを少年は知っていた。もしくはそんなことを知る少年を少年は知っていた。
 「彼女」の掌と指が、「彼女」の頬に触れている自分の手の甲に添えられていた。「彼女」の頬の仄かな温もりと、「彼女」の指の冷たさと、少年の上腕に当たる「彼女」の息と、「彼女」の眼差しが少年を形作っていた。少年がそれ以上崩れることがないと確かめるように、「彼女」は掌と指で少年を守っていた。



 彼女はずっと「彼女」の振りをしていた。それは誰か別の人間として少年に触れられるという絶望的な演技である一方で、「彼女」に対する想像力を彼女が働かすことのできる時間でもあった。自分がそうであると仮定されている誰か別の人に少年が触れている感触が自分の頬の上で起こっていて、自分がそうであると仮定されている誰かの思考だと仮定することのできるものが自分の頭のなかで起こっていた。それをそのように仮定しているのが自分ということになる。それはそのことを仮定することにより生まれてしまった自分であり、行き場がないそれはまだそこにいた。
 当然のごとく彼女は自分がそうであると仮定されている誰かの内側にいた。彼女がそうであると仮定されている誰かは、少年の手を取り、それを自分がそうであると仮定されている誰かと、彼女の頬に触れさせた。彼女が自分の思惑を分かっているなら、彼女がそうであると仮定されている誰かも同じ思惑を持っているのだろう。彼女がそうであると仮定されている誰かと、彼女がやっきになってその振りを続けている「彼女」とが一致する必要も根拠もそこにはない。ここになり、「君は間違えた映画のなかにいるよ」という表現を思いついたひとの考えを彼女は理解できたような気がした。そこでいう「君」というのは当然、わたしではなく、「彼女」であり、わたしがそうであると仮定もしくは断定されている人間らしきものなんだけど。この期に及んでわたしがどこかの物語の登場人物ということがなければ。彼女は注意深くそのように付け加えた。
 血液が風となり彼女の体中を巡っていたので彼女は内面ではその風に吹かれていた。あるいは血液が風であると感じられるのは「彼女」を通した処理であるかもしれなかった。つまり体のなかをずっと吹き続ける風があるという振りを彼女はしているわけで、それがそういうことなら振りではないその場合があるのかもしれないと彼女が考え得るのだった。

April 6, 2011

20110406 - silence (tangible)

風速を持った血流。



 彼女は掌に残る少年の頬の温もりを思い出していた。思い出していた、というからには失われていなければならないはずのそれが、まだそこに残っていた。あるいは少年の頬の温もりがそこに残っていたときのことを彼女は思い出しているのかも知れず、そうとなるとそのことを思い出している今はいつで、わたしはだれとどこにいて何をしているんだろう、などと考えて温まる自分の心を彼女は憎んだ。あるいは心のほうが憎まれることを許していた。心というのはそういうものだろうと彼女は考えついたが、今回もやはりそのことを少年には教えなかった。
 教えたいことはもっと他にあった。
 少年は自分の脇に置いたまだ湿ったクッションを気にしている振りを時折はさみながら、右膝を抱いて体をゆっくりと前後にゆすっていた。ずっとそうしてきたように、ずっと自分はそうしてきたとたったいま少年が決めつけたように、そしてずっとそうし続けることを検討し始めたかのように、その時間を何気なく過ごそうと努力しようとするかしないかの隙間で少年の感情が踊っていた。少年は感情と思考との区別をつけることを能動的に止めようとさえした。あるいは、自分の感情と思考だと思い、思考を感情だと思い込もうとして、結局はその意味を考えることに終始していた。少年にとっては心とはそのようなものだったが、少年が彼女にそれを伝えることはなかった。この部分においては少年と彼女の関係がねじれていると述べる必要は特になかった。



 彼女は右腕を伸ばし、少年の左腕に触れた。マグカップは彼女の右隣、少年の左隣に並べられていたし、少年の左手は右のくるぶしに添えられた自分の右手を押さえていたので、彼女は右腕を少し前に出すだけでよかった。そして、伸ばすというよりは、差し伸べる感じ。差し伸べた先に、偶然が待っている感じ。あるいは偶然のその幻が。そう考えた彼女は弱気になっている自分を意識するが、偶然か、それとも偶然のその幻なのは自分も同じことなのだと考えて落ち着きを取り戻した。
 彼女の右手が少年の左手をはがして、それを彼女の頬まで運んだ。少年の掌は思ったよりもごつごつしていた。風速をもった血流が彼女の肌を内側から撫でていた。少年の体温はまだその渦との調停を行う役目を与えられていなかった。少年の掌が彼女の頬に触れた瞬間、部屋の空気が変質したのだと彼女は思ったが、折良く吹き込んだ風がその妄想を中和した。彼女は終わることのない儀式の自分が中断できたはずもないその続きを始めることにした。
 彼女の掌が少年の左腕を支えていたが、彼女が目を合わせながらその掌を軽く持ち上げる仕草をすると、少年は能動的に彼女の頬に触れることを始めた。それでも彼女の手は少年の手に添えられたままだった。

April 5, 2011

20110405 - silence (visible)

どこかでは一瞬が始まっていた。



 部屋を満たす静寂がほとんど目に見えそうだった。誰かがそこに座っているのを誰かが眺めていた。少年のなかの誰かが、彼女のなかの誰かを眺める、というのならそれは美しい構図だろうな、と少年は思った。
 それとも、誰かのなかの、希望らしい希望を持たないがゆえに諦めるということを知らない少年が、誰かのなかの、絶望をすでに比喩として取り扱っているがために諦めるということを知らない彼女と出会うのなら、それは素敵な構図だろうなと、少年は思った。
 おそらく自分たちの出会いにはそのような側面もあるのだろうなと少年は思う。自分がこのように感じているこの側面があるのと同じように。どのような物語にも翻訳されうる記憶の原形質のようなものが、いまはただの静けさとして部屋を満たしていて、ただの部屋がその静けさを満たしていて、それと同じ静けさが少年を満たしていて、少年は同じ静けさを満たしていた。縮尺を替えながら、単位を替えながら、言語を替えながら、経験の単位時間を替えながら、変わるということの意味が変わるなかで、ずっと変わらないように見える幾晩もの夜が過ぎたことを少年は知っていた。あるいはそれは単に自分が変わってないというだけのことか、それとも変わっていく自分を見ている自分は変わらないのだなと少年は結論を下し、結論が続き、結論は変わり、結論が変わっても、結論の意味は、本当のところはそれが分からないという一点を論拠に、それは不変だと言うこともできた。



 少年が始まり、彼女が始まり、わたしが始まり、あなたが始まっていた。いつも、懐かしい時間が始まり、思い出が始まり、忘却が始まり、回想が始まっていた。
 都会が始まり、どこかでは夜が始まり、また別のどこかでは一日が始まり、どこかで一生が始まっていた。どこかでは一瞬が始まっていた。入射角が始まり、反射角が始まり、速度が始まり、経過時間が始まっていた。
 喉の渇きが始まり、閉じたまぶたの奥の深さが始まり、涙は眼球の裏から滴り始めていた。傘のように開いた舌が眼球の裏から雨だれのように落ちる涙に打たれたら、言葉に似た何かが跳ね返り始めるかもしれなかった。



 比喩でしか語られ得ぬ何かが、それを語ることのできる言語を探していた。相互に浸透する物事の意味が、今のところ新たな視界を組織化し、今のところ今のところと呼ばれるものが、一日という単位で測られるひとまとまりの時間を終わりを飾っていた。
 彼女という比喩、そして彼女の比喩で語られる彼女が少年の前に座っていたし、もちろん、少年も何かの比喩として、もしくは少年の比喩で語られるものとして、それまでの人生で覚えた余裕の表情の下手な模倣の要らぬヴァリエーションを重ねながら、彼女に向かい合っていた。それが何かの比喩であるというのは、もちろんそれも比喩であり、もちろんそれも比喩であり、それが意味のほうでもあるかも知れず、それはだいたいのものと同じように、意味でしか存在することのできない何かかもしれなかった。
 もうなくなってしまったものと、まだないものの関係が、現在を決定していた。あるいは現在はずっと未定なのに、次の瞬間だけはいつも見えていて、焦点は手前へ向けて遠ざかり続けていた。

April 4, 2011

20110404 - silence (audible)

茶菓子。



 時に窓から涼しい風が吹き込む以外は、室内の温度は安定しており、少年は自分が感じているものが室温なのか体温なのか分からなかった。
 心地の良い日だった。何にも理由や原因はないようで、だからどれが結果かとか、判然としなかった。因果の網をたぐって、そこに捕らえられた一匹の蜘蛛が見つかり、その蜘蛛は因果からは自由で、それ自身を律している何らかの規則からは自由ではなかった。理由や動機を離れようとして、そして、感慨や考察を離れようとして、自己を回避したと思ったところで、回避されたほうの自分が、通り過ぎようとしているほうの自分の何気なく足を引っかけようとしている、その足を少年は蹴り返した。
 その時に無意識的に動いた足が、カモミールティーの残ったマグカップを倒したのだった。



 こんなに気持ちの良い日は、どこかに出かけるべきではないかと彼女は思う。
 四分咲きの桜並木のした小一時間歩いて、公園まで少年を案内することを彼女は検討した。その曜日の、昼下がりのその時間だったら、彼女の気に入っているドーナッツ屋にまだ品物が残っているはずだった。ひょっとしたら何かを察した少年が彼女にドーナッツをひとつくらいおごってくれるかもしれなかった。さっきからお茶ばかり飲んでいるから、口が寂しいというのもある。
 だが、たぶん、人の判断や反応と言ったものを先取りし、先回りしながらとかく捉えどころのなくしていく少年の親切さは、きっとそのような形では駆動しないのだろう、と彼女は分かっていた。彼女は「自分が間違えていたらいいな」と思ったが、文字通りそう思ったのではなく、彼女の抱いている小さな期待を翻訳したらそのような文言になるというだけのはなしだった。実際に彼女が抱いていたイメージはもっと別のものだった。



 少し腹が減ったな、と少年は思った。どこかで何かおやつでも買ってくるべきだったが、自分が彼女の部屋を訪れる前に何をしていたのか、記憶は曖昧で、その曖昧さのなかから煎餅の何枚かでも融通してもらえないものかと少年は考えた。
 少年と彼女は黙り込んで、それぞれの体から発せられている静けさを味わっていた。相手の静けさを味わうことが、自身の静けさを表現することにつながった。もちろん、それが少年か彼女の考え過ぎの成果でなければ。
 彼女に言えばバームクーヘンのひとかけらでも出てくるかも知れない、それとも、いつから棚の奥で眠っていたのか分からない案外しっかりした外装のクラッカーだとか、何か乾燥したもの、簡単なお茶菓子の一種類か二種類くらいはあっても不思議ではないと少年はぼんやりと考えた。これまで少年が飲んだことのない味の茶が出されたくらいだから。でももしそうならば、自分は彼女がまだ食べたことのない茶菓子のひとつでも献上すべきではないだろうか。チーズケーキを、月の欠片だと銘打って、おもむろに渡すとか。少年は念のために自分の持ち物を調べてみたが、財布と携帯型音楽プレイヤーとイヤホン以外は何も持っていないことが再度確認されただけだった。

April 3, 2011

20110403 - silence (another another)

閉じたまぶたを振るわす静けさ。



 音楽が止んでいた。少年は床にこぼしてしまった茶を拭き取るものを探そうと奮闘していたが、動きのひとつひとつがとにかく要領を得ず、致命的に不器用というわけではないが、的外れで、的を外す才能には充ち満ちているようだった。
 彼女が布巾を持って居間に入った時、少年は自分がすわっていたクッションをつま先で動かして、それで床の濡れた部分をどうにかしようとしていた。彼女はきつい視線を少年に投げると、クッションを取り上げた。液体はカーペットとクッションにあらかたしみこんでしまったあとだった。
 彼女は布四つに折りたたんだ布巾をぎゅっと押しつけるようにして、少年がこぼしたお茶の後片付けをした。音楽が止んだのは、少年の携帯型音楽プレーヤーが水没するなりして故障したのが原因だと彼女は思っていたが、少年が新たに曲を選び始めるのを見て、単にひとつのプレイリストの再生が終わっただけだと気付いた。



 音楽が止んでいた。それで静かだった。静か、というよりは、静けさが感じられた。喧しさも感じられたが、それは遠かった。
 静けさというものが、空気の振動として伝わっているかのようだった。少年には、静けさというものが、まるで自分の体の一部の状態のように感じられた。鼓膜のかわりに、閉じたまぶたを震わせる静けさ。
 静かな春だった。彼女の体が静かだった。所在なさげに立っている少年の前で、手際よく布巾で茶を拭き取っている彼女の体は、何も言っていなかった。目を閉じると、彼女の体が発する様々な静けさが少年には感じられるような気がした。



 音楽が止んでいた。彼女は台所でマグカップをゆすぐと、水気を払い、湯を注いだポットと共にふたたび居間に戻った。少年はまだ少し湿っているクッションを脇において、床に直接座っていた。
 彼女は何杯目かのカモミールティーを淹れた。ポットの取っ手の感触と重みを指と手首で支えながら、さっき少年の頬に手を伸ばしたときに触れた無精髭の感触を彼女は思い出していた。特に油分の多そうな肌ではなかったが、何故だか少し不潔なものに触れたような気がしていた。
 指先に触れた、まだらの、曖昧な固さを持った髭と、少年の肌から伝わった素直な体温を彼女は覚えていた。



 音楽が止んでいた。少年は新しいプレイリストを選ぼうとしていたが、しばらくは生の静寂に浸るのもいい考えかも知れない、と思った。
 生の静寂、生の騒音、生の思い出。
 携帯型音楽プレイヤーとアンプを繋ぐケーブルを外した方がいいだろうか、と少年は考えた。そうしたら、彼女に自分がしばらくは曲を選ぶ意志を伝えられるし、ひょっとしたら彼女のほうで何かかけたい曲があるかもしれない。彼女が選んだ静寂。もしくは彼女が選んだ曲間の無音状態の余韻に浸って、日常言語の間投詞のようなものとして、純粋な静けさというものを取り戻す契機になるかも知れない。もちろんそんな考えはいい加減なものだったし、そんなことを考えているあいだに、携帯型音楽プレイヤーからケーブルを抜くのを少年はすっかり忘れてしまった。

April 2, 2011

20110402 - silence (another day)

すこしの音。



 すこしの音がしたような気がした。でも彼女の部屋は音に様々な音に満たされていた。そもそも少年がずっと自分で選んだ音楽をかけていた。それ自体は悪くない。音楽の趣味も悪くないと彼女は思う。
 ただ、自分で喋るかわりに、ずっと曲を流しているように見える。そして自分で選んだ曲に彼女とともに耳を傾けることにより、彼女の言葉や、彼女の内側の沈黙に少年は耳を澄ましているかのようにも見えた。
 その自分勝手な構図には少しの胸躍るような要素も見つからなさそうでもなかったが、彼女が好きだったのは、曲と曲のあいだの、数秒間の無音時間に、少年の呼吸音に耳を澄ますことだった。唐突に曲が終わって、スピーカーの方に目をやるときの少年の、すこし荒くなった鼻息が、彼女は可愛いと思った。



 すこしの音がしたような気がした。ついに彼女の心が聞こえたのではないかと少年は心を躍らせたが、もちろん誤解だった。心が聞こえるとしたら、それはどのような音を立てるのだろうか、と少年は思いを巡らせた。
 誰かが、誰かの、例えば、少年が彼女の心の音が聞こえたときに鳴っている他の全ての音が、実は、彼女の心が鳴る音で、ひとつの心がそれ自体のために音を奏でるということはないのだろう、と少年は思うことにした。でもそうなると、自分が立てている音も彼女の心が鳴らしている、もしくは鳴らしていない、音に含まれるのだろうが、そしてそれはそれとして納得できなくもないが、もしそうならば自分がいない場面で、彼女が心が鳴らす音を聞きたいと少年は思った。
 だが、少年の頭を流れるこの一連の内的独白も彼女の心の一部として聞いている自分が思い浮かんで、少年は即座に思考を停止した。



 すこしの音がしたような気がした。薬缶を火にかけたままだった事に彼女は気付いた。
 慌てて台所までいくと、薬缶のなかで湯が沸騰していて、蓋が震え、注ぎ口からは湯気が沸き立っていた。彼女は火を止め、注意して蓋を持ち上げると、一斉に湯気が立ち上り、普段自分が習慣的にいれる水量の半分程度しか薬缶に残っていないのが分かった。彼女はもう一度水を注ぎ足すと、火を点け直した。
 と、すこしの音がしたような気がした。にわかに音楽が鳴り止んだ居間で、少年が茶の入ったマグカップを倒して、中身をこぼし、どうにか収拾をつけようと無駄にあわてて、そこらを歩き回り、何か拭くものはないかと部屋を物色していた。彼女は溜息をついて、布巾を持って居間へと戻った。

April 1, 2011

20110401 - silence (another april)

静寂と沈黙との会話。



 しばらく静寂がおりた。それが静寂だと気付くのに時間がかかったことにしたかったが、何だかそれは静寂というものを知らない人間が言いそうな文句だなと少年は思った。
 それは二三秒の静寂であったはずだ。それは曲間に挟まった無音の時間でしかなかったから。少年がいかに物事を拡大解釈しているかが見て取れる。
 静寂と、彼女と少年の沈黙がたまに寄り添うことがあり、その時には、場の静寂と二人の沈黙が会話しているように少年には思えた。二人が会話している、というわけではなく。



 静寂が続いた。静寂が、また続きを始めた。時間の長さというものが意味を持たなくなるほど長いあいだ続いている静寂のほうではなく、少年と彼女が共有しようと企んでいる静寂の方で、その静寂は少年と彼女のあいだの沈黙と流暢に会話をするともいう。
 あるいはその会話の内容が少年と彼女として表現されている。そのように表現されている。
 でも先にも言った通り、少年がここで静寂として取り扱っているのは、自分のプレイリストを降下していく再生曲と再生曲のあいだに挟まる二三秒の無音状態だ。



 静寂がまたおりた。静寂が落ちた。静寂は自らを語るすべを見つけようとしていた。その方法を見つけたからと言って、静寂による静寂についての語り、が実施されるかどうかはまた別のはなしだ。
 そんなことになったら、今みたいに、自分は静寂の代弁をしなきゃいけなくなる。彼女はそう考える。自分が静寂によって語られている内容だと思うと、幾つかの歯車が合う。だけど、そのことを少年には伝えなかった。比喩の妥当性を検討する必要はあるし、それに、少年はすでにそのことを知っているか、これから自分でそのことに気付くかのどちらかだ。
 そうでなければ、彼女はひとつの賭けにおいて時間をさかのぼって負けることになる。だが、彼女たるものがそのような賭けに負けたりすることがあり得るだろうか。



 静寂のなかで少年はその問いから自分を逆算して人の形を保った。ある程度は気味悪がられるのは分かっていたので、いちいちその解説を少年が彼女に対して行うことはなかった。
 彼女が賭けに負けるわけがあるだろうか。彼女に対する少年の妄信を差し引かないのならば、その問いに対する答えは、否、となる。少年は賭けの対象でしかなく、少年は彼女がその賭けに負けるとは思えない。
 だから、まだそんなに捨てたもんでもないと思うんだけど、と伝えようとして、そのことを伝える必要があるのならば、そのことはすでに共有されていなければいけないことに思い至る。



 静寂は、気まずさを誘うものではなかった。静寂それじたいが気まずそうにしていることはあったが、それは少年か彼女の目を通してのことだった。
 曲間の静寂を少年を膨らまして、彼女もそれを共有しているのだと少年は考えた。そのことを彼女が察してくれたらいいなと少年は願っていたが、それ以上甘ったれるというのも気に入らなかった。彼女がどう思っているのかは分からなかった。
 また、たとえ、彼女がそのことを察してくれていると言っても、実際にその静寂が共有されているのかどうかは別の話なのだと少年は気付いた。

March 31, 2011

20110331 - silence (-like wonder)

茶の味。



 彼女は少年に見られることによって生じる「彼女」を化粧のようにまといながら、春の始まりを迎え入れていた。少年が新たに曲を選んでいるあいだに、今度は、彼女は湯で満たした茶のポットを運んできた。いつもはカフェイン漬けの少年は、カモミールティーの涼しい後味を楽しむことを覚え始めていた。たぶん、この時間のことを忘れてしまったとしても、この茶の味はずっと覚えているんだろうなと少年は思った。



 思うだけではなく、少年は彼女にそう伝えもした。
 彼女は何らかの意味で自分が侮辱されたと感じるだろうか。
 即席の不安が沸き上がり、それは、過去から未来まで時間線に沿って、感情の線維に滲んで、一本の線のそのあとかたの予兆のようなものを残した。



 あなたはわたしのことを忘れてしまってもこのお茶の味は忘れないって言ってるの?
 と彼女は問う。少年はこう返す。
 ただこのお茶の味は覚えたってことだよ、知識として。



 何もかもが変わったとしても、このお茶の味は変わらない。お茶の味っていうのは、自分のなかだとそういう領域に属しているのだけど。
 と少年は不格好に付け加える。彼女はマグカップに目線を落としながらこう言う。
 何もかもが変わったとしても、わたしとあなたとこのお茶の味は変わらないということにしましょうよ。



 わたしのなかのあなたや、あなたのなかのわたしは変わらないということにしておきましょうよ。例え他の何もかもが変わってしまったあとでも。
 彼女は彼女らしくもなく感傷的な言葉をもらした。自分で自分らしくないな、と彼女は思っていた。「彼女」らしくないなと思いながら、少年はこう付け加えた。
 ただこのお茶の味を覚えたという話しが、何でそこまで広がるんだろう。



 君が何かの意味で合わせてくれているとか…。まだ始まってもいない話しに話しを合わせてくれているみたいだ。
 自分で言っていることの意味すらよく掴めないまま、少年は打ち明けた。彼女は真実から身を逸らしつつ、こう応えた。
 変な恩に着るのは止めて。



 変な恩に着るのは止めて。勝手に変な恩に着て、その内容をわたしに後付けで実現させるみたいな真似は止めて。
 真実から身を逸らしつつ、また別の真実にもたれかかりながら彼女は言い放った。少年は沈黙のなかに沈もうかと思ったが、辛うじてこう言葉にすることに成功した。
 君はいまたぶん、もう終わってしまったものに話しを合わせてくれているんだ。



 君はいまたぶん、もう終わってしまったものに話しを合わせてくれているんだ。だから今だって、今後だって、この話しでふたりのどちらかが気を止む必要なんてないんだ。
 そこにない話しの脈絡をどうにか辿りながら、少年は懸命に意味を組み上げようとした。彼女は意味を汲んで、こうつぶやいた。
 問題はあなたがまだ始まってもいないことを、終わってしまっていると見なしていることだと思う。



 だって、言ってみれば、ずっと遠くにある恒星、地球に光りが届くまで何十万年もかかるような距離にあるその恒星からの光りはまだ見えないまま、その星の物理的な構成を常に把握していると思い込んでいるみたいな気持ち悪い状態じゃない。
 彼女はこの時点で心底うんざりしていた。何で自分がこんな喋り方をしなければならないのか分からなかった。それほどはうんざりはしていない少年が彼女の話の続きを引き受けた。
 この星の話しを、まだこの星の光りが何らかの意味で届いていない場所でしているだけかもしれないじゃないか。

March 30, 2011

20110330 - silence (of two)

「あなたにとってはこれも思い出なんでしょ」



 こんどは彼女は少年の頬に手の平を重ねた。
 小さく冷たい手の平が気持ちよかった。少年は少し顔を動かして、彼女に応えようとするが、目線で会話するにとどめた。彼女は目線を逸らした。それから腕を下ろした。少年の息を手首のあたりに感じていたことを思い出すか、気付くかした。



 単にそのように遊んでいるのだろうと少年は納得することにした。
 もしくはそのようにして思考しているのかも知れない。
 少年は無限の空間のなかで話をそのように広げてみた。



 そのようにして彼女はここまでのはなしを思考したのだろうか。
 と少年は考えた。
 もしくは自分が彼女の動作を通してそのように思考しているのだろうか。とも。



 記憶が思考した結果生じているのが自分なのでは、と少年は考えた。
 もしくは記憶で思考したものを生きているのではないか。
 記憶以外のものを見てみたいと望むだけ望みながら。



 少年は彼女の手首から何の匂いもしなかったことを思い出していた。
 匂いのかわりに肌触りを備えているかのようだった。
 もしくは彼女の歩んできた荒々しい歴史の匂いが殆ど漂っていそうでもあった。



 あなたにとってはこれも思い出なんでしょ。
 と少年の記憶のなかで彼女が言っている。
 彼女はこれが今だと思っている。



 彼女はもう一度、今度は逆の腕を伸ばし、少年の頬に触れた。もう片方の掌よりもわずかに温かいように感じた。今度は少年は目を合わせるまえに目を逸らすということをやってみたが、彼女はそれを見ていなかった。
 彼女は少年のかたわらの携帯型音楽プレイヤーの液晶をのぞき込んで曲名を確認しようとしたが、いかんせん遠すぎたし、角度も悪かった。



 彼女は少年に曲名をたずねた。
 少年は彼女に曲名を教えた。
 彼女はもう腕を下ろしていた。



 彼女の掌には、少年の無精髭の感触が残っていた。
 それなので肌に触れたというよりはまったく無精髭に触れていたかのようだった。
 あるいは無精髭が肌なのかも知れない。もし何かコメントを求められたら少年はそう言うだろう。



 食前酒を食前酒って理由だけでずっと食前に飲み続けているみたいだ。
 食事に辿りつくことができない。そもそも食事に辿りつくことが目的なのかも分からない。
 そのような時間の過ごし方をするのは嫌だなと彼女は思っていた。



 そのような時間の流れ方でも別に構わないと少年は思っていた。
 経験に酔っているのか主観に酔っているのか分からない。
 少年はそう感じることもあった。



 彼女と少年はかすかな違和感を共有していた。
 通奏低音のようなもどかしさ。
 それは主に少年の手落ちだと彼女は理解していて、たとえそれが真実ではなくとも、少年が彼女に反論することはなかった。



 また、そのようなことがあったとしてもなかったとしても、彼女と少年は気にかけなかっただろう。
 共有されている部分については言葉にすることはないという暗黙の了解を、少年と彼女はすでに共有していた。
 少年と彼女は、そのことに関する無言の審議を行っていた。

March 28, 2011

20110329 - silence (all day long)

一致の階段はいつも一段飛ばしで、彼女の体がそれを覚えている。



 彼女はふと手を伸ばし、少年の顎に指先で触れる。
 何の仄めかしもない、単に指先で少年の顎に触れるための動作。マグカップ二つ分の距離は腕がすぐに飛び越えた。背中はほとんどそれを余分に支えず、ただ肩だけがわずかに前に出た。彼女の指が圧すだけの力で少年はわずかに首を持ち上げた。彼女の指にかかった力は関係ない。彼女の指が動いただけの高さを少年の顎が持ち上がった。
 いまを懐かしがっているこの男に何ができるか。
 いまを懐かしがっているこの男にわたしが何をできるか。
 彼女は彼女の言い分のなかで、少年は少年の沈黙のなかで、それぞれが過ごす初春の光景のなかで、互いが光景の要求によりそこに配置されているという疑念を振り払えないまま、見えないやりとりを、見えるかたちでおこなった。
 すなわち、懐かしいという感情を知らない彼女が、懐かしいという感情しか持たない少年に出会い、何が懐かしいのかを決めてみようと試みて、彼女は「彼女」を経由した強迫観念を通じて、少年は生来の感傷癖に由来した逆編集という妄想に取り憑かれて、「彼女」と少年は、そして彼女と少年の妄想は盛大に正面衝突をした後、実際に流れている時間のなかで決して実際には流れることのない時間を二人は過ごしていた時に、彼女は、「彼女」として、「彼女」は彼女として、少年に言葉を投げかけた。



 それはたぶん光りそのものではなくても光りの意味ではあったのだし、そうあるのだ、と彼女は思う。
 この男があたしを透かして「彼女」に仮託しようとしていたし、いるのは、きっとそのようなものだと彼女は思う。
 それは特に彼女が自信過剰というわけではなく、彼女なりの鑑識眼で少年を識別した結果だった。
 自分の人生が、人生そのものではなくとも人生の意味ではあるということを彼女はよしとせず、彼女は自分の本能に近い部分での判断のその意味を探そうとしていたが、それは問題を二重化するだけであるとすぐに気がついた。それに、そんな話しになったら意味と意味を持たないものを識別することなんてとてもじゃないができそうにない。
 一致の階段はいつも一段飛ばしで、彼女の体がそれを覚えている。



 一段飛ばしというわけでもなく少年の顎にかけた指を、彼女は下ろす。
 いつの間にか音楽が鳴り止んでいることに少年は気付く。次のプレイリストを確認しようと少年はかたわらに置いた携帯型音楽プレイヤーを右手で操作している。左手は彼女に触れるわけでもなく、そもそも少年が座っている場所からはそのままの姿勢では届くはずもなく、少年はクッションの上であぐらをかいている自分の膝近くにかぶせた手の平を、軽く開いたり閉じたりしていた。それはその行動自体の鼓動であるように見えた。涼気の層が床に被さっていたがそこに浸された少年の手は軽く汗ばんでいた。
 彼女はいつものようにひとつの鼓動のようでしかなかった。そのことを確認しながら、たとえばマイナスの鼓動というものがあるとしたらそれは自分の鼓動のことだろうなと少年は思った。

20110328 - silence (all night long)

眠りのように過ぎる夢。



 少年は口を開けないまま思う。彼女の夢はまるで眠りのように過ぎていくのだろう。彼女は眠りながら眠るのだろう。それとも眠りながら眠るのだろう。たぶん目はつむって。たまに口をあけて。



 少年は思う。まだ過ぎてない一日、それもまだ訪れてもいない一年のある初春の、まだ覚えられても忘れられてもいない午後を過ごしている彼女の部分、予測による注釈や編集の野暮の及ぶ先で、この物語を遠くから眺めて、それを覚えることも忘れることもやはりしないまま、それはあるいは天気予報が八卦を眺めるような感じで、彼女の視点からみれば、幻のなかで流れっぱなしの映画みたいな物語が過ぎようとしている。初春の午後が、幻のようなのか、それともそれが映画のようなものなのか、そのようなことを彼女は当然考えていない。と、思う。



 少年は思う。幻覚を幻覚でないものから見分けることが出来るのだったら、それは幻覚とは呼びようがない。けれども片目で幻覚を見たまま、もう片方の目で現実を見て、両目で何か別のものが見えたりしないだろうか。よりひどい幻覚だとか。自律的な幻と衝突しないように生活を続け、いざぶつかった時には、自分の方が幻だったんだって思うくらいに、呆然として、白けて、落胆を感じる前に前にそのことに対して意外さを感じるほど傲慢であったことにもついでに気付いて、その謙虚さだけを言い訳の種にして自律的な幻とよりを戻し、何も学ばないまま時が過ぎたし、過ぎるだろう。予測は外れることもある。事実として。要はそのようにまだ過ぎてもない時間と、実際に過ぎた時間との兼ね合いで何かが起こっていて、いや実際には何も起こってはいないのだけど、過ぎることのない時間ともう過ぎてしまった時間が似ていると感じているこの時間が過ぎたあとで、これは流れることのないどの時間と照らし合わされるのだろうか。



 少年は思う。自分は彼女に対して何を話すでもなく、ただ推論とちょっとした狂気と隠喩により導き出された沈黙のなかで、ただこのように思考することだけを願っていたのかもしれない。もちろん、それはあるまじき行為だ。でもなにかをあるべきではないと言うのは、単にそこで検分されるべき尺度をもうひとつ付け加えるだけのことなので、真に少年がそのようにただ思考することを願っていたのだとして、それは単にそれだけが他の為すべきではないことの代わりに行われただけだとも言える。まあ別にそこまで捨てたもんでもないと思うが、と少年は言葉にしようとして、彼女に対してそこまでの前提を何一つ打ち明けていないことに気付く。そして、それは、もう一つのこんな希望に結びつく。かもしれない。そこまで捨てたもんでもないと思うが、といういかにも微妙な台詞を何の前提もなしにいきなりぶつけられた彼女が、実は、全部の辻褄の各種を理解しているかのように平然とうなずくのではないかという、希望と呼んではいけないそれは希望で、叶ってはいけない希望、それでもなお希望としてあり続けるもの。だから彼女がもしそのときにうなずくのならば、自分もまたうなずくことしかできない。それは、この場合においては、彼女が抱きうる希望と呼んではならない類の希望のなかでは最良のものだから。

March 27, 2011

20110327 - silence (hallucination)

皮膚が粉となり風に遊ばれる。



 少年が口を開こうとする。彼女と「彼女」が少年の話を聞こうとしている。彼女たちが何を聞きたいということはなく、少年が何を言わなければならないということもやはりないのだろう。部屋が春で溢れて、呼吸するのも困難だった。光りに溺れるようで、目を開けているのも辛かったが、それは単に考え過ぎから引き起こされる事象だった。春の匂いがするのか、彼女の匂いがするのか、「彼女」の匂いを嗅いでいるのか分からなかった。それとも記憶のなかの彼女の匂いというのはあるかも知れない。だがなおさら彼女に呆れられそうなので、少年はここでそのことに触れるのはやめておいた。別にそんな話しをしたところで今更、彼女も「彼女」も気にはしなかっただろうけど。



 少年が口を開こうとする。いつも口を開く寸前のような感じがする。喉元まで空気が出て、あとは体で意味を与えるだけの、ちょっとした余韻が先にくるような状況が続いている。言葉それ自体を思い出すまえに、言葉の響きや音律を思い出し、それに総当たりで語彙をぶつけて、響きと意味が合致する語句を検索する。音律と意味だけが口のなかに存在し、言葉が見つからない。音律と意味だけを伝える方法はないか、と、何だか半分溺れたように感じ始めた時に、探していた言葉がその音律と意味をまとって出現する。



 少年が口を開こうとする。少年は、彼女、というのが誰なのかよく分かっていない。「彼女」が自分の目の前にいることは分かる。でも自分の目の前にいる「彼女」は彼女がその真似をしているだけの存在だと「彼女」の振りをした彼女が少年に告げたので、「彼女」の後ろに誰かがいることは理解し始めているが、それが本当にはどんなことなのかは今は少年の理解の範疇にはない。「彼女」は漠然とした音律と意味のようなものを担っているのではないかと少年は考える。そこに実際の言葉と発音を重ね、呼吸に肉体を与えているのが彼女なのだろうか、と少年は思う。



 少年が口を開こうとする。春風をくぐって乾燥しているはずの空気が妙にべとついて、スローモーションの瞬間が重く容赦なく、少年と彼女の肌を削り落としながら過ぎていく。皮膚が粉となり、風に遊ばれる。一方で動きに濡れた体が重い。動きはどこまでも軽い。このまま何も言わないままでいたら、自分は沈黙の底で溺れてしまうのではないかと少年は考えた。「彼女」は何も言わないまま少年を見つめている。それともまだ「彼女」の話しを遮るかたちで自分は何度も口を開こうとしているだけで、ふと「彼女」が口をつぐんだ瞬間を自分が勝手に引き延ばして何度も味わい直しているだけだろうか、自分の記憶のなかにある「彼女」の言葉で、自分がまだ実際に聞いてないのはどれか。そうして既に起こってしまった物事を何度も別の角度から眺め直すことを繰り返して、どれが実際に起こっている最新の出来事なのか少し混乱して分からなくなっているだけかも知れない。少年は慎重にそう考えた。笑止だ。もし少年が彼女もしくは「彼女」にその話をした時には、彼女たちはそう断ずるだろう。

March 26, 2011

20110326 - silence (dolby surround)

いちいち目眩を感じながら。



 「彼女」は言う。正確に言えば「彼女」のふりをした彼女が言う。あるいは彼女のふりをした「彼女」が言っているのかも知れない。他の物語の中では「彼女」が語り得ぬことを語ろうとして。つまり彼女がそこにあることにより、初めて存在可能になった「彼女」の部分が少年に話しかけていて、少年は少したじろいでいる。ように彼女には見えた。



 「彼女」は言う。あたしのことをいろんな物語のなかで見逃してきたとあなたは思っているんでしょ。もしくはすれ違ってからあなたが振り返るすべての後ろ姿にあたしの痕跡が見つかるかも、と思って、あなたはずっと、じっと、旅を続けてきたんでしょ。その旅はこれからもまだ続くし、彼女は祈りたくもない幸運をあなたに祈っていて、あたしは他の物語を探して、その中でなら彼女ではない姿であなたを救えるかもしれないと思っているけど、それがあなたの望みかどうかを聞くのをまず忘れてたね。



 「彼女」は言う。べつの物語のなかであたしが彼女の姿を取らないであろうことは、ほぼ確実。わたしは言ってはいけない秘密の言葉みたいな形で表現されているかも知れないし、幸運のお守りみたいな姿形をしているかもしれない。血のついたナイフ、カギ括弧のついていない独白、別の物語のなかであなたが訪れる部屋を誰かとシェアしている狂人の眼差しにあたしは宿っているかもしれないし、もしかしたら別の物語のなかではあなたがあたしだと言うこともあるかも知れない。



 「彼女」は言う。列島や、半島や、大陸や、また別の大陸。バスや飛行機や列車を乗り継いで、ターミナルや、深夜の食堂や、どこかの湿った南風のなかでいちいち目眩を感じて、そして目眩として揺れた分を補正して視角を整えて、その意味ではその分の現実を自分の感覚に丸投げしながら、あなたはあたしの後ろ姿だけを追いかけてここまで旅を続けてきたわけでしょ。もしいま彼女としてあなたに差し向かって話しているのが、単純に「彼女」であるあたしの後ろ姿としてここにあるだけだとしたらあなたはどうするの。あなたと差し向かいで話し合っている誰かの後ろ姿、なんていかにもで、あたしにはつまらない話しのようにしか思えないけど。



 「彼女」は言う。回想のなかの後ろ姿、あたしがこの物語で背負っている役割はそれだけのものかも知れない。あなたが新宿で彼女の後ろ姿をあたしの後ろ姿と勘違いしただけの話しで、本当にあたしと彼女は関係がないのかも知れない。だから自由になるのもならないのも、あたしや彼女の勝手という話しになり、あなたのことは単に放っておけば良いということになる。見たところそれでも問題はなさそうに見える。あなたがあたしではなく彼女を欲しがることを、ここになり、何故かあたしが望み始めているという簡単な予報を除けば。



 「彼女」は言う。だからきっと彼女は特別な存在で、あたしの振りをしている彼女がそんなことを話しているから当然彼女自身は赤面しているわけだけど、それはあたしがいちいち解説するまでもないでしょう。

March 25, 2011

20110325 - silence (stereo)

形のない人形。



 彼女がいう。目を閉じて。いや、開いていて。リラックスして。でも気を抜かないで。わたしの声が聞こえないふりをしていて。いや、わたしの声が聞こえる振りをしていて。わたしが何かの話しをしている振りをしていて。それともあなたが勝手に何かを聞き取っている振りをしていて。わたしが言っているこの言葉の内容が伝わっている振りをしていて。もし、わたしの声が聞こえるんだったら、わたしの声なんて聞こえないって振りをしていて。形のない人形みたいな、そんななりをいつもしていて。



 彼女は言う。安心して。きっとわたしもあなたと同じ事を忘れている。わたしがいたところで、それを思い出すことはきっとないだろうけど。もしその記憶が回復したとしたら、それはまったくの偶然。と信じることにわたしは決めている。と同時に、そのことを無意味だと見なすのではないということも知っている。実際に獲得もされなかったし、忘却へと消え去ってもいない記憶を回復するという言葉の意味はちょっと分からないけど。まだ覚えてもいないことを思いだそうとして、感傷すら先取りできる。



 彼女は言う。わたしは自分が取らなかった行動に対して反論しているのであり、わたしは自分が言わないであろうことを論破しようとしている。自分が言わないであろうことを論破するためにはずっと話し続ける必要がある。わたしの沈黙に対するこの逆説的な拘束がわたしを描写を発生させる力として確定している。



 彼女は言う。それともあなたはわたしを、まだ出会ってもいないけどすでに忘れてしまったような存在として見なしている。それで瞬間ごとにわたしがそこにあることに気付く。幾多の不思議の縁と因果と成り行きと、逆編集なんていう架空の論理を超えて。わたしは実際の旅路を背負って、人生の片道切符を偽造しているよ。もしくはそんな言い回しばかり考えている人のことを考えていたりする。暇な時は。それ以外の時はあなたが代わりにその人のことを考えてくれているのだと思っているけど、違うんだったら別にいい。



 彼女は言う。彼女は言う。この物語のなかにもう一人彼女は登場しないから、結局それはわたしでなければならないんだろうけど、また別の彼女がいると思って喋ってみる。こんな時に何を喋ればいいのか率直に言って分からないし、とんだ茶番だという見方も出来る。だから一人称を取り除いた言語を造ったら面白いのではないかなとわたしは思う。「わたしはバームクーヘンを三つに割った」は「バームクーヘンが三つに割れた」みたいに結果で会話する。それでバームクーヘンがひとりでに三つに割れるはずはないから、という推論的過程を内包した言語で、密約をプログラムする。「あなたとわたしが出会う」は、「少年と少女が出会う」になるんでしょうね。わたしは、「彼女」、ということになる。って。

March 24, 2011

20110324 - silence (mono)

経験をまねて記憶を刻む。



 あるいは少年や彼女が何年もかけて理解できなかったことが数行にまとめて書かれている。何もかもが省略されていて、省略をまぬがれたものも省略されたかたちで提示される。彼女の襟元でいつか溶けた細かな風の破片はそのままその場所で一冬を越して、春へと旅立っていた。冬だからと言って風が衰弱して死ぬとは彼女には思えなかったが、それはきっと気分だけのものだろう。だけ、と、いいつつ、どれだけその取り扱いに手を焼いているのか、と憤慨しているのもきっと気分だけのものだろう。と、彼女はすこし憤慨しながら、その怒りの矛先を出鱈目に少年に向けてみようかとも考えるが、八つ当たりは控えることにした。彼女は思う。控えられた八つ当たりがもうとっくのとうに少年のなかで未然の記憶として処理されていたとしたなら、少年はわたしのことを完全に理解していると言えるようになるのだろうか、それとも少年が行き着くのは完全な誤解か。わたしはそれをどのように判定すべきか。どこかの段階において、わたしは正解を知っているのだろうか。



 彼女は自分の気分の全てを「彼女」に委託できないかと考えた。自分は単なる眼差しとして残る。社会的に作用し、生存を保つ。もちろんそのような類の考えは、「彼女」を経由して取り扱われるので、彼女にとっては、我が事、という実感も事実もなかった。人称の小細工が、見かけ倒しの大仕掛けを演じているだけのことで、実際に何が起こっているというわけでもない。彼女が実際にそのことについて考えているというわけでもない、ということに、彼女自身のなかではそうなっているが、それを申し開きしているのも、それを了解しているのも彼女一人だ。それ以外に実際に起こっていることもあるが、ここには記述されない。もう、その話はしたよね、と彼女が問いかける前に、少年がうなずいている。



 ほぼリアルタイムで彼女の経験を真似て「彼女」は伸びをする。それとも経験よりは伸びの方が早かったから、ほぼわたしの伸びに間に合うかたちで「彼女」は自分のその経験を通過したのだろうかと、「彼女」の振りをした彼女は考える。「彼女」が「彼女」としてそう考えていることに「彼女」が気付いているのかどうかは分からなかった。彼女は考えた。物語の不変量として「彼女」を生み出し、「彼女」をこの物語のなかでわたしと同定したことは、「彼女」にとってのひとつの乱暴だとわたしは思うけど、結局は「彼女」に同じだけの乱暴をしているのはわたしも同じだ、わたしが消え去ることになっても、「彼女」を救うべきではないだろうか、いや、わたしが消え去っても、また別の物語で不変量として観測された「彼女」が、その物語に出てくるわたしみたいな狡猾な生き物の餌食にされるだけだろう、わたしが「彼女」のためにこの物語のなかでできることは何か。彼女は「彼女」とともに少年を見やった。

March 23, 2011

20110323 - silence (be there then)

それが自分を見る前に、それを見つめ返した。



 少年や彼女が何年もかけて理解したことが数行にまとめて書かれている。そこで省略された部分はこの文章が読まれている背後でずっと流れていることに単に少年と少女が気付かないまま。少年は彼女がそれに気付いてないと思っているし、彼女は彼女で少年がそのことに気付いていないと思っていた。両者とも経験の背景で流れている時間をはっきり認識していると自負していたし、この時にも彼女は、少年に見られることにより生じる「彼女」にその確信を一旦預け、少年と共に居ながら「彼女」の振りをすることにより、そのアイデアを思考することを得た。自分の狂気が自分を見る前に、それを見つめ返した。



 「彼女」を経由することにより、自分の狂気が自分を見つめる前にそれを見つめ返している、といった手順で、何かを仮定し続ける自分を「彼女」に完全に預けきることができない彼女の慎重さを、彼女が実際にそのことに慎重かどうかは抜きにして、少年は理解していた。他の人間や、自分に見られることにより発生した自分の部分にパラノイアを委託し続けた結果、やがて見られることによって発生していた自分の部分が自分に向けられていた眼差しを振り返ると、そこには誰もおらず、単に眼差しだけがいつまでもそのままで残っている、かも知れない、というひどく遠回りな怯えが彼女の空論にブレーキをかけていた。



 自分に見られることにより発生した自分が自分のかわりに生きていくのは構わないかな、と彼女は思う。地上の季節が変化するみたいに。体の分子が入れ替わるのと同じで。季節のその変化を楽しむ彼女がそこにあるのならば。季節のその変化を楽しむ自分がそこに一貫して存在してきたことを彼女がいつか思い返すのならば、その時、彼女はおそらくまったく別のものを追想することにより少年のことを思考しているのであり、その少年が見ている彼女が季節の変化を楽しんでいる、と彼女は納得するかどうかを決断することになるだろう。



 良識で狂気を隠蔽し続けようとした結果、先出しのジャンケンがそれぞれの頭のなかでいつまでも時間をさかのぼりながら続き、どこかで一周して戻ってきたその瞬間において少年と彼女は対峙しているにも関わらず、緩慢に流れる午後の時間のなかで少年が選んだ音楽を聴きながら彼女が淹れた茶を二人してすすっているだけのようにも思えてきたところで少年は我に返り、相手の狂気が見ていると思われる自分の狂気を想定して、保たれることにより存在するだけの均衡をただ保ち続けた。そうとしか考えられない、と一人で決めつけている少年をそうとしか考えられない自分に彼女は思い至るが、今はまあいいやと思うことにする。それにまあ何から手をつけても一緒だろう、という軽率な展望を彼女が持っていると思い込んでいる少年は、自分は彼女が思っているであろうよりはずっと楽観的ではないと自負しており、それを勝手に証明しようともしていた。

March 22, 2011

20110322 - silence (on tuesday again)

温もりと温もりの地図。



 彼女は自分の思考の論理のなかでそのようにして生み出されては、精神の力で四散しようとして、肉体が始終それを阻んだ。ふと顔を上げるたびに現実の膜に適応し、瞬きを数えながら、町の思考の流れを彼女なりの動線で支えた。それは逆編集に対する彼女なりの無意識の抵抗かもしれなかった。ある程度論理的に一貫性を持った過去を捏造することによってそれは彼女のダミーとなり、真に自分がたどってきた成り行きにまで決して逆編集が辿りつくことがないように。それが逆編集によってもたらされる福音であるべきではないという思想が彼女がそれまで歩んできた道の骨子を支えるものだから。



 上記の逆編集以降の思考は、彼女が少年の狂気に調子を合わせてどうにかその場その場をやり過ごそうしている結果発生しているものなので、考え過ぎの可能性はいつでもある。きっとそれすらもが考え過ぎだ。それぞれが自分の正気を守ろうとしながら、同時に、それぞれ相手の狂気を擁護しようとしている。端的にいってこうだ。互いに捏造しあった可能性すらある互いの狂気を擁護し合っては、彼女は少年とお互い正気のまま了解に辿りつこうとしている。さまざまな経験のあとさきは、記憶に温もりと温もりの地図を残して、過去から未来まで一貫して存在している彼女の部分を暖める。まったく論理的ではないが、それが自分の同一性を保証すると彼女は判断することに決めた。



 逆の場合にも同じ規則が適用されなければならないことを彼女は知っていた。つまり髪の毛からつま先までを覆う寒さや怯えによって一貫して震えている部分が、彼女の過去から未来へと渡る同一性をその場その場の現在において保証するものであると。



 彼女はある場合では一貫して震えており、また、ある場合では一貫して温もりに安心していたりもする。いつか震えが収まるのではないかと希望を失わず、いつか温もりが過ぎるのではないかと危惧している。自分がそのような感情の容れ物であることを疎ましく思うこともあった。自分がそのような感情の容れ物であることを止めたいとも思わなかった。そのような理由から彼女はアンニュイであったが、それは彼女と少年の物語とは直接の関係を持たない。



 彼女は「彼女」を経由することにより自身のささやかな狂気との連絡を保ちながら、少年が持ち込んだ逆編集の現実と争っていた。争う必要があるからそうしているのであり、そうでなければ、彼女はたぶんそうしない。そうである限り、彼女はずっとそうする。



 少年が消えたら、「彼女」は消えてしまうのだろうか、と彼女は考える。「彼女」がいなくなれば、少年も消えてしまうのだろうか。またべつの物語のなかにいる「彼女」と少年が確認されるだけのことだろう。



 彼女は自分が少年と本当に出会いたいのか自問した。そのように自問することが必要だという前提に立って。それは彼女にしてはぎりぎりでアウトな選択なのだが、それが必要だという前提に立ってしまったのだからしょうがない。その前提に立つ必要があったのかどうかについては最早問うまい。出会うことがないまま、共に過ごす時間が流れていくのならば、それはそれで万事滞りなしということにならないだろうか、と彼女は考える。何を犠牲にして、何を犠牲にしようとしているのだろうか。どっちの場合に。とりあえずこっちの場合の彼女は、もしくは彼女が選んだこっちの場合においては、彼女はまだ何も諦めず、少年と出会おうとしている。そんなことをしている自分がどれほどのお人好しであるのか意識することはない。ただ彼女は思うのだ。誰かと誰かが出会えることが前提の物語ならば、本当に誰かと誰かが出会うことができるか試すだけの価値はあるんじゃないかと。それは彼女にとっての挑戦であり、強迫観念じみた拘束でもあった。もちろん、そんなことを試しているあいだに、人と人は間違いなく出会っているのだけど。そして彼女と誰かが本当に互い出会えたと納得出来ようができまいが、それとも勝手に出会ってしまおうが、彼女がそのことを試みたことに何かの意味があるのだと彼女は思うことにした。もしくはそのようにして彼女は少年と出会ってしまったことに納得しようとしている。なにはともあれ、それらのことを諦める、という選択肢があることを彼女が知っているのかどうかも少年は知らなかった。それ以外のことももちろん知らなかったのだが、それを列挙することは行われない。

March 21, 2011

20110321 - silence (on monday)

そこにあるひとつの角度からの冒険。



 彼女はこのような場面を思い浮かべる。どこか地下深くに設けられた無人の研究プラントの一室、オレンジの非常灯の光りが幾つかの培養カプセルを照らしている。培養カプセルは無節操に何十基もひしめいているわけではなく、内部情報を実地でモニターするための簡単な端末が取り付けられた透明な硝子で囲まれた円柱が、研究室内に五組ほど設置されているだけだった。判別に時間がかかったのは、光量の足りない非常灯の明かりのせいだったが、普段その場所を照らしている白の清潔な光りを彼女が知っていたわけではなかった。彼女は初めて目を覚ましたばかりだった。おそらく自分は培養カプセルのなかにいたのだと思うと思う、と彼女は振り返って、そこで殻だけが割れた卵のように何事もなく砕けたカプセルの円柱があるのを確認する。彼女は自分が生まれたばかりであることを確認する。それが確認できることを確認する。それが本当に確認できているかのように行動できていることを確認する。培養カプセルのなかで意識を取り戻し、もしくは意識を獲得し、彼女の裸体に取り付けられていた、様々な電極や、電力の抜けた拘束具を振り払い、もともとカプセルを満たしていたであろう培養液を踵の裏に感じながら、カプセルに入ったヒビを自力で広げて外に出たのだった。



 空気が肺に痛かった。オレンジの非常灯の光りはその両目で初めて世界を見始めた彼女にとってちょうど良い明るさだった。それが彼女が生まれてから二分間のあいだに持った記憶の詳細だが、ひどく漠然としたものでもある。彼女は意識を持つのは初めてで、記憶を扱うということも経験したことがなかった。かといって新生児の危うさがあるわけではなく、初めて目覚めるにしてはやけに堂々としていて、行動のひとつひとつに迷いがなかった。彼女は自分の周囲にあるものからの比較で、大体の自分の身長を割り出した。一般的な数値に換算すれば160センチ弱と言ったところだろう。ずっと夢を見ていたことなら覚えていた。それが意識活動の代替になったのかも知れない、という考えが脳裏をちらつくが、その考えにしても、そして、その考えに対する批判にしても、それらがどこから湧いて出てきたものなのか彼女には判然としなかった。考えを持っていると知っていることは知れた。そして彼女にはそれ以外に頼るものはなかった。



 彼女はそのような場面を思い浮かべている。彼女はそのような場面を思い浮かべながら、その場面に立っている初めて目を覚ましたばかりの自分が、視覚をずいぶんと上手く使いこなしていることに気付いた。視覚を通した認知の基本的に思えるような機能、遠近感や、地と図の解釈などの機能は生来的に十全になものとして備わっているわけではなく、発育過程で脳の部位を発達させていくことにより養われる。彼女は自分の見ているものが遠近のない、一枚の平坦な絵柄ではなく、奥行きを持った半壊の研究所の光景と何故か知っていると何故か知っていた。培養器のなかでずっと見ていた夢、もしくは外部から加えられた電気的な刺激が彼女の脳を、いま彼女の脳がそうであるように形作ってきたのだろうか。それがどれだけの繊細さを要求する事柄かは彼女には判断が下しがたかったが、その機構の輪郭を思い浮かべるだけの知能が自分に備わっていることを彼女は意識した。



 目の前を流れていくのは名前のないものたち。無機的で、感想を生まず、何かの機能を持っていることは分かるが、それが所期のものとして安定して機能している限り、それらの事物は彼女の関心を惹かなかった。机や、椅子や、コンソールや、誰かが脱ぎ忘れた白い上着や、ペンや、無傷で中身には何も入っていない四基の培養カプセル、という名前で呼ばれるはずのものは、一切彼女の関心を引かず、個々を背景から区分することは出来ても、それらは何の重要さも主張していなかった。唯一彼女の注意をひいたのは、研究室を本来の広さの半分に区切っている隔壁と、恐らくは爆発によりその隔壁に空いた直径二メートル足らずの穴だった。彼女のなかの何かが彼女に生きろと伝えていて、彼女はお前もなと返していた。そこにあるひとつの角度からの冒険が始まっていた。

March 20, 2011

20110320 - silence (on sunday)

一日の終わりみたいな何かが、一日の終わりを照らす。



 あるいは風の残骸を集めて部屋を組み立てる。自身を風の残骸だと自惚れと自己憐憫を兼ねた感情を少年はもてあそぶ。風の残骸でできた光景を吹き抜ける風の後ろ姿を、その横顔として覚える。ある風が寄せて、彼女の部屋を組み立てるまでの経緯に少年は思いを馳せる。そこで観測される風の一部分は、かつては夕暮れの優しい光りをくぐっていたものであり、ポットから湯気を立てている珈琲の匂いをくぐり、芝生に濡れ、彼女の襟元で溶けた。少年の手元に残骸として残っている風が渡っていた夜もそこにあり、夜から夜を渡る風もあれば、夜から朝へと繋がる風もあり、朝焼けと黄昏を見間違えた風のなかで花冷えと陽気が互いを呼び間違えている。風の残骸ではないものも、手にとれば、それを部屋の部品をして増改築を行う。部屋として閉じたあとも、なお風が吹き込むように、まずは窓を最初に造り、そして窓を最後まで残す。



 時間みたいな何かが過ぎて、そこで過ぎたものを時間だと証明する作業を少年は同時に進めていた。それが時間であることを証明しようとしているあいだにもとにかく時間は流れるのだし、そこから導き出される教訓は今更であり、あまりに有り触れている。それならば、あまりに有り触れているということを教訓にして、少年は中断していた作業にふたたび取りかかる。あるいは自身に教訓を用立てたということを教訓にして、それでもなお教訓を必要としていることを教訓にしながら、あるいは効率的に教訓を製造するだけの日々に没頭したのちに、効率的に教訓を消費する日々に明け暮れ、言葉が溢れて、一日よりも長くなり、振り返っても未来しか見えないみたいなちゃちな幻想が少年を甘やかす。



 風みたいな何かが吹いて、隙間を賑わす。春の始まりの一日みたいな一日が彼女の部屋で過ぎていて、一日に含まれる一日みたいな一日と実際の一日のあいだを揺れ動きながら、印象が育ち、三食が済まされ、どちらの一日の終わりか分からぬ一日の終わりみたいな何かが、一日の終わりの町を照らしている。



 あるいは、一日の終わりみたいな何かを組み合わせて、一日を組み上げる。



 そのようなことをしたくなるのは一日の終わりなのだが。



 自分は長いこと夕焼けを見ていない、と彼女は思う。その割には、中天にかかる太陽を見たという記憶は薄く、どちらかと言えば夕焼けに差し掛かったオレンジ色の太陽ばかりをこれまでの人生で見てきたという感想を抱くが、それにしてもいつも思い出すのは凡庸な角度で照らす凡庸な太陽が浮かぶ凡庸な空だった。何でも起こりそうな凡庸さが砂埃みたいな日光を受け返しながら光りの底に沈み、線路沿いの道が彼女のこちらがわから向こう側へと伸びていた。これはどの線路沿いの道だろうか。その道を挟んだ線路の向かいには幾棟かの背の低いビルが並び、時に建築に疲れた空間の隙間を路地が破って見知らぬ坂道を遠くで上っていく。自分は夕焼けを見て一日を終わりを感じたいんだな、と彼女は納得することにする。もっと遅い、宵の口に差し掛かる時間にふとその一日を振り返る瞬間を試すのではなく、夕焼けを見ながらそれを何かの合図として捉えるような儀式を自分はしたいだけなんだろうな、と彼女は納得することに決める。何かの合図で夕焼けが発生するのではなく、また夕焼けを発生させるような何かの特別な合図でもなく、感情のための素朴な合図が欲しかった。そして、実際に夕焼けをみても満足をしないわたしの部分はどのようなものだろうかと彼女は考えた。

March 19, 2011

20110319 - silence (on saturday)

風の残骸でできた部屋。



 何年も彼女を追いかけていた風の歯車が弾け飛んで、風速の部品をまき散らしながら不時着したその先に彼女は住んでいて、彼女の部屋には大破した風の破片が散らばっている。彼女は自分のすぐ背後にある、コンクリートの駆体や、本や洋服の山、CDやレコード、散乱した生活雑貨や洗濯かご等は、かつて町から町を渡る風の残骸であると知っていた。彼女が初めてその部屋に辿りついたとき、その部屋の一番奥にある窓から街路を眺めながら窓枠を指先でなぞっていたとき、自分の背後で墜落した風が部屋中に散らばるのを感じたが、彼女は振り返らなかった。花粉を感じて少し鼻がむず痒くなった。振り返らなくても分かった。自分の背後には、自分に追いつききれなかった風の抜け殻が横たわっていて、その風の、最後にそよいだ部分は、風に背を向けた彼女の唇からそっと吐き出されて、窓の外の景色に溶け込んだ。



 何年も少年が追いかけていた夜の歯車がかみ合って、どの朝にも続かない、どの朝の続きでもない、ひとつだけ余分で特別なずっと続く夜が生み出された。その瞬間を少年はずっと待ち受けてはいたが、訪れたその夜をどのようにしていいのかが分からなかった。その夜はそれまでに訪れたどの夜とも違っているように思えたが、そのぶんそれはそれまでに訪れたどの夜にも似ていた。彼女の部屋で大破した風の破片が、その夜を吹き抜けていくところを少年は想像した。都市の破片をころころと転がし、彼女が歩き辿りついたその背後に居室と日だまりを作り上げるような種類の魔法。長年彼女のあとを追いかけ続け、結局は「彼女」の部屋で大破することに相成った風の部品だけあって、少年が覚えたある一つの特別な夜にそれは理由もなく似つかわしかった。



 何年も「彼女」を追いかけていた風の歯車が弾け飛んで、風速の部品をまき散らしながら不時着したその先に自分が住んでいることを「彼女」は知っていた。当の彼女は因果の彼女側のすみで常に「彼女」込みで更新されながらも、何気ない顔をして、鼻歌交じりで、風や夜に対する少年の思い込みを一身に引き受けていた。歯車が弾け飛んで大破して彼女の部屋をだらしなく飾っているのは、いま自分の部屋でともにカモミールティーをすすっている少年の方ではないか。



 彼女は何年も自分のあとを追いかけ続けている風の存在を知っていた。それに吹かれる時があれば、そのときこそは、それが自分が吹かれることを求めていたその風であると分かると心得ていた。そして、その種の思い込みの病は少年から伝染したものだと思い込むことにしていた。実際には、彼女自身、吹かれるに価する風をずっと探していたのだが、自分のなかにあるそのような不穏な思い込みは、少年が自分を媒介にして発生させているものだと信じることに彼女は決めた。つまり、自分の思い込みを、いちど少年という形に外部化し、そのことにより狂気を迂回して、自分の思考の健全性を保とうと彼女は決定した。その意味では彼女は「彼女」とも共同戦線を張っているとも言えたし、自分の迂遠な思い込みを保全するために彼女が「彼女」を利用しているという見方もできた。

March 18, 2011

20110318 - silence (on friday)

隙間のない感覚の細工。



 少年の視界のなかで、彼女の実物大の地図が踊りながら爆ぜて瞬間ごとに崩れそうになりながらも、そのたびに永遠に均衡を保とうとしていた。少年は新宿で見た彼女の姿を覚えていた。何枚もの地図が重なりあい、それが崩れそうでおっかなく、それと同時にそう思っていること自体がいつも通りに馬鹿らしいことだと前にも思っていた、と同時に三つくらいのことを、習慣的に、ある程度の諦めを持って考えていた、もしくはそう考えて諦めながら、なおも諦めなかった。おおもとでその諦めを受け入れる形にはなるが、所詮はそれは自分の思考の地図であり、自分の思考そのものではないという不穏な仮定を少年は掲げ、やがて、がつくかもしれない思い出話を揚々と続ける他はないことを自分に悟らせた。それは何かのたとえ話であり、たとえ話が先にあって、今のところはたとえ話しかないのだけど、ともかくたとえ話が先に見つかってしまったのだから、そのたとえ話を逆算する。たとえて言えばそのようなたとえ話であり、たとえられているのもそのような内容のたとえ話だ。



 彼女の居室に都市の光景が重なった。あるいはそれは単に彼女がそこにいることを、少年が少しばかり大げさに解釈した結果生じている感覚の一例であるかもしれなかった。少年は耳元をくぐる機敏な空気の動きをあるいは耳元で練っていた。音がして、圧力の差が育ち、体はそれを受け流すことによりそれに応えた。風だった。彼女を支配的な低気圧として据えた風が、彼女の表面を撫ぜ、何故か少年の心を震わせた。それはただ少年がそう思っていただけだったかも知れないが、その自覚はそのときの少年にはなかった。細かな風が、光りの剃刀のように初春の空気を裂いて、それは風景として寄せられる隙間のない感覚の細工となり、その全体はまず視覚を支配して、あるいはそれは視覚がまずは支配的であるからなのだけど、そして、少年の肌に触れ、彼女の触覚を圧している空気の流れの涼しさを少年に伝えた。気温がほとんど匂いとして感じられそうだった。五感同士を入れ替えても、なお、同じ風景が成り立ちそうだった。細かな風が崩れては、彼女の髪の毛が揺れた。細かな風が砕け散る彼女自身の存在の浜辺で、彼女がフィルムでできた特異な髪の毛を揺らしていたのが本当かどうかは分からなかったが、少年はそれを見たのだし、それは幻覚ではないと知っていた。



 それは統合された五感からの入力を、再び違う感覚器官への刺激として配分しなおし、それを更に再び、一つの確かで、確かに移ろいやすい印象の流れとして再構成したかのようだった。たとえば、音楽を聴いて「彼女」を実際に「見て」、「彼女」を「見る」ことにより鼻孔は新鮮な空気の匂いで満たされ、空気の匂いを嗅ぐことによりまだ肌寒い生まれたての春の空気の圧す様を肌で愛でながら、肌で感じる風の抑揚により聴覚に音楽が生まれた。

March 17, 2011

20110317 - silence (on thursday)

夜が過ぎ、夜が過ぎ、夜が過ぎる。



 夜が過ぎ、夜が過ぎ、夜が過ぎる。「彼女」と彼女は無関係なのだと、「彼女」の振りをした彼女が少年に話す。関係があるとすれば、それは少年と介してのことであり、あなたがいなければ「彼女」が彼女の姿に似ることもなかったんだけど、別に彼女が少年のことを恨んでいるということはない。と彼女は言わない。「彼女」なんて所詮は作り事だから。作り事がそこにあることを認めることになるから。と考えている彼女は、自分が少年の代わりにそう考えているのではないかという疑いを持つ。あるいはそれは少年により発見された「彼女」が彼女に及ぼしている影響か。それを彼女に意識させていることが、「彼女」が彼女に及ぼしている影響ではあるのだが、そもそもそれは彼女が少年の狂気にちょっと調子を合わせた結果発生している事態であり、実際に起こっていたのはもっと別の物事だったが、これはその別の物事についての物語ではない。



 彼女はまだ三十に届いていなかったが、何故自分が既に数千年を生き終わっていないのかがいつも腑に落ちなかった。あるいは何故周りの人間が、彼女が数千歳であることを認めないのかが分からなかった。つまり、彼女は自分だけがそのことを認めればいいということを分かればいいということが分からなかった。彼女は正気を保つことのほうを選んだ。



 彼女は「彼女」の憤りを理解できるような気がした。あくまで漠然とした「彼女」の漠然とした怒り、その怒りを信じることは「彼女」であることであり、それは彼女自身の選択でもあった。彼女はある部分では「彼女」として生きることを受け入れていた。その取り決めは、自分にも知られぬことのない密約であり、あらかじめ「彼女」に知られぬことのない彼女の「彼女」に対する追悼であり、少年に知られぬことのない彼女と「彼女」のあいだの罪のない、過去を持たない、未来を待たない、鏡越しに交わされる小さな目配せだった。



 それはある意味では彼女に課せられた責務であるとも言えたし、それを無視する自由も彼女にはあった。「彼女」は偶然この物語のなかで彼女の姿をとっているに過ぎず、「彼女」の怒りは彼女の怒りであり、「彼女」のふりをしているときでさえ彼女は彼女だった。彼女は少年により見られていることに生じる「彼女」の姿をまとい、「彼女」を理解しようと努め、それは少年に対する彼女の優しさとはまた別のものだった。彼女は少年に対して寛容だった。彼女が彼女自身に対して寛容であるよりも、遙かに寛容であった。どこかで沈黙を引き受けるものが必要だと彼女は知っていて、その役割を彼女自らこなそうと思ってはいたが、結局はそれは「彼女」の痛みと同質なものであることを彼女は知ってはいた。彼女は痛みというものを、あまり信用していなかった。痛みは記憶であり、現在ではないというのが彼女の持論だった。

March 16, 2011

20110316 - silence (on wednesday)

手がかりとしてあるもの。



 そのように、まだそこにないもの、これからもきっと存在しないであろうもの、もしかしたら存在したかもしれないものとの釣り合いを取ることにより、彼女は空の重心を測っていた。空の重心を測るというのは少年が勝手に口走っているだけの言い方で、彼女は無視していた。
 無視されていた、というのは少年の思い込みで、実際には空の重心云々に関しては彼女は何も知らなかった。



 その手がかりは、それがそこにないこと。その手がかりは、その誰かがそこにいないこと。手がかりがあり、手がかりしかないもの。そのようなものを考えるのを彼女は好きだったが、少年が逆編集を用いて必至に介入しようとしている経験の純粋性というものよりかは、幾分かそれは実際的なものだった。それがそこにないのなら、それはそこにないことにより、それは常にそこにある、と感じられる何かを彼女は信用していたし、少年が彼女を信用する以上に彼女は自分を信用していて、そこにないそこにあるものたちについて少年に教えても無駄だろうな、と思考を形成する以前の勘、彼女に備わった本能のようなものが彼女に告げていた。少年はそれを逆編集と同一視し、納得することを選ぶだろう。もしくは、あるいは同時に、わたしがそのような徒労を選ぶだろう。それも考え過ぎだろうか。と、彼女はこの段落に書かれている全てを考える前に、ひとまず考えていた。



 手がかりがあり、それ以外の混乱が過去込みのセットでついてくる。手がかりと混乱は釣り合いを保っていて、混乱を深めれば手がかりは明晰になるのではないかと少年は勝手に睨んでいた。その手がかりというのは、結局は混乱の手がかりなのではと彼女に見透かされるような気がして、少年はそのことには触れなかったが、そのことを彼女は見透かしていた。すごい。と少年は思うかも知れない。さすが「彼女」だ、と。
 今の少年にとって彼女は「彼女」の手がかりであり、そこに純然たる手がかりしかないことは彼女だけが心得ていた。もし少年が幸運であれば、彼女自身に関しても手がかりを得るところまで行けるかも知れない。あるいは手がかりとしてそこにあるものを。その時には彼女自身がその幸運でなければならない。



 彼女とともにいるとき少年は自分の幸運を信じることを彼女は望んでいて、それは「彼女」の望みではない。「彼女」とともにある少年にはその望みはきっと届かず、二人の関係はやはりそこでもねじれている。
 届かずとも叶うものがあることを少年も彼女も知っていて、それによって叶う十全な何かが互いの望み通りの何かでないことにより、何を望んでいるかを知りもしないまま何かを望み続けることができるのだと、でもそれは望みがないってことでもないかと彼女は考える。少年もそのとき同じことを考える。それがどうした、と、そのどちらの事実に関してかは彼女自身分かっていないのだが、彼女は思うわけである。

March 15, 2011

20110315 - silence (on tuesday)

意識の共感覚。



 少年と少女は何ヶ月も話し続けた。話し続けるために、食事をして、眠り、経験を受け入れ、そこに解釈を挟み込んで虚構を生成し、両面鏡ばりの外壁の内側で、それと同時に皮膚の外側で、頭を使おうとしていること自体が頭を使ってないことの現れではないかと疑ってもいたし、その疑いは根拠のない肯定によって成り立っているという見方を採用できるという意味では、これは全然悪い賭けには思えない。というような話しを続けた。悪い賭けでないように思えるというのはどのような機能的な欠陥だろうかと少年は訝った。賭け、なんて呼んでるだけでしょ、というのが彼女の言い分だった。



 言い方を変えれば物事は変わるというのが彼女の主張であるが、これはこの場では何かの言い方を変えるものではなく、単に段落の始まりである。言い方が物事であるという限りにおいてそれは正しい。草花が育つように育つ文章。細かな規則があり、それが意識に似た何かを生み出す。生み出された意識が規則を決定する。音律に意味を重ね、意識の共感覚を更新する。意識の共感覚を意識に還元しようとする。そこに生じる意識を彼女は意識する。どれを自意識と呼ぶかを彼女は思案する。そのことに気付いた彼女は、その声を他の多くの声と同様に却下する。
 そのように毎瞬ごとに手詰まりから生み出され、ということは格好だけは純粋な活路としての体裁を保ちつつ、つまり、全ての選択肢からただ一個だけを除いたものを手詰まりにすることにより、機能的に活路を生み出していると考えていると考えられながら、角度の違う空気の断層をまたいで自分の体が波打つように移動しているように感じている彼女は、柔らかな光りの確かさを疑うことは知らなかったが、夜を知っており、それと同様に、彼女が彼女であるためには十分に、つまり、彼女が「彼女」でないためには十分に、何でも知っていた。それではまるで「彼女」のようではないかと彼女は憤り、自分も結局は「彼女」を生み出すことに加担していることに後ろめたさを抱くこともあった。もちろんそのこと自体についても良心の呵責を感じることは忘れず、それは単なる自己憐憫ではないかと疑い始めたあたりで考えすぎだと決定する。



 言い方を変えれば、まだ言っていないことの言い方を変えることができないかと彼女は考えていた。純粋な活路およびそれ以外の手詰まりとして活動を続ける彼女にとっては、それは自由そのものではなくても、それは自由の意味であるように思えた。そして彼女が言いたいのはそのような事では全然なく、単にそれだけが現在の意味を規定するのだと彼女は常々思っていた。単に言葉の響きだけの問題であっても。それ以外のどのような意味であっても。それ以外のどのような意味でなくとも。
 それは自分はどのようなものを選ばないか、という未来に向けた回想であり、その未来のなかでは不思議と彼女生きているその現実の時間は可能性の一つに過ぎなくなっている。彼女にとってそのような可能性を秘めた現実だったということなら、問題は特にないとも言える。まだ選んでないことを選ばないことにより消えていくものと彼女は等価であり、同様に、すでに選ばなかったものを選ばなかったために消えていったものと彼女がちょうど釣り合っている。

March 6, 2011

20110306 - silence (interlude)

単調な雨。



 単調な雨のなか大地震のため倒壊した都市の欠片のヴァリエーションから構築された破壊と火災のパッチワークのなかに閉じ込められた「彼女」が夜明けを待っていた。同時にそれは夜の思い出でもあった。ずっと昔の大空襲の夜だ。「彼女」はずっと昔のその空襲の晩も、どうにか爆弾や火災から逃れて、当たり前のように川岸で夜明けを待ったのだった。「彼女」はその空襲の場面にも自分がいたことを知っていたし、今現在いるその震災の場面に自分が以前にもいた事があったと知っていた。雨が降っていて気持ちよかった。水たまりから地上に広がる虚空が顔を覗かせていた。少年が求めている虚空はきっとそれだけのものなんだ。



 それは銀幕に映写された「彼女」の姿だった。彼女もしくは「彼女」の髪の毛のフィルムを再生する映写機がことことと回っている。そのフィルムが再生されるとき、フィルムは彼女の映像が投影されている周囲の空間に二次大戦中のパリで見た小さな映画館を発生させた。それと同時に、そのパリの映画館が出てくる映画が上映されていた二十一世紀の東京のシネコンもそこに発生した。装置はことことと回り続け、「彼女」と、「彼女」にまつわる様々な映画館の記憶をその周囲に発生させ続けた。光線が差し、焦点がレンズから漏れた。焦点は液体のように漏れて「彼女」の姿形で滲んだ。「彼女」は彼女に似ていた。装置がことこと鳴っている音だけが本当に鳴っていたが、「彼女」を取り巻く環境音も「彼女」を映し出す液状化した焦点に含まれており、それは空気の振動とはまた別の方法で解凍されて伝わるのだった。



 少年が「彼女」を見つけ出したのは未だ都会として機能している都会の残骸のなかだった。その朝、深くまで落ちた青と熱のある赤が、色同士の境界線のうえで空を紡いでいた。熱は、凍った炎の色となり地平線を浸した。炎は氷が溶けるようにゆっくりと広がり、色が追従した。空は、欠片を求めて全体を変化させ、一度も止まらなかった。東向きの窓が「彼女」のお気に入りだった。「彼女」に言われるまで、少年はその窓が東向きだということに気がつかなかった。



 「彼女」を描こうとして、別の女を描き、なおも試みて、描線と塗料の雨が描線と塗料を洗い流し、配色図は残っているが、色が残っていない沢山の図版に、新たな輪郭を書く。



 逆編集者同士が「彼女」について話すときは、お互いが語っている「彼女」が果たして同じ「彼女」かどうかで揉めることがままあった。それを和解させるのはいつも「彼女」であった。「彼女」は感情の象徴であると激情に任せて口走ったものがいたが、その意味はまだ分かっていない。分かっていないだけで、意味はあるんじゃないかと少年は思っている。という文章を誰かに書かせるだけの意味しかなくとも。

March 5, 2011

20110305 - silence (on saturday)

放心の中心。



 少年は逆編集界では異端的な目で見られつつも、逆編集に関する主に情緒的な技能は完全にマスターした。情緒的な何かを完全にマスターできると見なしているところに逆編集の基本的な欠陥がある。
 少年は必要とされる技能を身につけ、それを発動させたまま何千時間も過ごした。基礎を体にたたき込んだ。自分が先天的にそれを知っているのではないと意識しなくなるまで、逆編集の訓練を繰り返した。要は、物事のありのままの状態を取り返すために、そのありのままの状態を偽装する方法を探し続けた。という振りをし続けた。実際に何かを行いながら、それをしている振りを同時にする、というのが忘れてはならない逆編集の要点である。そのことにより、自己は経験に限りなく迫りながら、同時にその経験から遊離する。



 何かをしている振りをしている振りをしている。人を実際に殴る振りをしている振りをしながら、実際に殴られている人がいて、殴られた人のほうではそれは殴られた振りではない。当然、本物の喧嘩に発展する。刃傷沙汰にまでなるかも知れない。人情話に落ち着くかも知れない。そこはどうでも構わない。
 ただその場面で殴られた方が逆編集者で、自分が実際に殴られながらも、実際に殴られた振りをし続ける、ということは可能で、当然、本物の喧嘩をする振りをして、実際の喧嘩をして、どちらかが死ぬということもありえるし、死んでしまっては死んだふりはできないし、それどころかそもそも死んだ方はそれまで実は生きていたふりをしていたのではないかと、過失致死の罪を犯してしまったほうの逆編集者はちょっと近くの署までしょっぴかれながら考えていたりする。



 そのような齟齬を目の当たりにしつつも、少年は逆編集の揺籃期を生き延びた。
 そもそもある程度の情報を網羅しない限り、逆編集が必要とされることがない。少年は自分が逆編集を必要とするために、がむしゃらに情報を頭に詰め込み、積み込んだ。文脈の成員となり、それが連綿と続いてきたものであることを学んだ。
 文化によって暮らしが搾取されているような気がしたのだ。正確にいうのならば、文化に纏わり付く参照や言及や、関連情報などを絡めながら、そこに含まれる要素を読み解いていく自分自身が持つ批評的な眼差しに嫌気がさしていた。
 できることならば意味そのものになってしまいたい云々はほんの一時頭を掠めた妄言だったが、その発想によって始めることを促された、行為者としての自分が存在しない振りをしながら自分の行動の結果を自分で生きるというアクロバティックな存在の体操は続けていた。
 逆編集の初歩に、放心の技術があり、放心していることに気付いたままその状態を保つというのが中級者を目指そうとしている逆編集者に求められる要件だと言う。
 達人級の逆編集者は眠ったままでも逆編集が可能であるとされている。
 真に熟睡したまま、眠った振りをしている自分に気づき、その放心状態を保ち、自分の睡眠という経験の純粋性を自身に対して証明できると超然とした態度を崩さずに話す達人を前にして、それは単に眠っているふりをしている明晰夢が見られるだけではないかとうつらうつらと考えながら、少年は自分が目を覚まして達人の話しを聞いている振りをしていた。そこは普通である。

March 4, 2011

20110304 - silence (on friday)

「続きを聞かせて」。



 発話という行為を逆編集して、そこに自分がいない振りをすればそこに意味だけが残るのではないか。少年が逆編集の論理に見いだした希望はそのようなものだった。
 発話だけではない。自分の行動のひとつひとつに逆編集を施し、自分がそこにいないまま自分の行為だけが続いているという振りをすることもできる。
 逆編集の腕を磨き、それをリアルタイムで処理してみせる。
 それが少年のたてた目標だった。
 言い換えれば、それ以来彼は人生の実際の時間において、そこに自分が存在せず、自分が何か発言したり行動したりしたその結果だけが残っている振りをし続けた。さらに腕を磨けばまだ訪れていない時間を既に生き終わった振りが出来るようになるかも知れない。少年は胸を躍らせた。
 それは当時の逆編集者のなかでも極度に異端的なあり方だった。自分の経験から自分を抜き去って、その経験の純粋性に迫るのが逆編集の極意だというのに、自分の行動から自分だけを消し去って、なおもその因果を生きようとするとは何事か、と憤慨する人もあった。より正確に言えば、自分の経験から自分を抜き去った振りをして、その経験の純粋性に迫ったふりをするのが極意だという振りをしているのに、お前と来たら、自分の行動から自分だけを消し去った振りをして、なおもその因果を生きようとしている、ということになる。



 自分が経験した振りをしたものから自分を消し去って、自分が経験しなかった物事の純粋性に迫るというのが、逆編集が次に辿り着くべき目標なのではないかと、逆編集を学び始めて間もない頃に少年は提言した。
 逆編集を学ぶ、と言っても自分の目の前で進行している光景や、もしくは記憶から自分がいなくなった振りをして、過ぎていく時間を虚心に見続けるだけで張り合いがない。
 お前の感傷はよく理解できる。
 提言された側の男はそう答え、続けた。
 なあ、現実の経験から自分を抜き去っても、現実は存在する。いや、俺だって一応はまともだ。現実から自分を消し去ることは出来ないのは分かってる。ただ、そこから自分を消し去った振りをするということは、つまり感覚から余分なものを一個取り除こうってだけのことで、その跡形には耐えられない膨大が渦巻いており、そこから生まれる懐かしさで息もつけなければ俺はそれでいいんだ。だけどお前は、自分の行動から自分を消し去った振りをしてみたり、それはまだ理解可能だとしても、自分が経験していないものから自分を消し去ってみたいだの言ったりする。自分がいないところから、どうやってそれ以上いなくなる気だ。



 まず、これは感傷ではない。
 少年は答えた。そして続けた。
 事実として、物事は高度に洗練されたやり方で分類され、互いに関連づけされ、無数の評価軸がひしめく批評空間の幾つもの違った次元において検分され、複製され、売買されている。そこで流通している作品にまつわる文化的な参照や、伝統的な価値や、批評によって言及される物語を取り払って、その作品自体の息づかいに触れる、振りをする、というのが逆編集のもう一つの目的だろ。作品が記録しているものが経験だとしたら、その経験の純化を逆編集は求めている。とんだ戯れ言だと思うけど、理屈としては面白い。自由人称サブプロセスもそれなりに実りのある試みだと思う。でも、既にそこにある批評軸に合致しない批評軸を生み出すことにより、いわば受動的に非批評的な態度をとり続けるというのは、はっきり言ってあざといし、無理があると思う。それこそが経験の戦略化の極みではないかと僕は危惧している。
 少年はここで咳き込んだ。
 もちろん逆編集なんてものが可能だって前提で話してるんだけど、いまこう話しながらも、僕は自分がここにいない振りをして、それと同時に、ここにいない振りをしている自分がここにいない振りをするコツをマスターしている、という振りをしている、という内容の発言から自分の声と人称だけを消し去ってその意味だけが伝わっている、という振りをしているところだ。あるいは、僕がそう言っているのを君が聴いているという振りを僕がしているだけかもしれない。いま君が僕がここにいる振りをしている振りを僕がしているのかもしれない。唯我論のように聞こえなければいいけど。



 あなたって昔からあれだったのね。
 少年のそこまでの思い出話を聞いた彼女が言う。
 そうでもない。
 と少年が謙遜する。
 続きを聞かせて。
 彼女がいう。

March 2, 2011

20110303 - silence (on thursday)

聴取の人称。



 少年は自分が逆編集に耽溺し始めた時のことを覚えていた。
 新宿で彼女、もしくは「彼女」の姿を見かけた冬の晩のよりさらに六年前の晩冬、ある雑誌の取材記事をまとめていたときに、自分が取材した人物の声と人称が際限なく分裂していくように感じたのだった。



 それは凡庸な体験だった。カセットテープに録音された声があり、その声が語ろうとしている意味内容を発話している人称があり、それを聞き取ってコンピューターのエディターで書き起こしたテキストがあり、そこで編集された取材対象の人物の声をまとめあげる一人称を設定したのは少年自身で、気がついた時には少年はさらに聴取の人称というものに思いを巡らせ始めていた。
 人称と声は必ずしも一致しない。
 改行するほどのことでもない。
 だが声はひとつしかない。
 さらに少年の人生の時間を乗っ取る形でその取材の日の現場で何度も同じ話を繰り返しているその人物に関する少年の記憶のなかで、その人物は声と人称とは自在に切り離すことができると話していた。



 それ自体は当たり前のことだ。
 舞台上の役者がその役者自身として行動し、その役者自身の人称で喋るということがないように。
 もし舞台上の役者が役割に命じられた人称ではなく、その役者本人の人称に於いて行動していると普段から認識しているような者がいれば、その者は舞台の上にさらに設えられた舞台に立っていることになり、誰にもその者の声と人称とを一致させることは機能的に不可能になる。それは芝居の芝居ということになり、その者の言質と発話を一致させる必要はなくなる。それは困る。と少年は思う。
 六年前の冬、その原稿を仕上げながら、声と人称が切り離せる、ということに少年は遅ればせながら気がついたのだった。
 それならば、その声や人称により語られている内容こそが、真に声と人称とを持つことになる。ある内容や意味が場面を設定し、そこを行き来する人物の過去や行く先や声や、彼らや彼女たちの人称を工面する。語る、ということがそのようなものであるのならば、そもそも少年が取材をしていた人物が、取材時にその人物自身の人称で語っていなければならない理由はなくなる。
 つまり、演技を解体するという演技を続ける役者の独白を少年は延々と聞いていたのではないか。そのようなことを考えている少年の内なる声の人称は少年のものか。絶えず旋回し、侵襲し、浸透し、互いを好き勝手に圧縮しては、好き勝手に展開し合うだけのふしだらな対話の演技が少年の内側で続いており、それを真に受けているのは他ならぬ少年ひとりだったりする。



 そのようなことを自分でまとめた原稿を前にした少年は考えていた。人称に声を寝取られたような気がした。その思考そのものが少年に可能などのような人称に割り当てられたものかも少年には分からなかった。
 ともかくそこに声が流れていることが重要で、人称が入れ替わり続けるというのが当たり前のことなら、何が意味と少年とを結びつけ、何によって少年自身を規定するのか。
 声と人称で考えるからややこしくなる。
 なれるものなら意味そのものになってしまいたい。
 少年のそのような浅はかな願いと逆編集という技法とは親和性が高かった。

20110302 - silence (on wednesday)

正確が許せば。



 わたしはどのようなことを忘れてきたのだろうか。彼女は考える。もしくは「彼女」はどのようなことを見てきて、どのようなことをどのように忘れてきたのだろうか、と彼女は考える。
 完璧な時間が流れている不完全な光景や、「彼女」が備える絢爛な文脈の背景でにじむ明かりが物質の内側で速度を通過している真夜中や、声の内側で震えている言葉や言葉の内側で震えている声や、それらが「彼女」に諭すあまりにも沢山の問いのない答えを「彼女」は忘れてきたのだろうなと彼女は思う。
 何の意味もなくてもいいはずの光景に答えなんてものを見つけてしまう「彼女」の趣味を彼女は疑う。問いのない答え、なんていう不毛な言葉の連なりを「彼女」なら鼻で笑って一蹴するはずだ、と彼女は思う。つまり、それは「彼女」らしくない。もしわたしが「彼女」なら、と考え始めて、彼女は踏みとどまる。



 「彼女」は彼女を憎み、絶対に許しはしないだろう、と彼女は考える。
 「彼女」は「彼女」から逃れようとする彼女を追跡し、征服し、破壊しようとするだろう。
 もしくは「彼女」は彼女を模倣し、流布し、言及し、最終的には彼女を消費しようとするだろう。
 そのようにして「彼女」は、物語の文法を、意味の力学を、人称の幾何学を保護しようとするだろう。そしてそれは「彼女」の意志ですらない。そして「彼女」はそのことを知りながら、それを非難しないだろう。そのような「彼女」を彼女はほんの少し誇らしく思い、自分が抱いた恐らくは不当であるその感情には気付かないだろう。



 おそらく彼女は「彼女」を憎まない。
 もし彼女の性格が許せば、彼女は「彼女」を哀れむだけだ。
 世を席巻しつつあった逆編集の黄昏のなかで、彼女は「彼女」のことを思うことがあった。そして彼女には「彼女」を乗り越えていく自信があった。でも、そのあとで「彼女」はどうするのか。と彼女は思い至る。
 その時に、それが正当なものか不当なものかは分からなかったが、彼女の「彼女」に対する哀れみが瞬いたのだった。でもそうしてしまうと彼女は「彼女」でないどころか、彼女ですらいられなくなる。そのような変節を経た結果、新たにその道筋を背負った彼女が瞬きひとつでよみがえってふたたび前へと、進行方向へと、方向へと進行しようと、向き直った時の彼女の後ろ姿を、少年は「彼女」の後ろ姿と見間違えたのだ。



 それ以来、「彼女」の振りをした彼女は、「彼女」が「彼女」であることを止めようとする場面を少年の前で演じている。
 それは少年の世界観のなかでは、単に彼女が「彼女」であることから逃れたがっているだけのように見えただろう。けれども実際には「彼女」は彼女であるせいで、最早それ以上「彼女」であることに能わなくなっていた。
 もちろんそれが「彼女」の思惑であるかも知れないと彼女は油断なく考えているわけだが、それを「彼女」の思惑だと油断なく考えているのは当然「彼女」のほうかも知れなかった。

March 1, 2011

20110301 - silence (on tuesday)

ヒキガネーゼと「彼女」。



 ヒキガネーゼは「彼女」がそう言いそうな口調でそう言う。
 もしくは「彼女」が彼女がそう言いそうな口調でそう言う。
 彼女はまるで「彼女」の練習をしてきたかのように「彼女」の役割を精密に果たす。
 逆編集の論理を信じるのならば、つまり、少年にとっては、そこにいるのは彼女である「彼女」か、「彼女」である彼女か、ということになる。
 一方、彼女にしてみれば、「彼女」が彼女としてどう振る舞うであろうかを常に半歩先から予測して彼女の論理を「彼女」の論理で乗っ取ろうとしている「彼女」か、「彼女」の半歩先を常に歩き続けることにより「彼女」となることから無意識的に逃れようとしている彼女の日常の光景がある、ということになる。
 あるいは、逆編集という誤謬に対して少年が抱く熱意に彼女が調子を合わせた結果発生したその状況のなかにこそ、「彼女」なるものが発生すべきなのではないかと、と一瞬彼女は考え込むが、すぐにその思考を追い払う。
 彼女と一緒に茶をすすっている逆編集者、少年の存在が、彼女から常に「彼女」を割り出すということを可能にしてしまっている。という前提で行動することを彼女は自身に強制していた。それは、前述の通り、少年のちょっとした狂気に調子を合わせるためだ。
 彼女は彼女であり、彼女は「彼女」ではありたくない。
 にも関わらず彼女と記述されてしまう彼女がいる。



 彼女は「彼女」の記述であることから逃れたいんだと思うよ、と「彼女」の振りをした彼女がそう語る。
 たぶん「彼女」も「彼女」に対してそう願っているんだろうね。
 と少年が言う。
 きっとそう。と彼女が言う。



 さっき白髪を見つけたんだ。
 と少年は先ほど左ポケットに忍ばせた、白く乾いたフィルムを「彼女」に見せる。
 これはもう見ての通り白くなっちまってるけど、だからこそこれは誰かが何かを忘れてしまったという事実だけを記録していると思うんだ。あるいは忘却の情緒みたいなものを記録しているか。
 彼女は少年の手のひらで自分の白髪に触れる。少年の手汗に触れる。
 たとえば、これを再生することができれば、いつか、わたしたちが話しているこの場面のことを思い出しながらも、この時間のことを忘れてしまったと感じることができるわけね。
 彼女が言う。
 そう。
 と、少年が答える。
 そのときはもう忘れてしまった記憶のなかにこの場面がある、と感じるんだね。
 と、彼女が問う。
 そう。
 と少年が答える。
 それだったら今このときを、わたしたちか、わたしか、あなたによって、忘れられたものとしてずっと未来から思い出されていると考えることもできるね。
 と、彼女が確認する。
 どうやらそうなるな。
 と、少年が確認する。



 もうわたしかあなたが忘れてしまった光景のなかに自分がいるというのは何だか安心できる。
 と彼女が言う。
 わかってもらえて嬉しいよ。
 と少年が言う。
 そんな自分の専売特許みたいに言わないでよ。
 でも、と、彼女は付け加える。
 でもわたしには誰かと一緒に同じ事を懐かしむというのがどういうことかよくわからないの。でも誰かと一緒に同じ事を忘れている事が出来ると信じることができるのは、とても嬉しい。だから、かは知らないけど、今はとても嬉しい。
 彼女はもう一度伸びをしながら、そう言う。

February 28, 2011

20110228 - silence (on monday)

彼女。



 よくもまあ全ての物語に共通する不変量なんていう夢想的な出発地点からわたしのような実際的な女を弾き出せたものだな、と彼女は思う。実際的だから実際に弾き出されたという可能性を彼女は考慮しない。



 もちろんヒキガネーゼは自分が「彼女」ではないと知っていた。「彼女」であるふりをしているだけだ。ただの戯れだ。彼女は誰かの懐かしさの中に埋もれていた沈黙などではなく、懐かしさを駆り立てる沈黙でありながら、何かを懐かしむということを知らないただの人間だ。だがそれと同時に彼女は自分は「彼女」でもあると知っていた。「彼女」の記憶ならあった。だけど生きているのは彼女だ。それがどうした、と彼女は思うわけである。それとまったく同時に「彼女」も、それがどうした、と思うわけである。そしてそれは偶然である。彼女はそう信じることを選んだ。消去法ではなかった。
 


 そんなわけで、わたしはいろんな物語から言葉を借りて、いろんな音楽から音程を借りて、いろんな映画から照明を借りて、織物からほつれた一本の糸を借りて集めて、いろんな人のなかからひとりを借りて、もしくはふたりを借りて、ここにある。けど、そのことを言いに来たのではないと思う。と少年に向けて小さく呟く彼女は、伸びをして、凝りのほぐれた筋肉に、体を慣らす。



 「彼女」は何をしているのだろうか、と彼女は考える。



 「彼女」なら何をするだろうか、と彼女は考える。



 それよりも「彼女」は何をしてきたのだろうか、と彼女は考える。



 ねえ何か音楽を選んでよと「彼女」が言う。



 彼女はもう一杯カモミールティーを淹れるためにと立ち上がる。



 そのあいだに少年は携帯型音楽プレーヤーから曲を選ぼうとして苦戦する。いつものプレイリストをブラウズする。何をかけても相応しいと思うか、何をかけても相応しいと思わないかのどちらかなんだから、おまえはさっさと何か曲を選べと少年は自分に言い聞かせる。おまえはそれしか彼女もしくは「彼女」に優しくする方法を知らないっちゃそうだろ。少年は自分にそう言い聞かせる。
 少年が自分とそう話し終わった時に彼女がキッチンから戻ってくる。マグカップが二つ、盆に乗せられ、彼女の手で運ばれてきた。茶には蜂蜜が溶いてあった。緑色の陶のスプーンが添えられてあった。その緑のうちに深緑の線が渦巻きの模様を描きそれと並行に走るだか歩くだかしている茶色に近い赤の線があった。彼女はそのスプーンでマグカップを軽くかきまぜてから、茶を口に含んだ。
 少年は曲を選んだが、なんだか何の曲が流れているのか分からないまま自分も茶をすすった。
 「彼女」が帰ってきたよ。と彼女がふざけて言う。

February 27, 2011

20110227 - silence (on sunday)

「彼女」。



 自分の魂が物質でできているとしたらそれはどのような形をしているのかしら。
 少女が問う。
 そのような質問にはできれば答えたくないと答えたいところだが、ごく当たり前に言うならば自分の視界を見つめる目が見ているものがきっとそれだということになるけど、そっちが物質ではない可能性は余裕であるし、そのような言い方は教条的に響く危険があるから極力避けたいというのが正直なところだ。そんなことを無責任に言ってもいいのかというてらいくらいはやはりある。
 少年が答える。
 魂が記憶でできてるっていうのはどう。
 少年と少年の言っていることを無視して少女が言う。
 記憶が魂でできているとか。
 女はそう付け加える。
 記憶のなかの魂だって生きてるのよ。
 女はさらにそう付け加える。
 それを聞いた少年はこう考える。
 ここで無粋だなと感じるのが無粋なのだかどうか考えるべきなのだろうな。それかまったく違うことをするか。



 逆編集を経て生まれた人は魂を持つのかしらね。たとえばわたしとか。
 少女がそのような問いを立てる。まるで逆編集なんてことが可能なんていう口ぶりで。そしてこう続ける。
 「彼女」だったらこういう場面できっとこういうことをいうんでしょ。



 少年は耳を疑わなかった。



 逆編集、誰かの何かに対する思い入れを取り払うことによりその何かの真の姿に触れた振りをめいめいが好き好きにするという無益な慣習、そのようなものが何年ものあいだ続いてきたのだけど、結局は思い入れを取り払うという行為自体の思い入れに抱かれ、そこに時代ごとの様式が生まれ、熱狂的であると同時に客観的であり、いつも対象は批評を必要としていて、解釈が生まれ、解釈で韻を踏んで、それで当たり前だと思うようになって、それぞれが好き好きに物語の文脈を読み解いて、それらを照らし合わせて、それに熱中して、同時にそこから自由になろうとして、まるで自分が熱中しているものから自由になりたいと思い続けるためにそれに熱中しているようにも見えて、そんなことをやっているあいだに、時間的にも空間的にも離散的に存在している、あらゆる物語の不変量である「彼女」という存在が観測されることに誰かが気付いた、そしてわたしは「彼女」である。そうでしょ。それがどれだけの乱暴かを誰も考えはしなかったのだなということは分かる。あんなに時間はあったのに。でもそのこと自体について話せているというのはいい兆候だと思うことにする。もちろん、「彼女」が弾き出されたからこそ、逆編集して、わたしに対して定まった照準というものが定義されるだけのことかも知れないけど。
 少女はそう言う。
 そして続ける。
 その「彼女」が魂を持つのかという話し。というのはあまり重要ではなくて、たぶんわたしがこういう場面でこういうことを言えてしまうというのが問題なのだと思う。わたしは遠慮できない。おそらくわたしはわたしがそこに読み取られて来た全部の物語や音楽や映画や実際の体験や実際の人々の意味を書き換えるくらいのつもりでいるけど、そのつもりは、つもり貯金のつもりという意味であることが通じていることを祈ってる。
 少年もそう祈ってる。
 それ以外に何を祈っているのか知りたい。彼女は言う。
 少年にはそれが疑問文なのか平叙文なのか分からなかった。



 女は自分を花粉症の持ち主であるように逆編集した誰かを恨んだ。間違ってもそいつのことを愛おしいとは思わなかった。逆に、自分が着ていたセーターをどこかの文脈から拝借してきた誰かには心の底から感謝したいと思っていた。感謝したいと思っているだけではなく、実際に感謝していた。それはオレンジ色のカシミアのセーターで胸部から背中にかけて薄紅色の菱形が並んでいた。女の肌を締め付けず、暖かかった。たとえば、いま一緒にいるこの少年がわたしのその部分をそのように逆編集した誰かだったら良いのに。と女は思うが、どうせそのことをわたしが思いついたからには、それは既に誰も見ることのできない映画としてわたしの髪の毛に含まれていることになるんだろうな。わたしがわたしの髪の毛に記録されている映画を一本でも見ることができたら、わたしはじぶんがなにをしていなくてもいいかを知ることはできるのに。しかも二つ同時に。

February 26, 2011

20110226 - silence (breakdown)

意味よりも強い酒。



 雨が降らないねと少年が呟く。
 雨が聞こえないねと少女が呟く。
 僕には雨の音だけがずっと聞こえる、と少年が打ち明ける。
 わたしには無音の雨だけがずっと見えてる、と少女が返す。



 ひさしぶりにどこかに飲みに行きたい気分。
 女がそう言う。
 そんな髪の毛でどこかに姿を現すつもりか。
 と少年が指摘する。
 意味よりも強い酒が飲みたい、と彼女が言う。



 実はわたしには同じ曲が違うように聞こえているような生活、もしくは違う曲が同じように聞こえるような生活を送っているのだけど、あなたはどうか。と少女が問う。
 あえて言えば、静寂の対比物をずっと聞いている。音がなくなってもうねりが残っているような状態が理想。そしてその埋め合わせでないような音楽が聴きたい。そのような答えは誠実ではないと分かっているし、情緒的であるのかどうかすらも分からない。どちらかと言えば物事を情報として処理しているような気がする。でもそれを言えば君の質問の内容だって不誠実だと思う。少年が応える。
 略すのは駄目か。少女が問う。
 略して全体が見えるくらいがちょうどいいのではないか、と少年が不誠実に返す。



 わたしたちこれから出会うことがあるのかな。
 少年の逆編集という思い込みに調子を合わせて、少女が問う。
 その質問は一番聞きたいものでもあるし、一番聞きたくない種類の泣き言でもある。
 少女の予想以上に冷静で、かつ、とちくるった回答が返ってくる。



 頭のなかの声をオンオフするスイッチが欲しい。それかその声に受け答えをする自分をオンオフするスイッチが欲しい。
 と彼女が言う。女はいつの間にかカモミールティーを淹れて飲んでいる。
 彼女は自分の肩をさすり、ほんの僅か残る違和感を取り除こうとしている。
 冷静でとちくるっているのは、こいつも似たりよったりだな、とマッサージの手伝いをしながら少年は考えている。



 この髪の毛に収められた映画を観たことは一度もないんだ。
 と特に言い訳じみた口調でもなく、少女がいう。
 その映画を観ている人を君はいつも観てるんだろうけど、その人が観ているのはその髪の毛に収められた映画ではないんだろうね。そしてその人はその映画を観ていると信じている。と少年が返す。
 あなたのように。と少女は言わない。
 だからそれは絶対に観ることの出来ない映画という意味なんだ、と少年は付け加えない。
 いわば二人の関係はそこでねじれている。



 完全な人間でないことに後ろめたさを抱く人はどんな人かしら。
 と少女が問う。
 不完全な人だと思う。
 と少年が返す。



 真面目な話しをしていいかしら。
 と少女が持ちかける。
 冗談だろ。
 と少年が真顔で受け止める。



 わたしはあなたが何かわたしに用があったからわたしに出会うことにしたのだと思っていたよ。
 と少女が言う。
 僕も君が僕に何か用があったから僕に出会うことにしたのだと思ってた。
 と少年が言う。

February 25, 2011

20110225 - silence (in your head)

何度振り返っても、いつも追いつけない。



 奇妙に音が鳴り止んだ自分の部屋で、さらに、女は自分の頭のなかの静寂に耳を澄ました。 空を観て、色を浴む。ふと、少年が始めに少女を追いかけ始めた新宿の光景が思い浮かぶ。わたしはこの自室の光景だけでは存在することができない。わたしをこの場所と結びつける何かが必要だ。もちろん、わたしをこの場所に結びつける何かが存在するために結びついている場面は、この日のこの部屋なのだろうけど。そして女がそのように考えているその二月の居室の場面も、未来の、おそらくは未来の光景と結びつき、それを成り立たせるためのものになるのだろうが。まるで倒置法の過去のように。
 女は体の怠さを感じ、すこしも動く気が起きない。前提や、予測のなかで自由に動き回ることにより、少年に自分の髪の毛を好きにさせている姿勢のまま、女はその場面の構成を自在に操る。そして、そのような、逆編集へと繋がるような自分の心の働きを女はたしなめる。
 少年がそこにいない少女を思い出すことにより、もしくはそこにいる以外の彼女を思い出すことにより、もしくはそこにいた以外の彼女を思い出すことにより、女は自分が延々と消耗していくような気がした。
 少年の記憶のなかで、何重もの仮定の光景や何重もの過程の光景のなかで、もしくは何重もの仮定の光景がその前後に引き連れている過程の光景のなかで、もしくは何重もの過程の光景に含まれる仮定の光景のなかで、すでにそこにある過程と仮定の光景のなかで、女は少し肩が凝ってしまったと感じた。
 ねえ、ずっとわたしの髪の毛をいじってるのもいいけどさ、少し肩もんでよ。彼女は少年にそう告げる。
 髪の毛に触れているという、いわば緩衝地帯での曖昧な愛撫に弛緩していた少年は、女の体に直接手を触れるということに少しのためらいを感じた。そこに発生するであろう意味に身構えた。もちろん、その意味を探るのは、その先にあるまた別の意味の中からなので、何度振り返ってもいつも追いつけないのだが。
 少年は少女の肩に触れた。正確には、彼女が着ていたセーターの模様に触れた。その線維が温かかった。そしてその温かさを女の細い肩の筋肉や骨格や血流や代謝の働きと結びついたものだと考え、女がまとっているそれら堅固だと感じられる要素を押し返す自分の皮膚や呼吸の確かさを少年は確かめた。
 女の肩の張っているところを少年は親指でほぐした。彼女が溜息をつく。彼女は少し疲れているのだろうな、と少年は思う。だがその疲れが、少年自身も加担している、何重にも読み解かれた何重もの物語のなかで貯め込まれたものだと気付くだけの繊細さは少年にはない。少年はそのような仮定を弾き出しはするだろうが、彼はそのような仮定で行動することはない。そこに齟齬がある。だがそのような仮定で自分がそのように行動していると仮定することはできる。そこにも齟齬がある。
 そのような思惑のすれ違いを通してどのように人と人とが出会うことができるのかが少年には分からなかった。もちろん、そのような面倒くさい仮定やら過程をある程度はすっ飛ばして、人と人とはごく当たり前に、ごく普通に出会っていく。もしくは出会ったと仮定して、もしくは出会ったという仮定で出会いながら、一見そこに外観的な意味を読み出すことの出来ない関係性のつづれ織りに編み目を加えていく。その編み目のひとつひとつのかたちは分かるし、その結び目の構造がそれ自体でどのように完結しているかも分かる。そこには解釈の発生する余地はそれほどにはなく、むしろ糸がその結び目のなかで保たれている力に目がいく。けれどもその編み目が、別の編み目とどのような緊張を保っているのか、また幾つかの編み目のまとまりが、また別のいくつかの編み目のまとまりとどのように関わっているのか、見当もつかない少年は、逆編集でもして、適当な法螺をでっちあげるほうが早い、と早計に結論を出す誘惑にも駆られる。そのようなつづれ織りが全体では安定を保っていることは分かる。だが細部でどのような力の均衡が保たれているか分からない。そこにある力の流れは見て取れない。
 しかもそこにあるのは単なる要点の集合、編み目の集合体だけではなく、幾種類もの別々の色の糸で編まれたつづれ織りの模様だ。空を観て、色を編む。編み目と編み目のあいだにある緊張や、糸が支える負荷に、少年は思いだけを馳せる。人々の出会いや、事物の交換や、言葉のやりとりを通して、幾通りにも解釈可能な関係性のつづれ織りの複雑な模様が織られていく。それと同時にそこに糸を織り込んでいく手つきや、垂れた頭がその手元に落とす影や、もしくは上の空の視線が眺める時計や、どこかその近くでその時計と似たような時刻を示している別の時計が眺める下で、意図ではなく糸だけを織り込むことが出来ると信じて止まない針子の後ろ姿がある。
 少年が少女の筋肉の緊張の要所を解きほぐした後も、少年が触れていた彼女のセーターのテクスチャーはそのまま残った。

February 24, 2011

20110224 - silence (that she lives in)

誰かがいる以外は、ごく普通の部屋。



 ヒキガネーゼの言葉は、割り切れぬ思いを割り切って消える。
 その沈黙を吸い込んで、彼女は思考で部屋を満たす。
 わたしがいまこうしてくつろいでいる部屋もまた、わたしと同じように逆編集により継ぎ接ぎを継ぎ接ぎするようにして生み出されたものなのだろうか、と。
 だが、女には、自分がその部屋の内装を調えたという実感をともなう経験の記憶があった。
 よしんば自分が逆編集により生み出された、結果の人形だとしても、その部屋の調度は自分の手によるものだと彼女は知っていた。
 自分なら絶対にこうするという配置で机やベッドやソファが並んでいた。それから、それらを調えたという記憶のない配置の詳細、彼女の生活習慣が居住空間の細部を無意識的に構成しているその規則から彼女という人間を描き出すということも十分に可能なようでもあったが、そもそも彼女が逃げたがっていたのは他人から及ぶそのような乱暴からだった。実のところ、それも気にならない程度のことだった。彼女は同じ乱暴で自分を十分に締め上げていた。はっきりいって、それ以上のことは、我が事、ということに関して言えば気にならないというのが彼女の本音でもあった。だから自分の背後で、わざわざ逆編集という手法を用いて、自分と出会った時の記憶やそのときの感慨に浸ろうとしている少年がいても気にならなかった。この男は、それとは知らず、わたしがわたしに対して行っている以上の乱暴を自分に対して行っている、愚か者だ。
 ヒキガネーゼの部屋には普段は使わないでしまってあるLEDの電飾や、様々な種類の香や、気泡による穴が偶然にも五芒星の頂点を描く褐色の石灰岩や、便箋や、封筒や、間違えてまとめて捨ててしまいそうなほどたくさんの髪留めがあった。
 彼女はそのようなものを自分の心の中にではなく、自分の部屋のなかに取りそろえていた。自分の心のなかに取りそろえてある調度ももちろんあった。ここまでの話しを均していえば少年が知りたいのはわたしが心のなかにだけ取りそろえた調度のようなものなのだろうなと彼女は思う。ここにはごく普通の部屋しかないというのに。わたしがいる以外には。



 ヒキガネーゼはメールよりも手紙を好んだ。
 手紙を書くことよりもそれを投函することが好きだった。
 便箋を文字で埋め、それを封筒に詰める。ポストの投函口は遅効性の引き金のような機構となり、彼女の個人的な働きに応える。当然それは彼女が次の手紙を書くための引き金になるのだが。
 いつか、いつか仮に少年がようやく少年自身の記憶から逃れることがあったら、きっとその時には彼はわたしからの手紙を受け取っているのだろうな、と彼女は思う。もちろんこの文章全体がその手紙の内容でしたなんていう今更な結末はあらかじめ却下されているとここに明記されていることを明記したい。
 彼女は千通の手紙を同時に書くだろう。それと同時に九百九十九通の手紙を破り捨てるだろう。そしてあっさりとたった一通だけの手紙を書き終えたふりをするだろう。一通の手紙に書き記すべきことだけを彼女は書き記すだろう。一通の手紙に書き記すべきことを一通の手紙に書き記すことができると信じて、彼女は一通の手紙を書くだろう。
 彼女は何通もの手紙をそうして書くだろう。
 それはつまり一通の手紙を延々と書き直すという作業だろう、と後に手紙を受け取った少年が彼女にそんな指摘をする、そのときに、顔を見合わせたふたりのあいだに瞬くように生まれるものが、消えていくところを両者は注視するだろう。

February 23, 2011

20110223 - silence (that she speaks in)

「あなたはわたしを見つけた時のことを覚えているけど、
 別に一度だってそのことを思い出す必要はないでしょ」



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。
 少年と一緒に何も見てこなかった少女がそう言う。
 少年はうなずく。それから声に出して肯定する。
 声には声だ。さもなくば逆編集が始まってしまう。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。といつもの調子で彼女が言う。彼女というものがそう言いそうな口調で彼女はそう言う。彼女は、彼女というものとして定義されることと、彼女が彼女自身であることの兼ね合いにおいて、そのような喋り方を意識的に選択していた。そして、それを実際に処理するリソースの大半が外部に委託されているということを彼女は受け入れていた。本当にそのことを理解していたのかどうかはともかく、そのように理解していた。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。といつもの調子でいつも話すのはいつも彼女だ。髪の毛を上げて、それに髪型という外的な様式を与えているために、フィルムに収められた夢想家たちの様々な記憶はとりあえず今はその様式に従っているように見えた。彼女の不在をまとめあげるためにただひとり存在している彼女。それもいつもの通りだ。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。もう忘れてしまったことの大半だとか。少なくとも実際には見てこなかったものよりは、忘れてしまったことのほうが多いことをわたしは望んでいる。別にそうでなくても全然構わないんだけど。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。たとえば、ある感傷的な風景を文章そのものの向こう側に見てきたでしょ。たとえば、それと似たように、感傷的であることを拒む感傷の風景を、映画の映像の向こう側にも見てきたでしょ。それと似たようなことを現実にもするのが逆編集だっていうのが何で分からないの。それを分かるということが逆編集なのかも知れないけれども。



 いろんな人々がいろんな音楽や映画の場面を逆編集し尽くして弾き出したわたしをさらに逆編集するとはどういう了見か。と彼女はここで大きく溜息をつく。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。見たいと思うものを見てきたでしょ。何を見たいと思っているか分かっていると思っている場面は見てきたわけでしょ。それとはまったく別のかけ離れた状況のなかで。どっちがどっちからかけ離れているかとか、はっきりいってわたしには分からないんだけど。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。論理的にしか遠近法を知らない子供のように、もしくはまるで論理的な遠近法を人間的な情緒として記述できると思い込んでいる子供のように、見ることを見てきたわけでしょ。野暮か、それか、的外れだと思うけど。そのこと自体も、そのことをわたしが話してるということも。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。見てきたいろんなわずかなもので見てこなかった多くのものの隙間を埋めてきたでしょう。その隙間にも自分の人生の影が届いていると感じ、その暗さに、その外側から寒気を抱いていたでしょう。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。それでも実際には一回も見たことがない「始まり」とか「終わり」とかいうやつを何故かいつも知っていると思い込んでいたでしょう。それでいいのだと思ってるけど、それでいいのかは分からない。



 わたしたちいろんなものを見てきたでしょ。編集されてきたものごとを見てきたでしょ。その編集の渦中にあり、何かをそれを取り巻く様々な情報と相互補完的に編集する技法を学ぶことにより、そこにわたしの声が見つかったときのことを、あなたは覚えているけど、別に一度だってそのことを思いだす必要はないでしょ。



 彼女は逆編集者ではないのに、よくも徹底的な逆編集者のような話し方ができるものだな、と少年は感心する。逆編集者同士のあいだに生まれるような親密さもある。だが彼女は逆編集者ではない。



 彼女がそのような話し方をするのは、彼女が自分を逆編集者の論理で説明可能なものにする必要があったからだ。それがどのような類のものであれ、狂気とは調子を合わせるに限る、という常套手段の、彼女が少年と共有しているこの状況における実践である。そのような判断を静かに下し、そしてその判断自体が自分の内なる狂気の現れではないかと疑うだけの冷静さを彼女は保った。



 つまり、わたしがわたしでなく、本当に逆編集の結果生じたものならば、わたしはどうしたいのか。少年に向けて話しながら、彼女はそんなことを考えていた。彼女の問いはこう続く。いまわたしはわたしに逆編集に近い処理を施すことにより、わたしを生じさせているのではないだろうか。そして、わたしが見てきた様々な景色から自分を逆算して割り切れぬものがわたしなのではなかろうか、と。

February 22, 2011

20110222 - silence (reversed)

逆逆編集。



 自分が、上記までの経緯のような、逆編集をされているような存在であると少年は考えることもできた。自分を逆編集している誰かを考え出し、その誰かを逆編集仕返しているという同時進行のロジック。



 ここまでのこの文章をまとめるならば、この文章は、この文章が書かれているものではなく、この文章が読まれているものではない何かを常に定義するために書かれる文章、ということになる。
 そのような表現はいささか正気にあらず、さもなくば逆編集のされすぎなので、客観的に理解および共感可能だと思われる詳細にまで前の段落を逆逆編集するならば、その記述は、少年と少女が出会い、少女の髪の毛はその一本一本が細いフィルムで出来ていて彼女自身の体験や様々な他の人々が彼女というものを思い浮かべるまでの経緯の印象がそれらに記録されている。そんな髪の毛を持つ少女と少年が出会ってしまう。本来ならば逆編集によってしかたどり着きえない彼女という存在が、何人もの人間に何重にも読み解かれた物語の不変量として発見され、そのように、本来ならば少年の世界に存在しなかったはずの少女は、今現にこの文章自体に対して行われている逆編集という手法を通して、いわば時代の記憶により捏造され、もしくは捏造された時代の記憶かそれとも捏造された現在として、彼の前に姿を現す。それで、少年の前を、少女が横切る。場所は新宿。彼女の名前はヒキガネーゼ。引き金のようなものとして、彼女はその引き金となる何かを引き、少年の形をした銃弾が少年を打ち抜き、少年のかたちをした風穴がそこに残る。風穴となった少年と、不在と実在を兼ねる少女の恋の話。きっとこれはそんな話だ。いつも通り。と書くといつも通りではないという意味になってしまうので、どう書けばいいのか分からない、ということになる。
 


 繰り返しになるが、この文章は典型的な逆編集の手法を用いて書かれている。つまり、この文章が書かれていないところに、もしこの文章が存在したらどうかという前提で書かれている。
 また、これも繰り返しになるのだが、逆編集とはごく一般的な編集の技法のひとつである。



 誰かに逆編集されたその余波として時代の片隅に生まれた自分としてその誰かを逆編集仕返している自分が、実際に自分の目の前にいる彼女の姿に自分の感傷を重ね合わせることにより逆編集を施しているという屈折した状況。
 まっとうな恋など発生しそうもない状況を、少年と少女の恋のはなしが生み出すとはいうのは少し興味深いと少年は思う。
 そんな話をして何になるのと、少年の目の前に座り煙草を吹かしている彼女がいう。彼女が、これから少年が言うであろう全ての言葉に対してそう言う。たぶんもう逆編集されたものなんて聞きたくなかったのだろう。というのは少年の憶測である。窓の外を沖縄の祭りの賑わいが通り過ぎていく。年に何度かそのような催しがあるのだ。
 二月の昼下がりである。
 そこに二月の夜の風景が重なっている。
 その瞬間、そのどちらかが少年の記憶である。
 少年にとってのそのどちらの瞬間も、彼女にとっては記憶ではない。
 囃しと呼んでもよいものなのか、ともかく沖縄の民謡を演奏する沖縄の民族楽器を演奏している団体が窓の外を通り過ぎていく。空は晴れている。二月にしては少し暖かい。だが寒い。
 あなた、わたしのこと逆編集してたんでしょ。と少女が少年に向けて言う。
 少年はそうではない振りをし続けるが、彼女には通じない。
 わたしはもうこんな自分がまるで逆編集の対象になったみたいな話し方をするのは、いやなの。
 彼女はそう言う。
 少年は同意する。
 でもいまはそれ以外の方法なんて思いつかないの。それがあなたのせいであると同時に、それはわたしのせいでもあって、でもその二つには直接的な因果関係がないから、わたしはこうして勝手に喋ることができる。自分がここで何を言わないかを常に想定していると、あなたに想定されていると、そう想定しながら、ここでの言葉を一つ一つ選びながら喋ってる。それがあなたたちが逆編集なんてものを考え出したことの弊害。もしくは逆編集なんてものが必要だとあなたたちが思い込むような結果を生み出した状況の弊害。でもそのせいにはしたくはないの。分かるでしょ。
 彼女はそう言う。
 まるで少年がそのように分かるような状況を編集するような手つきで。
 少年は分かったとも分からないとも言わずに、それを逆編集して、少しでも彼女の内側の虚構の姿に近づこうとする。
 彼女はそのことを理解している。彼女が、そのことについて諦めているのか、判断を保留しているのか、判断を保留するままに決めたのかどうかは少年には分からなかった。

February 20, 2011

20110220 - silence (silent)

何も消え去ってはいないのに、何かが残っている。



 そうして、振りだけの逆編集を経て様々な人々の願望を反映しているために、無限にぶれて見えるはずのじぶんの後ろ姿を、女は髪の毛を結わいて上げる動作でただ一つにまとめる。
 痩せて伸びた背筋がそこに残る。
 もしくは何も消え去ってはいないのに、何かが残っている。
 残る、というからには何が消えたのかを知りたいと思い、少年はさらに逆編集モードをドライヴさせる。今度は現にそこにあるものを何かのあとかただと仮定して、それならばそこにはまず何が存在していたのかという問いをさらに巻き戻して、そこにあったはずの予兆を探りだそうとしている。ある晴れた夏に日に枯れた松の木に垂れた四月に向き、歩きで届く距離、早足では更に遠くに。
 そこで待つ彼女の後ろ姿まで届くことがあればいい、と少年は思いながら、目の前の彼女にいつまでも追いつくことができないでいる。それが振りだということも分かっている。何らかの意味で場を共有している誰か同士が、互いに追いつくことも、逃げ切ることもできないという不可思議な状況がある。あるいは共有されていると思い込んでいる部分から演繹するからそのように思えるだけかも知れない。



 この文章は典型的な逆編集の手法を用いて書かれている。たとえば、この文章を消し去ったあとも結局は町の景色は当たり前に残るというような。それとも枠組みを取り払っても色は残るような。詞を取り払っても歌は残るような。映像を取り払っても形は残るような。ここから言葉を取り払ってもそれでも何かが残っているという思い込みのような。



 典型的な逆編集とは、てんで勝手に、という意味である。
 それでも何故か逆編集にはそれを行う時代や年代毎にそれに相応しい様式があると思われているし、実際に多くの逆編集者がその折々の様式に従っていた。そのような無意識の様式の存在に少年は辟易としていたが、それがそれ自身を生み出すということに対して、時を経て変わることのない一縷の望みを抱いてもいた。そうでなければ現実はまったく説明不可能なものになってしまうだろう。何が説明不可能かを説明しようと試みること自体が不可能なものになってしまうだろう。それが順番通りに訪れるかどうかは別にして、物事には順序というものがある。順序がプロットされ、その間隙をそれぞれの記憶が埋めていく。


 
 初めて彼女の後ろ姿を見たとき、少年は彼女を懐かしいと感じた。それは彼が初めて懐かしいという感情を抱いた時でもあった。新宿の町並みは十二月から二月へと移り変わり、そのあいだもずっと少年は少女の後ろ姿だけを追いかけ続けた。たとえ彼女が自分の前を歩いていない時でも。
 電気や月や日の明かりが埃の重さで被さっていた。電気の光りさえもが自然光であった。その光りに接続されている人混みがそれ自身の内側へと消え去って決して人目には触れることのないダンスを踊っていた。
 インディアン・サマーとは小春日和という意味だ。「エンドレス・インディアン・サマー」という映画は撮られていない。それでも小春日和が訪れる日があり、そのような日には少年は一枚薄着で彼女の後ろ姿を追い続けた。
 初めて彼女を見つけたときに初めて懐かしいという感情を感じたから、少年はそのときその場で彼女との邂逅を逆編集しないことに決めたことを、女の居室で女の毛繕いをしながら、女と出会った新宿の光景の記憶を逆編集しているときに思い出したのだった。もしくはそのような記憶が逆編集中に捏造された。少年がまだ観ていないし、これから決して観ることもない映画から、誰かがそれとは知らずに剽窃したうんざりするほどとびきりに素晴らしい感傷的な場面に関する思い入れが紛れ込んだのだ。複数の逆編集者の存在は当然そのような自体を、事態を、引き起こす。

February 19, 2011

20110219 - silence (readable)

紛らわそうとするからそれは寂しさになる。



 新宿の町を逆編集している最中、少年は思い出すという行為がどのようなものだったかを思い出すが、忘れる。そのように忘れたものとして目の前を通り過ぎていく時間を、時間が通り過ぎていく。空間と時間、字間と行間。色々なものが詰まっていそうな感じがする。そのような場所はまた広すぎるから出会えないことがほとんどなのかなとも思っている少年と誰かが正面衝突している。
 逆編集が続くなか、記憶から自分を取り除いた分の町並みが広がり、彼女はいつもそこに住み、そのせいで決して少年に目撃されることなどなかった手筈は、逆編集の発明により当然わやになっていたのだが、誰かが自分が体験している日々やそこに含まれる様々な媒体上で表現されているものを逆編集し、その真の姿に迫ろうと無駄にあがき、その足掻いている様や束の間の勝利をさらに逆編集の対象へとされながら、そこに読み出されうる不変量として、彼女が抽出されたのはいつのことだったか。世界で一番小さな秋のなかでの出来事だったか。それともそれはもっと気が利いた冗談のなかであるべきだろうか。いま誰かと誰かが交わしている会話のように、だらしがなく、個人的で、ありふれていて、状況に弛緩し、意味もなく因果を試している、予兆とあとかた。予兆はこれから何かが訪れるということを予期させるものであるし、あとかたは何かがそこにあったことを示すというだけのものだ。ならば予兆のあとに、直接あとかたが訪れてはいけない理由はない。それがあとかたの予兆であり、予兆のあとかたで在る限りは、それは当然のことだ。例えば、毎日誰か知らぬ女の後ろ姿にいちいち仮想的にながらも恋に落ち、その感情の残骸だけを貯め込みながら生きようとするとそうなる。
 逆編集者はその寂しさを逆編集で紛らせようとする。紛らわそうとするからそれは寂しさになるとは決して気付かぬままに。
 彼女の毛髪のフィルムは夜の闇を梳いて黒く、その一本一本の縁で銀色に光っていた。女の目や体はそのフィルムのためのカメラとなり、女の体験のひとつひとつを客観的に理解可能な形式で保存したフィルムが日に僅かずつ伸びていく。それと同時に誰かが逆編集によって、歴史の隅々に散在する彼女を弾き出すたびに、その誰かが彼女の存在にたどり着くまでの筋道の簡潔な印象が、やはり客観的に理解可能な形で記録されたフィルムたちがまた日に僅かずつ伸びていく。歴史的な文脈や、文化的な参照や、美学的な見地や、様々な視点から逆算された彼女というものの印象の、女の体として受肉できない部分は女の髪の毛として様々なスタイルで結われることになる。その髪を結うためのゴム紐は彼女だけが持ち、それは彼女は左手首にいつも巻かれており、その自分の髪の毛を結うことができる人間だけが彼女だと決まっており、彼女はひとりしかいない。

February 16, 2011

20110216 - silence (written)

そのようにそのようにして。



 後に少年は逆編集中のできごとを紙に鉛筆で書き記す。足を組み、愛用の白いシャープペンシルで五ミリ感覚で罫線が引いてあるノートに文字を記していく。もしくは文字によって記されていく。そこに齟齬は生じない。肌に呼吸を重ね合わせる。その手元でシャープペンシルの筆先を走らせている筋肉の動きを意識する。まとめれば、少なくても手で何かを書くと言うことはそれらの細やかな、時には混線しあう体の細部の動きの連合によって為されるものであり、ここに文字として何かが存在することのどれだけに思考が関わっているのかを思考していると書いている。ここはワープロの画面上で清書している時に書き足されている部分なので、さらに別の回線がここに閉じられている。たとえここに文字が並んでいるようにしか見えなくとも。さて、ただ駄々っ子のように、人間にとって知覚できることのすべては、その折々で知覚不可能なものをともかく推進させるための自動的な過程の、n次元の断面図に過ぎないと自動的に繰り返すのではいかにも芸がない。知覚可能な物事の印象だとか、出会いだとか、集合住宅を縦横に走る一回性の物音だとか、感情だとか、意味だとか、五感だとかの、到底自動的には感じられない滑りの悪い部分のそこを意味の比喩のようなものが流れているのが分かるから少年には頭が休まる暇がなく、暇人である。そのようにそのようにして、少年は目の前の景色が溶け出しては固まるのをずっと目撃し続けている。時間のように滑らかな表面。熱が分子の微細な振動ならば、同じく空気の振動である音もやはり何らかの熱量であるといい加減にこじつけて、体を温める。またそれによって肌寒さが強調されて感じられたりもする。言葉の音、流暢な呼吸の流れ、それぞれの母国語にとっての心地よい音律に韻律を足し、そこに意味を書き加え、意味同士の韻律を制御する。長年の訓練により固定されてもう自由に声を出すには能わない身体の構造から今度は自由というものを逆算している。熱という比喩で表現可能なものであるならば、涼やかさだとか、いやにべとつく湿気だとか、温かさだとか、空寒さだとか、それらの温度を音律と統語法にのせて語彙を経由するかたちで配合していることになる。そして、文字としてそこに現れる文字が書き連ねられていく動きに肌を重ねる。この宇宙の隅の、部屋の真ん中の、視界の真ん中に今にも湧き出しそうなあとかたを辿って、その前兆を捏造している。そのあとかたと前兆のあいだにあるものが存在しうるという可能性を、運動量にとして発散させる。それが書いたり、歌ったりすることだ。たぶん、読んだり、観たりすることもそう。細部はいつだって補強されていると考える。そこにない形でしか、それはそこにないということを非常に逆手に取る。これは体重や力のかけかたのようなものであり、あまりにも現実が伴わず、また理念が伴いそうもないことの差し引きゼロに、プラスもマイナスも掛け合わせていくような作業といえばそうだが、この言明すらも差し引きゼロとも乗算の向こう側に消えたあとかたとして読まれていることを諸賢はお気づきであると思う。なぜか選択的な客観性だけは止まず、それを僕とかわたしだとか少年だとか少女だとか呼んでみる。

February 12, 2011

20110212 silence (remembrance re-rendered)

意味がないことが何よりも嬉しい。



 逆編集シークエンスが始まる。プロンプトのように目が瞬きを繰り返す。だけだ。脱出速度が進入速度に変わるその境目を見極めたく思い、少年は集中力に集中するが、真に集中するためには外延の荒野があまりにも広漠すぎる。上下左右などの地上でいう意味での方向が存在しない宇宙空間を、ほんの一惑星単位の地平線が、人が実際に見上げることのできる空として区切ることができるのと同じ働きだ。人は空を見上げそれに没頭することはできる。それと同時に宇宙空間に集中しようとして、何故かそれが頭上の空と同じものであると直観的に認識することが困難であると気付く。  
 地平線消去。プロット・ガイダンス読み込み終了。自由人称サブプロセス開始。そのうえで仮想主観バイアスを設定。三十秒経過。客観時間では二、三秒経過。どこかの時点で、少年と少女は、何にも意味らしき意味などないように思えるのならば、そのこと自体にも意味はないのであり、もしそうならばすべてのものに意味があると考えることはできそうだけど、そのことの意味を分かっているのか分かっていないのかが分からないし分かりようがないねとか話したりする。
 そこに意味はなくとも、ヒキガネーゼの姿形、声、ヒキガネーゼの内面が存在することが少年にはただ嬉しく感じられた。意味がないことが何よりも嬉しかった。現実を介して、その内面と多少なりとも何かを共有することができて嬉しかった。あるいは少年が彼女の内面であると勝手に想像しているだけのものを媒介にして、現実を共有できるのと同じように。少年にとってヒキガネーゼは現実が存在することの証明となった。ありとあらゆるものが地図となってしまったあとで、彼女だけが実際に生きているもののように見えるのだった。彼女がそこで息をしている、彼女の身長分の彼女は、現実の地図の裂け目のようであり、少年から見た彼女を中心に現実とその地図が線対称に向かい合っていることが分かった。彼女の視界のなかでは自分は現実なのだと考えると少年は嬉しかった。それ以上に確かなことはなく、それしか確かなことはないと感じられるのだった。

February 10, 2011

20110210 - silence (forgotten)

断定形の問い。



 かつては少年は自分が実在していると仮定しながら暮らしていたが、現在では自身の死後の世界に暮らしているのだという理解のもとに時間を過ごしていた。そして自分のことながら自分が自分に対して設定したその二つの状態の違いや相似については考えたくはないと常に考えながら常に生きていた。
 少年が新宿で女の後ろ姿を追いかけていた二月の電気の町並みの光景は、どこかでそれなりに可能な変節を経て、女と少年が縦に並んで胡座をかいている女の居室での場面に収束する。
 そのどちらの場面も少年の死後の光景ではあるのだが、そのどちらの場面も女にとっては生前の出来事である。ある二人の違う人間の生と死とが同じ分水嶺をまたいでいなければならない理由を少年は想像することができなかった。ヒキガネーゼが生きているのは少年の死後の世界でありながら、少年自身はヒキガネーゼの生命の最大の充溢の余波の予兆のようなもののなかで自身の死後の理屈を生きていた。
 自分を殺したのはこの女ではなかろうか。
 少年はそう考える。
 女が自分の意志で直接的に手を下し少年を殺したのではないにせよ、少年が自身の死に気付くことのできる、可能な時間の組み合わせのなかで恐らくただ一連なりしか存在することのない、その、この時間を発生させることに加担しているのではないか。よりあわさった糸が、細工と優しく呼ぶことのできる、簡素な二重螺旋の模様を描きながら。
 より一般的に考えてみても、やはりそれは当たり前のことである。因果の果てしない連関のなかで、少年の一挙一足がどれだけの人間の人生の内容や、生き死にに、自動的に、無感情に、無分別に、そして無関心に関わっているかを鑑みれば、女がすでにそれとは知らぬまま少年を殺していたとしていても少年にとってはそれはそれほど不思議なことではなかった。そして女がそのことに対して無関心であるのは、女が恐らく実際に無関心であるからではなく、単に彼女がその事実に対して無自覚であるからに他ならない。ただし、女の存在や不在や少年自身の実在も含めて、それらを少年が自分の妄想である思っているというただ一点を考慮に入れる必要はある。
 何かを計算するかのように生き、何かを計算するかのように殺し、何かを計算するかのように生かされ、何かを計算するかのように殺される。答えもないままに。答えだと思っていたものは新たな問いの後ろ姿に過ぎない。少年がヒキガネーゼの美しい後ろ姿を捉えた瞬間、彼女が内包する、このような言い方が許されるならば、彼女を見るそれぞれの人々の心のなかに彼女が内包するヒキガネーゼという形質が、少年の物語のなかでは断定形の問いへと変わった。
 どこかで誰かがこの女そのものである引き金を引き絞り、不可視の弾丸が少年の心臓を打ち抜いた結果、少年は死んでいる。あるいは少年の形や動きを模した風穴を時空に生じさせる弾丸が少年を撃ち殺した。あるいは少年の姿形を正確に模倣し続ける弾丸として少年は思考を続け、印象として認知可能な現在のところの最小単位のストップモーションの瞬間瞬間の切れ切れに渡って、その弾丸が少年ではない何かを打ち抜き続けている結果、少年がそこに在る。
 それでも別に構わない。毛繕いをしているつがいの野猿のように並んで少年が弾みでヒキガネーゼの頭のフィルムリールを抜いた時、その時、それが引き金となったのか、それとも単なる偶然の符合かは分からないが、女が百円ライターの引き金を引いて煙草に火を灯した音とそれに続く煙の匂いをかいだ少年はそう思うのだった。
 少年が間違えて引き抜いたフィルムリールはすっかり白くなっており、もはや何の情報をも格納してはいなさそうだった。あるいはそれは単なる忘却の情緒をおさめたフィルムだったのかも知れない。内実のない忘却。それが何かは思い出せない何かを忘れてしまっているという感慨だけを収めたフィルムであることすら時を追って忘れさせてしまうという、忘却の予兆と痕跡だけを正確にトレースしたリールの内実とそれに忠実な外観が、少年がかすかに湿った左の掌に横たわっていた。
 実際にはなんにも忘れてなどいないのだ。それでも何かを忘れていたいと願うような時はきっとある。でも何かを完全に忘れたままそれを忘れたということに気付くことは不可能なので、忘却のその情緒だけを収めたフィルムで代用する。
 その再生装置を探さねばなるまい。 
 少年は女に気づかれぬようにその一本の若白髪を左のポケットにしまった。
 それから女の髪の毛をいたわり続けた。女は鼻歌を歌っている。
 それはいつか少年がある島で放蕩を重ねていたある朝方に知り合ったばかりのチリ出身の長身の男の小柄な恋人が、一握り分くらいのオリーヴを盛った皿をテーブルに並べたあとで、やけに晴れた戸口にむけて伸びをしながら小声で歌っていた美しいメロディと同じものであった。あるいはそのような符合のために、少年は過去の時間のそれはそれでとても繊細なディテイルを書き換えた。
 いつかの近い未来、何らかの意味を持つとも考えられなくもない偶然の符合を弾き出すそのためだけに、ヒキガネーゼの鼻歌を聴いているこの代え難い時間をも自分は書き換えてしまうのだろうか。
 そして自分以外の人間は、どのように俺のしてきたことを書き換えながら生きているのだろうか。それらの人々の記憶や抽象的な情動のなかで俺は誰ということになっているのだろうか。
 少年はぼんやりとそんなことを考えながら、自分が女の後ろ姿を追っていた新宿の光景を逆編集し始めた。女の髪の毛を優しく撫でながら。
 少年には果たして自分が実際に女の後ろ姿を新宿で追っていたのか、それとも始めに自分が自分の記憶のなかでヒキガネーゼをに追っていたのか、分からなかった。

February 5, 2011

20110205 - silence (as a trigger)

風が吹けば、風穴が空く。



 女はヒキガネーゼと呼ばれる。別名はトリガータ。一本一本が細いフィルムで出来た髪の毛を結わくためのゴム紐を左手首に巻いている。
 引き金を引く女、というよりは、引き金そのものとして存在している女。いつからヒキガネーゼと呼ばれているのか。誰も彼もが彼女を引き金のように引いて何かを発砲しようとしてきたから、その由来や出典はもはや定かではない。
 誰もが彼女を引き金のように引いてきたから、というのは当然一方的な見解であり、何にでも反応して何かをぶっ放すというごく傍迷惑な存在として周囲の人間から世話を焼かれていたという見方もできる。
 実際に存在する彼女を初めて見かけた新宿の光景のことを頭の隅で思い返しながら彼女の背後で胡座をかき、少年が女の頭のフィルムを指先で玩んでいるとき、彼女の髪の毛の一本がぷちんと抜ける。その時、どこかでリボルバーが六十度右に回転する。分針が六十度回転したのかも知れず、その場合はあっという間に十分の時間が過ぎ去って、そのあいだに分針が六十度回転した十秒間を数え終わり、あとは短針が六十度回転する二時間が過ぎるのを待っている。あるいは分針、時針、秒針のそれぞれが揃って右に六十度回転したのなら、二時間十分十秒の時間が過ぎ去ったことになり、女の髪の毛のフィルムに収められた映画の長さはちょうどそのくらいだろうなと少年は見当をつける。あるいは針たちを放っておいて時計盤だけがするっと六十度右回転した考えることももちろん可能で、その際には二時間十分十秒の時間が、ヒキガネーゼのその髪の毛のフィルムをぷつんと弾くように抜いて彼女の引き金を引くことにより巻き戻ったことになる。それはまるで逆編集のようだなと少年は考える。結局は時間も何も実際には巻き戻されることなく、右に傾いた時計が残るだけという無様なところが特に。
 ヘア・トリガーという言葉をご存じだろうか。
 髪の毛のように軽い引き金という直訳で、ほんのちょっとした刺激にも反応する、という意味だ。
 つまり、風が吹けば、風穴が空く。
 ヒキガネーゼが引き金だとしたら、少年は恐らく風穴のようなものだ。風穴を囲むための肉体のまるごとが一発の銃弾で吹き飛ばされてしまっているために、ぱっと見はそこには誰もいないように見えるのだが、風穴の背後の不可視のレイヤーにおいて、風穴となった少年が自分自身である風穴をさらに打ち抜くための銃弾を鋳造している
 その銃弾を撃つための引き金の役割を女は渋々と引き受けるだろう。そうでなければ自分がその役割を引き受けたということすら知らずにそれをさっさと処理したということも知らないままだろう。
 別に女が特別無関心だからそれに気づかないというわけではなく、女がさっさとそれを処理してしまえるのはそれが単に状況から委託された自動的な過程であるからだ。
 幾人かの男がヒキガネーゼを引き金にして、自分を打ち抜こうと試みてきたが、最後の段となりそれに相応しい銃弾を用意できた者はいなかった。
 自分自身が銃弾となり、ヒキガネーゼがそれを射撃するための引き金になるに違いない、という最悪の妄想を抱いたものもいる。それを真っ向から否定するにせよ、あるいは素知らぬ顔で受け流すにせよ、彼女にはそのように甲斐甲斐しく世話を焼くような殊勝さはだいたいない。
 少年が女の髪の毛を引き抜いたせいでどこかで劇鉄が落ち、弾薬が発火した。
 あるいはそれは胡座をかいた女が煙草に火を灯した瞬間だったかも知れなかった。

February 4, 2011

20110204 - silence (like never heard before)

枠組みの解像度。



 女を新宿で追うとはなしに追いながら、少年は今まで自分が眠りにつこうとしている時にはずっとその女のことを考えていたのだということを理解した。見覚えがある後ろ姿だった。自分のように馴染み、自分のように馴染まなかった。今朝眠りに落ちるまではその女を不可能なものとして想像していて、その女も女で不可能なものとして想像されているものとして生活していることを自覚しているのだと少年は思い込んでいたが、今その女が自分の目の前にいる。初めて、再び、今のところ最後で、その光景のことを最初に思い出した時には、少年は背を向けて胡座をかいている女の背後にやはり自分も胡座をかき、女の髪の毛として女の頭から溢れているフィルムの束のリールの一本一本の中身を確かめる振りをしながら、律速装置の外れた、世にも美しい髪の毛の毛艶を慈しんでいた。
 そのような光景を取りあえず思い浮かべながら少年は女を追うわけだ。
 今度はそのような光景にとってのそのような過去のなかで。
 逆編集は何に対しても適用できるが、もちろんそれは何にでも逆編集を施すべきであるということを意味しない。少年は女を逆編集の感傷のなかで見ていたくはなかった。自分が見ていないはずの彼女の姿をわざわざ思い浮かべ、それで胸を温めるような真似はしたくなかった。



 新宿駅の南口方面から東口方面にかけて広がる店舗群を歴訪しながら、歩く。一月の町を歩いていたはずが、なにか突然二月の町を歩いており、少年は愉快な気持ちになる。女の姿を初めて見たときと違う服を女は着ている。一月から二月になるどこかの時点で女は髪の毛を切ったらしく、ほとんどふくよかとも呼べそうだったその滑らかだった光の清流にはもう女の首を完全に隠すだけの長さもなかった。切られたフィルムはどこに消えるのだろうか、と少年は考える。カットアップされて、これまで少年が現実だと思っていたものをたった今再生しているのだとしたら面白い。そういうものは逆編集のしがいがある。
 少年はといえば一月と違う帽子を被り、アウターも似てはいるが微妙に違うものを着ている。違う靴を履いている。
 それでも少年は、彼と彼女が一月と二月の町の散歩と尾行の光景をまたいで、まったく同じ時間の流れを歩いているのだと信じて疑わなかった。事実それがそうだったから少年はそれを信じて疑わなかったわけで、少年がそれを信じなかったとしたらいつものように抽象的で面倒なことが起こる。彼と彼女と言うと、まるで別の人間のことを考えているようだなと少年は思う。
 可能性のなかを旅しているわけでもあるまい。
 あるいは不可能性のなかを。
 意味が途切れる前に、別の意味を見つける。
 それらはまったく同じひとつのものなのだが違う意味を持っている。
 そしてそういったものの細部は各自で補完できるんじゃないか、と後に少年が短くなった女の髪の毛を指で玩びながら告げた時、それはそうかもしれないけど、そんな風に枠組みでしかものを見てないからあなたには生きているということを量ることが出来ないのよと女は返す。とても親切だと思う。
 その枠組みの解像度だって少しは高くなっただろうと少年は思っていることだろうが。

February 2, 2011

20110202 - silence (february 2011)

そこにないことがそれがそこにあることの唯一の証拠となる何か。



 何かがそこにないと感じることが、その何かがそこにあることの唯一の証拠となるような何か。あるいは痕跡が始めにあり、予兆があとにくるような、破られるまでは約束とさえもして存在していなかった何かを常に生み出したり思い出したりしながらここにあるような、正確にちぐはぐで曖昧な感じ。触れられないということはわかり、それ以外のことはすべて可能だと言っても良さそうだということも分かる。



 彼女は泣いているから、単なる水滴が涙となる。それとも泣いているのは少年の方かも知らん。そのようなところにきっと物語が発生すべきなのだろう。だがその可能性を念頭に置きつつ、敢えて状態は空白と銘打っておく。何かがそこに存在しうる可能性だけをいつも猛烈に忙しい頭でぼんやりと計算しながら、手足やさらには指先などの細部の運動や、その運動の細部や、それらの複雑な組み合わせにによって達成される社会的な目的や、体の姿勢を制御することや五感による自動的な処理に計算の大部分を受動的に委託しつつ、そこにない全てのものを順番に検討することにより、自分が持つ唯一のものの輪郭をその内側から手のひらで確かめる。



 自分だけに属する時間の流れを誰もが欲していて、それが生来的に獲得される存在の形質であることを失念しているが故に逆編集なんていう面倒がいつも持ち上がる。自分だけに属する何かの中から、さらに自分だけに属しながらそれでいて普遍的でもあるような何かを取りだそうとするから人類は逆編集なんてものを見つけ出し、黄昏の半世紀を過ごすことになる。すでに孤独であると気づかずに、さらに孤独を欲するようなものだ。孤独は孤独以外のものの原形質であり、何かや誰かの振るまいを規定するような、例えば物理法則のようなものではない。記号論的な操作を通して論理的な一貫性を持たせることにより、例えばその物理法則のようなものを書き換えることは出来る。そこまでといえばそこまでだが、どこまでも続くそこまでというものは、実は、どこまでも、なのではないか、とあなたは思ったりするかも知れない。語の選択やその語られ方に工夫の余地はある。ここがその余地だという見方もまたある。恐らくあらゆる物語にはそれに適した語られ方というものがあり、それはその物語自体を次々と提示していくことでしか検証できない。その余談の後日談が予告編となり、それが本編のなかで語られているような、これは現在の回顧録だ。



 そこを流れるひとつひとつの信号に対して、入力部からの距離と、出力部への距離が常に等しくなるように自己設計を続ける仮想的な機構。文章はそのようなものとしてある。そのようなものとしてある文章もある。それは回路になりきることはできないが、少なくとも円環の近似物がそこで表現されていることは分かる。徹底的に尺を伸ばし続け、そこに自然と含まれる反復的な要素を見つけ出すことにより、それが循環であるという錯覚を強いる、ひたすらなる一本道。逆編集はその一本道に直交しようとする試みでもある。円環と円環のその縁同士がねじれながら重なりあい、言葉の厳密さと柔軟さの両方を試しながら、直線上に仮想された円環のなかで今度は直線を論理的に体験しようとしている。彼方と此方を規定するための直線を。或る一本の鉛筆で引いたようなその限りなく精密な、目を凝らすほどに精密なその直線は、その直線じたいを引いたその或る鉛筆のようにも見える。

January 31, 2011

20110131 - silence (alive)

どこにでもある特別な町。



 記号へと還元された結果、物事が実際に消え去ってしまうということを少年は知っていた。少なくともそう感じられるということには気づいていた。
 実物大の三次元の地図を想像していただきたい。
 あるいはスケール1/1の街のジオラマを。
 そのなかに自分が住んでいると考えてもらうと早い。
 それはやはり地球上の少年や少年が見知った人々が見知った街に似ていて、少年や彼女にとっては新宿に似ていて、中央線や丸ノ内線が通り、当たり前の都市のインフラが整備され、電気が灯り、あちこちに客引きがいて、消費者金融の様々なブランドの看板が建物の表面に目立つように張り付き、その下の国道のガードレール沿いには客待ちのタクシーが並び、その脇の歩道を行き交う人々に纏わり付く見えない水蒸気の乾燥した匂いはどこかの国の化学調味料で、歌舞伎町の入り口があり、そこから職安通りに向かう道すがら、幾度も繰り返された今日に埋もれた人々の活動の残像のせいでスローモーションな数々の路地の繁栄と陰鬱さの対比のなかで、ネガティヴな意味ではなく、あたしは空気になりたい、と彼女が呟くどこにでもある特別な街の実物大の三次元地図だ。
 そこで生きているはずの営みの全てが、新宿という記号に消え去り、夜という記号に消え去り、少年という記号に消え去り、女という記号に消えていく。たぶんそれらの記号も記号の記号にまで消え去ることも可能だろう。目の前にあるものどもが、それらが目の前にある限りどこまでも消え去ることができるというこの状況のなかで、女は徹底的に滑らかなコマ送りの風景のなかで逐次的に事物の細部を見つめ、その色や形を確かめ、そこに匂いがあることをいつも確信している。女はそれを、状況と踊る、と呼ぶ。自分の認知と踊っていると言い換えてもいい。駅の券売機の、タッチパネルの、何十万回と擦られて色の薄くなった部分の分布や、それに気づいたと気づくことや、そのような瞬間さえもが当たり前に過ぎ去っていくのだとぼんやりと物思いにふけることや。
 その背景に街がある。そしてその街の地図がその街に重なってそこにある。
 街は、街そのものでありながら、同時に実物大の街の案内図となり、その案内図はインタラクティヴで、没入型で、パフォーマティブでもある。
 さて、その地図を頼りに、どうやって目的地までたどり着くべきか。
 逆編集によって自分がそのなかに立っている現実の地図を解体し、真の現実の姿を見られるのではないか。当時の逆編集者たちは無邪気にもそのような希望を抱き続けていた。
 誰も、そこで見つかるものが、結局は記号化された自分のたちの精神でしかないとは気づかなかった。自我の地図。事故を許さない自己。そのような仮定のなかに自分たちを果てしなく閉じ込めていくという一連の作業が逆編集である。逆編集とは編集の技法でしかない。
 ある機械をばらしてその仕組みを解析するのがリバース・エンジニアリング。逆編集は、現実が編集済みのものと仮定して、それが編集された方法を知った振りをすることにより、対象の素材を取りだそうとする技術だとされている。
 だがその内実は、自分の頭のなかにある、自分の頭の中身を模した、自分の頭の中身そっくりの、自分の頭のなかである自分の頭の中身の案内図の中をさまよい続けながら、自分の頭の中身にたどり着こうとする自分の頭の中身を仮定する自分の頭の中の作業に過ぎない。過ぎない、というか、過ぎる、というか、ここまでくると変わらない。
 無意識なるものをどこかに漂着させるための器官として意識がそこにあるのだとしても少年は驚かなかっただろう。もしそうならば、何の不思議もなく、無意識なるものに対しては、すでに物事は完全に自動的に進行しているのであり、この文章がここで書かれていることも、この文章がそこで読まれていることも、あなたが自分がこの文章を読んでいると知りながらも自分の実際の生活のことをちゃんと覚えていると感じているこの時間は実際の生活のうちには計上されないのだろうかと思いを巡らすこの短い、仮想的といえば仮想的な、実際的といえば実際的な時間は、意識の自動的な過程の素朴なスペクトラムの幾つかに過ぎない。よく言われることだが、ヴァーチャルという言葉には仮想的な、という意味の他に、事実上の、という意味もある。それら二つの日本語の語句が限りなく似ていると考えると少し楽しめる。
 それでも女と少年は自分たちが生きていると感じており、そこにはやはり何かがあるに違いないと彼らは思うわけである。
 単に何もないということだけがそこにあるのだとしても、そこに何かがある振りをすることはできて、しかもその振りが決して嘘ではないという不思議で素敵な矛盾が何故か発生しているということを考えられるから、諦めるということが選択肢に入ることはないと考えることができる。

January 30, 2011

20110130 - silence (live)

思い出せない。だが忘れてもいない。



 感傷しか求めてないから逆編集なんてものにたどり着いたのではないかと女は睨み、少年はきっとそれに反論できない。そして少年が求めているのは結局にしてそのような類の遊戯なのかも知れないと思い至った女は、架空の腹を仮想的に、それはもう猛烈に、立ててみる。論理的な無感情を経て、そこを起点として更に感情をエミュレートする先にいる自分に女は気づく。感情によってエミュレートされている何かを更に常に一歩ずつ出し抜きながら、女は泰然としてそこにある。
 あるいはそこにあるから泰然としている。
 そしてそれは偶然かも知れない。
 女はあまり考えない。ただ状況と踊るのみである。
 だから逆編集なんていう面倒くさそうなものには端から興味が沸かない。
 自分がともに踊っているのは微視的で瞬間瞬間において凍結した状況のその更に細部とであり、亡霊や虚構と踊っているわけではないのだ。女にはそんな矜持とも呼べないような矜持がある。我ながら情けない、とも女は思う。
 だがそのダンスは抽象的なダンスではないのだ。女は踊りを規定するために踊るのではない。女は踊りから逸脱するために踊るのだ。恐らくはそのことについて赤面しながらも、ともかく。
 それならば例えば逸脱しようとするのは、結局何から逸脱しようとしてそうしようと試みるのだろうかと女が考えているこれは、たぶん、道がないところに標識だけを配置しているようなもので、そこに絶望的な含みはなくとも、ともあれ始まり方面から終わり方面に近づいているという意味では着実に前に進み続けている自分を女は割り出して、そのようにして割り出される前に自分はどこにいたのだろうかと思い出そうとする。
 思い出せない。
 だが忘れてもいない。
 そして彼女が本当に忘れてしまった彼女を少年は覚えており、その彼女が忘れてしまった彼女が目の前に居たりして、目眩がする。

January 28, 2011

20110128 - silence (trailer)

地上は虚空。



 編集されて入り混じった脈絡をほぐしていく彼女の頭から溢れるフィルムを少年は見つめ、何かが溢れたというからには、そもそもの許容量をまず知りたいと思う真冬の夜がまずある。
 許容量などないところに内容量が自然発生したような生き方を続けていた彼女は常に溢れかえってはいたが、自分でもそれがいかにも過剰であると感じられるときには彼女は腹の底に地下水面のようなものを思い浮かべ、そこに自分から溢れ出した自分を横たえるのだった。女は心か躯の縁にある淵を思い浮かべ、その水面だけがまたぐ境界を意識する。そこが地底だ。地底と言っても地面はなく、地底湖の水面があるのみで、そこに底はない。女の戯れがその地下水面に波紋を浮かべる。波紋は、反復する心拍の残響音と同調して膨らみ、軸を移し、なだらかさを保ったまま円の同義語を探す。女はその闇のために艶を浮かべる光量のない視覚効果の舞台として自身の心境を利用した。
 それは逆編集と再編集を合わせた処理で、逆編集を嗜まない女も、逆編集を嗜まないだけのたしなみで、自分の体験を分解し、それを新たな文脈のなかに再構築した。柔らかに擾乱する内部が設定されたが故にそれを保護する論理的な装甲が生まれるとしたら、その温かく乾燥した内部はその装甲にどのような装飾を欲するのか、もしくは、女は自分の内部がどのような装甲を欲しているかを率直に考え、それから、それは皮膚の下で絶えず緊張している棘や異物めいた分厚い皮膚の層であると判断を下した。たとえ本当に自分が存在することなく、誰かによってここにいるふりをされているだけであっても、その装甲の感触は残るような予感がする後味だった。
 内骨格と外骨格のあいだにある、精神の鎧。脱ぐことは適わず、着た記憶がそもそもないのならば、その装甲はひとりでに発生したものに違いなく、女としてはその使い道を考えるよりほかはない。女にはそのように投げやりな客観性を選択するよりほかの選択肢はなかった。それさえも選ばないという選択肢も恐らくはあるのだろうが、なげやりな女はそのなげやりさ故に、なげやりな客観性を選択するという義務をなげやりに果たしたのだった。それすらもがなげやりだった。 
 自分の内側から自分の皮膚を守っている装甲。
 守ろうとして、物理的な皮膚を切り裂かんばかりに硬い論理的な皮膚。
 女はそのようなものの存在を常に感じていた。肉体の請求によって発生したものというよりは、どこかで何かの論理的な整合性を保つためにそこにあるようなもの、実感としては、空転と切実さとを繋ぐ脆い回路になり、その回路を覆う被膜を同時に手に入れたような感じ、それで女はご機嫌だった。切実ではない空転など女は知らなかった。
 新宿で少年は女を追った。追うとはなしに追った。むしろ女のほうが率先して自分の前を歩いているに違いない。そのように思い込みながら少年は実質女を追い続けた。
 そのような操作も逆編集と再編集の組み合わせにより実行できる。
 逆編集と再編集を経て、おそらく瞬間の感情と呼ぶべきものにたどり着くことができるのではないか。懐かしさの根源みたいな甘ったれたものがあるとして、全ての人々に共通する或るひとつの無感情な光景があり、さんざん現在を懐かしみ続けることによりそこにたどり着くことができるのではないか、という当時の逆編集者が持った典型的な誤謬に少年は取り憑かれてはいたが、そのために人生を棒にふるつもりはなく、棒にふるための人生のひとつもなかったが、少年はそのことを知らないということすら知らなかった。



 町は逆編集を巻き込んで、独自の回転の規則を守っている。もしくは逆編集が町を巻き込もうとしていたのか、ゆっくりと路地や廊下を絡め取り、窓硝子を折々の目と頼りながら、誰しも同じ空を幾度にも渡ってまるで違うものを見上げるかのように見上げ、つまり、町や人は空に慣れることがないのだと少年は結論を下した。空のことはこれで片付いた。あとは地上のことをどうするかだ。あるいは地上に空を持つことを選べるのか。選ぶまでもなく地上は虚空である。足下の地面がただそこにあるというだけの大空。水たまりを通してのみその真の状態に近いものを覗くことができる。水平な地面に張った水性の切り傷から虚空である地上の姿が溢れている。虚空と虚空を雨が繋ぐ。

January 6, 2011

20110106 - silence (in your music)

あなたの音楽のなかの静寂。



 新宿の人混み、少年が彼女を振り返った仕草で、彼女は少年が逆編集シークエンスを終了して再び現行の状況に帰ってきたところなのが分かった。一回の逆編集は長くて三十秒持続すればいい方で、逆編集をしている状況を収めた時間は圧縮されて逆編集終了シークエンスの末尾に加えられ、逆編集者をもと居た時間の流れにまでシームレスに運ぶ。出来る限り入れ子構造にならないように工夫がされているが、手順を誤ると逆編集者は逆編集をしている時間そのものを逆編集の対象に定め、終わらない循環が生まれてしまう。そんなはごめんだ。こりごりだ。というわけで、彼女は目の前を歩いていた細身の少年が随分と滑らかに状況の遷移をこなした様子に感心していた。
 この少年には逆編集と普通の時間の流れの区別がないのかも知れない。
 そういったものの存在ももちろん予言はされていた。そのようなものがいるとして、なまの何かに迫っていると勘違いし続けながら一生を過ごすというのはどのようなものなのだろうか。
 あの人たちは逆編集を使って、もうこれ以上それがそこにないふりができない何かを探しているのだろうか。彼女は思う。それがいいものなのか悪いものなのか分からない。それを見たいと思うことが賢明かどうかも分からないが、わたしはおそらくそれを見ることになるだろうし、それだって別にそんなに大したことじゃない。そんなものはおそらく何度も見てきただろうし、それが最後というわけでも当然ない。てことになるかどうかは本当に保証できないし、なったらでなったでそれからどうなるかなんて保証できない。
 逆編集を終えた少年を襟元を彼女のそんな小さな呟きが通り過ぎる。少年はふたたび逆編集シークエンスに入りその感慨に迫ろうかと思うが、女を見失いたくはないと思った。
 すでに逆編集されているみたいな女だ。
 少年は女の姿を一目見てそう思った。
 何かに肉迫していそうな、何かを知っていそうな、そのような何かを背負わされていそうな影があった。
 髪の毛は細い映画のフィルムだった。
 女はそれを後頭部で束ねていたから、フィルムはビニール紐でつくったボンボンみたいに揺れていた。その粗い揺れのなかを高解像度の印象が、そこにとどまることを覚えた光の運動みたく様々な色を組み合わせて鮮やかな表面の動きを作っていた。ビニール紐でできたボンボンみたいな髪の毛をした彼女は、やはりビニール紐でできたボンボンみたいにドライでちぐはぐな笑いを浮かべたりできるのだろうか、と少年は自分を追い抜いていった女の後ろ姿を目で追いながら思う。

January 5, 2011

20110105 - silence (as if it can be silent)

「だって、あなた、さっき」



 逆編集が隆盛を極め、人類が未曾有の停滞に目すことになる半世紀のそのまさしく始まりの時期を彼女は見た。彼女がこの時期について残した描写で差し当たって手短で的を射ているのはこのようなものである。
 ありのままでなれのはて。
 逆編集のいずれの情緒的着地点を彼女はそう読み切った。
 彼女は思う。
 わたしがいまこの時にも同時にそこにいるであろう場面を探そうという試みのなかで時代がその中心から陥没している。去年も一昨年も今年とあまり変わらないような気がするのはきっとそのせいだ。今までに比べこの先は平らな道が続いている。道ではない。更地だ。更地といえば聞こえはいいが、映像の届かない荒野だ。それについての映像を人々が知らない場所。知っているはずの映像と少しずつずれていることが希望であるような、そのような時代をわたしはしばらく生きることになるだろう。それでやはり当たり前なのだと胸をなで下ろすのはいつになるだろうか。それもこれもやがては記憶の比喩に上塗りされることだろうけど。そして、そもそも、この被害妄想が、逆編集なんてものを生み出したわけだけども。
 逆編集された場所から話すべし、逆編集された場所で生くるべし、という逆編集者のあいだの暗黙律がある。これは逆編集者同士が会話をするときの互いの逆編集の負荷を下げるためではなく、逆で、相手により逆編集されている自分のそとっつらも含んで逆編集を行えというルールであり、負荷は上がる。様々なレベルで環境と相互作用を行っているオブジェクトを他のあらゆるものが存在する世界に連れてこなければならない。
 外の人は誰なのか。
 そういう話しである。



 女は歯医者に行くことがある。
 最近の歯医者は麻酔をかけるのではなく、犬や猫の絵を描いて患者の気を逸らす。
 昔はみんなそうしていたと、昔を知らぬ歯科衛生士が言う。若い娘だ。
 野性的で健康そう。
 昔の絵を描かなければ昔の人にはこの麻酔は効かなかったのかしら。
 術式を終えた女は問う。
 昔の犬や猫の絵がどんなだったか知らないし、どっちみち実証しようがない。
 と歯科衛生士は答える。
 だってあなたさっき昔の犬や猫の絵を描いてたくせに。
 女が言う。
 歯科衛生士は応えずにうつむいて首を振る。 

January 4, 2011

20110104 - silence (edit)

町の移ろい代行業。



 逆編集とは、つまり、事物が観測された後に、その事物が観測されたという事実だけを消し去った振りをする技倆全般を指す。感傷的で無為な芸能である。時間の流れのなかで執り行われる反時間芸術、あるいは時間のなかで執り行われるからこその。
 逆編集をしながら生きている人間にも色々あり、現行の周囲の環境に溶け込んでいる人もいれば、逆編集に時間的リソースを割きすぎて現在に追いつき切れていない人もいる。
 逆編集するためのオブジェクトは自分で設定する。それは物体でもひとつの感慨でも構わない。それをどのような角度から、どのようなスケールでつまんでも構わない。自我により認知された現象ならば何でも逆編集の対象になる。認知されたからこそ、逆編集を施さねばならない。逆編集者を逆編集に奇妙に縛り付けている論理はそのようなものだ。存在したからこそ存在の痕跡を残してはならない。存在の痕跡を消そうとした事実は残るが、その事実を都合よく隠蔽したヴァージョンの現実の総体を探し続けようとする。逆編集という手法は逆編集されているのか、という問いには、逆編集者はその問いにはもう飽きたという顔をして返すのみだ。逆編集は逆編集済みである。
 問われるまでもなくこれは虚構の生成プロセスである。瞬間瞬間に生の現実に差し向かっているという遠回りな思い込みを保全するために、生の現実を現実内のエミュレータで走らせている状態である。もちろんこの場合のエミュレータとは逆編集者の脳の処理機能全般を指す。当の逆編集者にしてみれば現実そのものを別の何かを実行するためのエミュレータとして使用しているのと違いがない。それを理屈だけで実行する。
 何だか分かったような分からないようなそんな物事をそのようにして捉え直すことができるところにだけ、逆編集という技法は意味があったかな、と彼女は思う。
 女は差分のなかに住まうとされてきた。それが具体的にどういうことかは誰にも分からなかったが、ともかく彼女は町の移ろい代行業みたいな呪いをかけられていたし、それは女が自分で自分が知らぬ間にかけた呪いかもしれなかったが、女は違う時間の流れを同時に生きているかのような印象を人に与えるのだった。女に出会う人は、女がその時に同時に過ごしているであろう自分がいない場面のことを考え、そっちの世界で幸せか不幸せにかは知らないがともかく間違いなく生き抜いているであろう自分を思い、結局はその場にいる自分のことをそうとは知らぬまましばし考えるのだった。
 彼女は差分のなかに、差分をまたいで住まうとされてきた。
 逆編集とはつまり、彼女が同時に住まう場面を見つけようとする全人類的な賭けでもある。

January 3, 2011

20110103 - silence (backfired)

一番いいところ。



 物事の価値をその見かけで測らない方がいい。
 少なくともその物事の真のみかけが分からないうちは。
 そんなことを言われて困っているうちが花なのだ。
 そんなアドバイスだかなんだかよく判らないことを言われて女は二三週のあいだ困惑し、そのあいだは眠ることが出来ず、本当に運良く眠ることのできる数時間のあいだには、必ずその夢のどこかで空砲が発射される音のする夢を見た。見かけしかないものもある。そんな教訓だろうか。その見かけに絡みついていく別の文脈が空砲のみかけをした、内実ともに空砲だと保証されている空砲を獲得する。どこの誰がその空砲の空砲的価値を手に入れるのだか、女の短い眠りのなかでは決して明かされることがなかった。女がまだ目を覚ます前だったらその空砲の音を自分のものにしてしまうという手もある。結局あの夢においてはそれが最善解のような気がする。このような手番では誰が鳴らした空砲かをはっきりさせた上で、それから最善解が始まるべきなのだと女は考える。それを始めるのが自分であって何がいけない。結果表現されるものが、まとまりのない覚束ない普段通りの段取りでしかなくとも。
 都会の夜はそのようなセルフヘルプ的思考を促してくるので注意だ。その点に注意することさえものがセルフヘルプ的で、きりがない。それをいえば、自己破壊というのは、即物的に達成されるものではなく、何年もかけて、周到に、抜かりなく緻密に行われるもので、人生の他の経験と同じくきりがなく思える仕上がりを見せているし、生命が死に辿り着くまでのプロセスだとしたら、存在するということが何らかの意味で自己破壊に辿り着くためのプロセスであって何がいけない。彼女はそんなことを考える。自己破壊プロセスの一番いいところは、そのプロセスを終えたことに気付く奴はいないというところだ。自分で辿り着いたそのフレーズに悪酔いしたような気分で女は二、三日を過ごす。

January 2, 2011

20110102 - silence (anti-silence)

反-沈黙と半-沈黙が睨み合う町で。



 誰かによってここいるふりをされている自分。
 本当はいないのに。
 そんなものになった心境を想像しながら彼女はバスを待つ。
 まだここにいないバスを待ち、まだそこにいないからバスを待っている。
 待つための努力をしているし、待つ覚悟もできている。
 必要とあらば待つことを止めることさえできる。
 すべてに対して備えて準備をしなければならない時には、何一つに対しても備えることができない。だから、ひとつくらいの人間としてのおかしさというのはまるで安全装置のようだなと彼女は思う。思ったころバスが来る。
 バスは思っていた彼女が約束のその日にそのバス停で待っていたのでそれでようやく彼女を迎え入れる。という設定で女はバスに乗り込む。
 爆発音には何でも詰まっている。
 がら空きの車内で二人分の席を無意識のうちに占領しながら彼女はそんなことを考える。後ろ頭くらいの位置にあるのだと何故かいつも感じられる頑丈なエンジンが燃料を燃焼するこじんまりとした爆発音を聞いたからだった。
 爆発音を分解して、それ自身のなかで掻き消されながらそこに散乱している爆発した生活の数々のことを考えるのが女は好きだった。木製の家具が衝撃波を浴びて一斉に軋む一瞬の音だとか、空き缶やマグカップとぶつかり合いながら部屋を三次元的に横切ろうとするベッドランプの不穏に丈夫そうな音だとか。一度壁に押しつけられ、その後で逆向きに跳ね返る冷蔵庫のなかのほとんど減っていないマヨネーズとケチャップと卵が混ざり合いながら、目的をまったく持ってない感じだとか。全部がいっぺんにくだらなくなるあの悪意めいた精神の働きも爆発そのものとしてそこに化体していた。
 わたしがここにいるふりをしている誰かは、やはりそのような爆発の一つに巻き込まれているわたしをもまた想像するのだろうか。
 と女は考える。
 恐らく、するだろう。
 女はいつもその爆発に対して身構えながら暮らしてきた。どのようなシーケンスで自分がその空想された爆発の一つに巻き込まれているのか分からなかったから。
 でも結局はわたしのこの生活そのものが、ある一つの爆弾が爆発して、何もかもが吹き飛んでいく様子、それを生活としてシミュレートしているだけのものなんだよ。
 つまりこれは生活のふりした爆発なんだよ。
 と彼女は自分がそこにいるふりをしている誰かに対してそう言いたかった。あるいは彼女はただ単純にそのようなものとしてそこにいるふりをされていた。
 女は生活のなかを吹き飛び続けた。何年間か後ろ向きに吹き飛び続けた。
 そのあいだげらげら笑い続けた。息が苦しくなったと気付くまでそうした。

December 31, 2010

20101231 - silence (2010)

一年中。



 誰もが緊張した夜の空気に疲れ始めるころ、今度もふたたび結局は朝が訪れる。グラスの中身がひとりでにあふれ出して、透明で澄んだ冷たい冬のむきだしの空気が空っぽのグラスを満たしているのだと分かる。空のグラスが窓沿いのカウンターに並び、その窓からは東西に走る国道が見える。
 帰り支度をしている誰もが、おのおのがその酒場にやってきたときの様子を再現しているようにも見える。上着や携帯電話や鞄やポーチや、自分の持ち物を持ち、一日に備える。折り返しの儀式の光景。蓄積されたさよならが、朝の空気に漂い出す。
 そう、それが蓄積されたさよならだ。どの部屋にもあったりする。
 よく日持ちする。というか、決してなくならない。
 そこにいなかった彼女はそこにいないまま、そこにいるかのようにそこにいないための技術を磨き続け、今では誰も彼女が本当にそこにいないことに気づかない人間はもういないという。



 彼女のほうが、彼女以外の人たちがここにいるふりをしているだけなの知れない。



 彼女が首尾一貫している人間ならそれでも別に構わないかな、と誰かが思う。
 できれば彼女の手助けをしたいともその誰かは思う。
 描写を生み出す力として彼女はそこにあり、その描写を含まれなければないない部分の自分の分を、自分ですませる。こちらには心配はないよと取りあえず知らせるだけでも彼女の心理的負担は減るのではないか。誰かがそこにいるのだと知れば、その人間に関してはその人間がそこにいる振りをする必要がなくなる。もっと彼女がそこにいないことに集中できるように、本分を見たいという気持ちもある、これは、宿題などではなく、何分持ち帰る先がない。帰ってくる見込みもない。



 単にそれだけのことを物語だと呼びたいんだったら別にそれでも構わないと思うけどね。
 と彼女は思っているに違いない。
 そのかわり、一生目を醒まさない方がいいと思うけどね。
 とも彼女は思っているに違いない。彼女が誰に対してそう思っているのかは分からない。
 彼女は一年中、誰に対してもそう思っている。

December 30, 2010

20101230 - silence (spoken)

存在しなくてもへっちゃら。



 誰もが午後の弛緩した時間の流れに飽きたころ、夕闇が訪れて、またもや夜に向けて出かけていく人々がある。そういう人々というのは本当はずっと家に帰ろうとしている人々なんだ。勝手に採用したそのような設定をそのままに、女は眠りに落ちる。午後十時前後に目を覚まして、ここはわたしの家ではない、という直感的で激しい理解に見舞われる。ここは他の誰かの家だ。もしくはわたしのなかにかつていた誰かの家に違いない。
 まるでそのようなことは考え飽きていないというばかりに。
 他の誰かの家に住むのも別に構わない。
 それも、むかしの自分だった奴の家に住む、くらいだったら実際の被害を被る人はいないから、倫理的にも道義的にも看過される可能性が高い。
 ここには誰か帰ってくるのだろうか。
 誰かが帰ってきた試しなどここにはあるのだろうか。
 わたしは今日、この場所に帰ってくるのだろうか。
 ベッドで女は考える。
 もし女が今日ここに帰ってこなければ、女はこの場所に呪いをかけることができる。
 世界はそういう種類の呪いで満ちあふれているのだろうな、と女は思う。あるいは、何かに対してそんな呪いをかけるのが自分が初めてでもあるかのようでもある。末端では一括してそのような呪いをかける。
 呪いは呪いであり、意志ではない。
 意志を呪いとして保全するような技術。生活のなかにプログラムされている呪い。恐らくそのなかには女自身がしかけた呪いもあり、きっとそのような呪いの連鎖で世の中は成り立っていて、つまりありとあらゆる場所にはニュアンスがあるという意味ではあるが、それ以前に人間の注意力は限界のなかではなく様式のなかで頭打ちしている。その様式は、素晴らしく瑞々しく、人間史と個人史がきちんと出会うようにすでに手筈を整えている。すべてが超越的に平板で、圧倒的に美しく印象的で、記憶に由来せず、記録に依存しない。そのような思考の様式からも解放されたいと女は願っていた。この瑞々しく、美しい世界が、その意味では疎ましかった。その意味では呪いのように隠された機構があるということが彼女にとっての慰めになった。
 どこからか自分が自動的に存在している部分なのか。
 つまり。
 どこまでが他人が自動的に存在している部分なのか。
 現実に対する誰かの契約。そのようなものとしての呪い。
 不利な契約でも、有利な契約でも。
 自分のか、それとも他人のか、それとも集合的な意志なんてものも定義付けて、その集合的な意志さえも呪いとして残すことは可能なのだろうか。もしそうならば、それは呪いではなく、摂理をデザインしているだけのような気にもなる。そこに違いはない。
 集合的な呪いをかけることに長けている奴もきっといて、そういう奴自身が別の集合的な呪いの産物であったりする。集合的な呪いの、ある程度集合的な結節点があるはずで、そこの呪いを書き換えない限り、未来はないよ。猫の目をした不思議な少女に彼女はそう諭される。あたしが早熟で利発なのにも上手く調子を合わせてちょうだいという少女の沈黙が聞こえる。まあうまくやって、応援してるから。いつかの夏の日に、行った覚えのない駄菓子屋の、アイスクリームコーナーでの束の間の邂逅だった。それからふと目を覚ますと真冬の午後十時で、ここはわたしの家に違いないと女は思う。
 女は分子のようによく眠る。原子のようによく生きている。
 だから存在しなくてもへっちゃらだ。
 まあ、どうでも。

December 29, 2010

20101229 - silence (online)

二、三年というのはまるで沈黙の単位のようだ。



 オンラインの沈黙を集めたらどうなるのだろうか。
 メールをチェックしながら女は考える。沈黙を一つの豊かな媒体と捉えることはあまりにも夢想的だろうか。その媒体上で交わされるべきもののためにあらゆる種類の空白を別個に用意している媒体。並んでいるのは主に空白。しかも何千年も続く空白のほんの切れ端。そんな風情。女自身は自分は何十年も生きてはないから、それに対して何千年分もの沈黙はさすがに重いだろうなと予想する。様々なIDやパスワードや、キーボードや、CPUや、アプリケーションが自分の分の沈黙を肩代わりしてくれているのが分かる。そのようなものがあるから彼女は何千年分もの沈黙を受け流すことができる。つまり、さかのぼればこれは誰の沈黙かという話になる。



 銭湯の帰り道に女はそんなことを考えながら歩いている。
 誰かの足指から滴った温水が湯船の縁石に跳ね返り、緑のタイルと向かい合う天井の蛍光灯の光に挟まれながらそれが映像的にどのように砕け散っているのか女にはちゃんと追跡できた。タイルと光が水滴のなかで砕ける瞬間が見えた。



 彼女は誰かの沈黙のなかを渡る。やましいことはなくただ誰もが何となく秘密にしている関係のなかを彼女は渡り歩いてきた。だから交わされることのない話は潜在的に彼女についてのものとなった。
 それを知らずに彼女は通り抜けていく。彼女について語っていない言葉から言葉をひとつずつ人から人へと渡りながら。ひとがふと休んでいる時間、夏、帽子を脱いで、目を閉じて、薄暗い部屋で、回復しようとしている時の沈黙。そのような時間のどこかに彼女は住む。
 沈黙があればそこに身をかくし、二、三年そこで眠っていることもできる。
 二、三年というのはまるで沈黙の単位のようだなと女は考える。
 あるいは密約の単位としてのわたくし、と使い道のないキャッチコピーを女は考える。

December 28, 2010

20101228 - silence (solo)

微妙で、ある種、納得な気持ち。



 街の名前に合わせて区切られていく彼女。彼女のどこかには全ての曲がり角を再現したものがあるが、それらの曲がり角は本来とは違う全く区画に繋がっているために、彼女は恒常的な迷子としての側面も持ち合わせる。
 2000、2001、2002、2003、2004、2005、2006、2007、2008、2009…。
 彼女のなかの区画には大体そのような名前がついていく。ある年代を街と呼び変えてそこに住まう。消費しながら、消耗しているような、微妙で、ある種、納得な気持ち。



 彼女の論理に合わせて街の方が区切られているに違いない。
 誰もがそう思い込む夜があり、そんな夜にはそれは本当になった。
 行き当たりばったりのすべてが後付けで彼女を描き始める。その彼女は半透明の映画のフィルムの髪の毛を伸ばし、一本一本細くて丈夫そうなそのフィルムには当然のことながら無数のコマがならんでおり、そこに焼き付けられるのは光ではなく、印象のようなもの。それが撮影者の印象か、出演者の印象か、それとも劇中の人物の印象かは随時入れ替わる。もしくは読み込みの段階で一括して視聴者の印象として置き換えることも可能だ。
 記憶の交換を許すシステム。
 ある程度は分類されて並んでいる。



 町は冬。
 女の耳の後ろを道路で起きる音が過ぎていく。タイヤの摩擦音、あるいは音でなければ車体の熱。小児が通り過ぎる。あとは猫が。また何台もの車、空が何回かゆっくりと明滅して、似たような曲がり角で彼女は似たような方向に今度は曲がらない。
 相対化して現在地を確かめ、それから更新する。
 交換された記憶を光に透かし、その滑舌を調整する。
 もとどおりを、もとどおりへ。
 逆編集は経験とは並列不可能なプロセスである。
 その時間分の経験はどこに消えるのか。
 その時間分の経験はどこから現れるのか。
 逆編集中の時間はこれら二つの問いの中間あたりを流れている。
 逆編集に成功して、そこにあった手つかずの何かまで経験の要素を巻き戻した時に、それをどのように持って帰ればいいのか。ましてやそれを気軽に手渡すかのように、それについて述べることは適当なのだろうか。
 しかも、まるで逆編集なんてものが可能であるかのように。

December 27, 2010

20101227 - silence (muted)

矛盾なきその時間。



 編集の技法の発達と、注意時間の短縮の出会う場所。拘束された散漫な緩さのなかで、能動的な起動の理由など何一つ与えられないまま、ひとつの可能な配置として現前する文章。文章たちは生き延びるためには愛想は良くしろといつしか諭される。まずは挨拶を学べと言われ、それで別れの挨拶だけを繰り返しながら生き延びた文章が彼女の胸中に住んでいる。それは彼女の記憶を編集することによりそこに存在している人格だ。それならば彼女自身がまたべつのひな形の記憶を編集した結果生じたものでも構わない。ここにはオリジナルなものなど何一つ存在しない。



 逆編集という言葉を女は玩ぶ。
 処理が追いつかないことがもどかしいと思う。薄黒い影が現れて女を消費する。正確に言えばそれは女の時間を消費する。もしくは女の処理速度を。薄黒い影は女の生産性をそのようにして次々と奪っていく。何かがそこにないがためにそれがどのようにそこにないのかを厳密に考え続けなければいけない屋根の下、明かりが灯っては消える。掠れては、燃え上がる。閃いては陰り、握りつぶされては目玉を裏側から暴発させる。逆編集への誤謬は半世紀続き、それは人類未曾有の停滞の期間として後に扱われることになる。



 女はいずれかの街の名前を背負い、そこで吹かれるに値する風を探している。
 相応しい街の名前などはなかった、と彼女は思うことにする。
 彼女が選びうる彼女としての人生のヴァージョンの全てに共通する唯一の場面がこれである。結局は自分に相応しい街の名前などなかったし、そんなものは選びようがなかったと考えている瞬間、無心で、疲れ切って、日差しの加減も、彼女の年齢も、その光景においては共通している。どの彼女も共通してその瞬間は自分の人生にびっくりしている。
 その年齢に彼女はその場所でその内省にたどり着く。
 その年齢にその内省にたどり着かなければそれは彼女ではない。
 彼女に与えられた全ての過ぎゆく時間のヴァリエーションと、過ぎ去った彼女の時間のヴァリエーションのすべてがその瞬間の彼女を蝶番にして向かい合っている。無限人いる彼女は、つかの間ひとりだけの彼女という存在になる。その瞬間には彼女はどの過去の方向から来ても良かったのだし、彼女はどの未来の方向へと進んでも構わない。
 彼女はその瞬間に何をか納めるべきかを知らなかった。
 叫ぼうとして、自分が叫び方を知らないと知った彼女のように。
 矛盾なきその時間はそのように過ぎる。

December 26, 2010

20101226 - silence (demo)

あらかじめ死なないために生まれたものども。



 昨日新宿にアイロンを新調しに行ったオリジナルを探しているコピーという設定で彼女は新宿にいることにする。この文章を書いているのはすれ違いで家に帰ってからコピーの帰りを待っている無事にアイロンを購ったオリジナルの方である。そこにいない彼女を記述しようとするたびにそのような憂鬱と呼べなくもない事態が発生すると言えなくもない。それに論駁を加えるか、それとも徹底的なスルーを決め込み何事もなかったかのように何事もなく次の段落へと書き進むべきか。そんな思考は、思考のその分岐だけを不親切にマークアップするがための作文術のためのものだ。天国の見取り図。もしくはただの見取り図。誰もそれをどのような部品を用いて組み立てればいいか分からないし、よしんば正しい部品の正しい組み合わせを実現させたところでそこに横たわるのは新たな形態を取った同じ内容の見取り図であるだけ、という殆ど嫌がらせのような展開も考え得る。



 その見取り図を初めて見てからどれほどの時が流れたのか。
 そういう問いなどは徹底的に無視して日銭を稼ぐ。問われれば、いない、と答え、問われなければ自分の存在の主張はない。そういうものは自問自答の領域にとどめるべきではないか。不穏に女はそう思ったりもする。その見取り図を眺めていて例えば既にどれほどの長さならば満足するのか。知識に対する知識の欠如をさらに新たな知識で補う。欲求に対する欲求が生まれる。欲求の質に対する欲求が生まれる。すでに死んだものとして生まれていくものどももある。ある種の感情や、決して実際には経験することのない記憶など。それらはあらかじめ死なないために生まれたものどもであるかも知れず、それが悩ましい。

December 25, 2010

20101225 - silence (reperise)

「自分以外の存在しない人全員分頑張る」



 論理的な無感情を彼女は信用していた。経験に対して反証を挙げ続けるという訓練。最終的にはそれを脊髄反射でこなす。実際に経験したものよりも、経験していないもの、フィクション、が世界観に盛り込まれる。そのような事態に対しても論理的に無感情に対応する。それは正気かと誰かが問うと、彼女はやはり自分かそれとも誰か別の誰かが正気ではないのだなあとだけ気づくことにする。そうでなければならない理由もないとはもちろん知っている。
 だいたい何でも知りすぎてるのがよくない。
 彼女は時にそんなことを言われるが、言葉の意味が取れない。言いがかりをつけられているだけのような気もする。どのみち知っていることの大半は説明不可能だ。そしてそのくらいの比率でいいのだ、と女は思うことにする。だから何かを知りすぎているとしてもそれが結局何になる。と女は思うことになることにする。
 彼女はこう思う。
 存在しないぶん自分は人一倍頑張らねばならない。
 それは、自分以外の存在しない人全員分頑張る、くらいの意味の言葉で、向上心があっていいな、と好感を抱く層も確実にあると見当に入れているとここに書かかれていて、そんなの適当も良いところだと考えてから、果たしてそれは自明かと自問する層もある。
 誰かが彼女の不在に気づいてから彼女の闘争の日々が始まった。
 それはどのような女か。どのような女であったのか。
 不可能なぶん、人一倍頑張りたいと思います。
 もちろん、いる人の人一倍分です。
 誰かが彼女がそこにいないことを思い出すたびに、彼女は彼女がそこにいないことを思い出している人の分を補うために人一倍努力することになる。
 止めて欲しい。と彼女は思う。
 努力が足りないのでは、という声も聞く。努力が足りないので、そこから完全にいなくなるのが不可能なのだ。そのような要望を前もって予想しなかった彼女ではなかった。文字通り。

December 24, 2010

20101224 - silence (or so it sounded)

感情しかないのは無感情と一緒。



 感情しかないのは無感情と一緒だ。だからこの文章などは論理的な無感情のなかで書かれていたりする。
 そのようなことが可能なのだという前提に立ってまで。
 論理的な無感情とはどのような景色か知りたいと少し思う。背景色を知ることにより事物の境界線はより明らかになるだろうから。論理的に導き出された無感情のなかで、理論値から外れた活動だけモニターし続ける。その理論値は経験則か借り物のどちらか。
 そのように差分で一日を測る。
 すると後付けで原体験なんてものが生まれてきたりもする。
 結果だったものが経過となりまた別の結果を生み出す。
 誰かは記憶を失う。
 誰かは全てものが関係している力のなかで平静を保っている。
 誰もが忘れていくことがある。
 誰かが忘れていくことがある。
 それらの差分。具体的に何の差分なのかはあとから考えればいい。昨日と今日の違い。さっきと今の違い。
 その女はその差分を知っているという幻想の対象にされがちであった。
 髪の毛のフィルムに収められた一日の差分を補填すれば、自分の一日は完璧なものになるのではないだろうか。多くの男がそう思い込んだ。もしくは一人の男が何回もそう思い込んだ。
 差分のなかに住まうとされた女。
 移ろい、に改名することすら考えた。



 自分自身が一本のビデオフィルムだとして、自分がしているこれは再生だろうか、それとも録画だろうか。女はしばしばそのような種類の疑問に蕩じた。今は後ろでしばっているフィルムのひとつひとつが刻一刻とその内容を新たにしているに違いないが、自分はたったひとつの道をしか進むことを許されていない。その一本道での一方通行のなかで自分が自分に対して施しているこの処理はおおむね何に似ているのか。ひょっとしてとんだ見当違いをしている可能性はないか。



 女は外へ外へ伸張する町の骨格よりも、現在を成り立たせている因果の精密ななしくずしの自力で視認可能な部分を世界そのものの構成として自分の中に取り込み、その詳細な設計図にいわば埋もれることを好んだ。その設計図に書かれていることの大半が確認されることのない技術で実現されていて、残りがあからさまな虚偽であると知ったあとでもそうした。そうすることしかできなかったが、そうすることしかできなくないとしても、やはり自分はそうすることだろうな、くらいのことは考えはした。女にはそうすることしかできないのだから。

20101224 - silence (for rent)

論理的な感情。または感情の理論値。



 ひとつの映画からもう一つの映画への移行。視聴者として。これを即物的な体験と呼ぶのなら、それを否定する論拠は特にない。と、体験の即物性についてまた適当をいうのもまた悪くはない。
 パフォーマンスと実存の重なり合う場所。彼女が活動をしているのは、そのあたりだと漠然と考えられている。
 そうとしか考えようがない。とも言われている。
 それが彼女について語っているその人物のパフォーマンスと実存が重なり合った場所を指しているかも知れず、それなら彼女に気の毒だなとその話を聞いている誰かは思う。即物的とはまさにそのことだから。
 パフォーマンスと実存の重なり合う場所。パフォーマンスを演技と呼び換え、実存を縁起と呼ぶ。活動と経験とを近づける。そうして原因と結果をひとつのものとして捉えるように女は自分を鍛える。場面自体の長さを調整してそれ専用の単位時間を作ればどんな物事もドラマチックになるし、同じ操作で何にも意味があるように感じられるようになる。だからそれは編集の技法のはなしでもある。および錯視という技能の体系である。
 そんな話をして何になるの。
 と誰かがいろいろな話を始める前に彼女は訊ねるのである。
 ひとつは自分が本当に、そんな話をしてなんになるの、と言うであろう物語を前もって避けるがために。
 あとは話す前にはどんな話も所詮はそのようなものだから、という彼女自身の願望を成就させるがために。彼女は非存在のくせにコントロールフリークだ。しかもそれをきいて彼女は満足した顔をするだろう。彼女の友人などはそれが許せない。彼女に害意がないのは重々承知であるから。しかも実際にそう考えているのは存在しない彼女ではなく、実在する彼女の友人の方だからだ。
 実在するからには、実在しない人間よりも忙しくするのは当たり前だ。
 ここに至りそのようなことを考えている、実在しない彼女がいない。
 彼女はどのような不可能の存在を可能にしただろうか。とあなたはこの文章を読みながら思っているかも知れない。啓示は何か。辿り得ぬ道筋はきっと美しいに違いない。どのようなものが論理的な憧憬の対象となったのか。
 その作業、その結果、この有様。
 何を喪失したと感じたいか。その感情を実現するか否か。
 そんな話をしてなんになるの。
 ここで彼女はそう告げるべきである。
 そうして一つの場面からもう一つの場面への移行がある。

December 23, 2010

20101223 - silence (overheard)

政治的に無意味なおとぎ話。



 良心の了解はとったのね。
 そんなことをいう彼女は非存在だ。彼女はその非存在感を誇っている。そうして彼女はそこにいないことによりそこにいる。その様はもはや求道的ですらある。そのような彼女を定義していく先におそらく彼女はいない。定義にあてはまったらそれは彼女ではない。彼女自身がそのような物語を崇拝していてもいけない。このような話を真に受ける彼女であってはならない。彼女はフィルムの髪の毛を指先で遊んでいる。何十万というコマがそこにひしめいている。恐らくその内的論理のなかでは時間の流れ方も別なのだろう。印象の単位で物事を記録し続ける特性をもったコマ。再生の作法もまた入り組んでいるに違いなく、例えばそれを再生していることを記録し続けなければならなかったりする。この段落がこの段階ではまったく無意味なことも俄然考慮にいれている。そこにいなければいない奴の姿がいつもそこにある。そいつの情緒的基盤層を記述することによりそいつを実在させようとしている。もしくは膨らんでいく不在のなかでそいつはそこにいるふりだけを永遠に続けることも可能だ。彼女が存在するようになった暁には、彼女はきっとそこにはいないふりを始めるに違いない。そのような神経の持ち主であって欲しい。
 フィルムでできた髪の毛なんてものをいちいち彼女が生やしている以上、ここで行われている発話だか執筆だか聴取だか読解だかもそのフィルムに何らかの形式で収められているに違いない。そのことに関するこれは物語に違い在るまい。何種類ものフィルムをブレンドすることにより状況の混在を実験しようと言う奴らはいつもブレンドされることによりいなくなった。もしくはいなくなったふりを始めてから何年にもなる。もちろん僕が彼らがいなくなったという振りを始めてから何年にもなるというだけの話かもしれない。
 あなたはこの文章を読んでいるのではなく、彼女の髪の毛のフィルムの数え切れないコマのひとつひとつと、それらが寄り集まって見えているフィルムの毛艶の集合的な流れを同時に追いかけたりしながら、彼女の後ろ姿を眺めているだけかも知れないが、あなたにそう信じてもらうためにはもう少し込み入った前提だとか理論だとか説明だとか物語だかが必要だということは分かっている。
 それらを取り払ったあとで何が存在可能か。


 ★


 望みはない。そのような結果が毎瞬間出力されて、それに対する局地戦がここで行われている。どのような戦いなのか記述されたらそれとは違うものにならなければいけないような局地戦。決然とした語彙に自覚はあるまい。というくらいの自覚ならばあるに違いあるまい。なければ困る。
 これを単体のテクストとして成立させるための条件は何か。
 何が足りていれば十分か。それとも何が欠けていれば不十分か。それとも何が欠けていなければ不十分なのか。何かが欠けていなければ十分ではないのか。説明というものはなければ十分ではないのだろうか。まあそれを言えば、何種類かの言葉遊びと、付け焼き刃の超越的な態度と、物事に対する不十分な理解と、それに対する言い訳を並べているだけのようにも見える。これは何かを駆動させているのだろうか。誰かの不完全な何かにひっかかるということはあるのだろうか。これが誰かの不完全な何かにひっかかっただけの何かだとしたときにその誰かが取り得る態度でもっとも政治的に正しい戦略はどのようなものだろうか。またもっとも政治的ではない戦略とはどのようなものだろうか。
 政治的に無意味。この記述の全体を自分の不完全な何かにひっかけてしまったその誰かは、そのようなフレーズだけを思い浮かべて胸を温め、それでも足りないとは言うべきではあるまいと考えている。

20101223 - silence (a capella)

「不正確に言えば」



理由や意味がなくなってからが本番だと縁起でもないことを呟いている彼女の、常に一段落か一文か一語か一文字先からこちらを振り返って見ている彼女の、その論理的な似顔絵である韻文や散文や論文の存在に裏付けられる彼女の、空間を優しく空気で満たすみたくそこにいる彼女の、そのような印象を背負わされるたびに自分が存在しないことの代償をさらに払い続けているのだという理解を深める彼女の、だんだんと自分の不在に対する理解を深めていく彼女の、彼女がそこにいないことをどうやって説明しようかという文章のなかにだけいるような彼女の、日頃自分の趣味に没頭している彼女の、正確に言えば彼女が実在しているというふやけた前提のなかで日頃から自分の趣味に没頭している彼女の、不正確にいえば自分の不在への理解を求めながら様々な修辞や統語の技法のなかに身を隠すという技術を日々磨いている論理的な存在である彼女の、論理的な導き出されうるという理由だけでまるで瞬間移動してきたかのようにそこにいるかもしれないという状況のなかでやはりそこにいない彼女の、その論理を有効にするための軟弱なこの論理のなかでもやはりそこに結ばれている姿の彼女の、何年代だかの映画だかに様々な別の住まいを持つ彼女の、個別の事象ではなく事象間の関係性をだけ記憶している彼女の、つまりある詩や小説の書かれる仕組みを先に演算してその先々に予め居座ることが可能な彼女の、それが高じて統語法のなかにも遡及的にその論理的不在を位置づけた彼女の、そのような特性を可能にしているのは彼女がそこに存在しないという事実だ。そしてそれはたぶんいいことだ。それがそう悪くもないという範囲においては。

December 22, 2010

20101222 - silence (mastered)

原文はこちら



 女の髪は映画のフィルムの束でできていた。女の髪の毛もしくはフィルムの一本を女の頭から抜き取るとそれはその時配信されている現在と同内容であると確認されているという。その内容を記録しているのは女の髪の毛のほうだった。それはフィルムだったから。女の後ろ姿は大層美しい。光線を背にした女の髪の毛は数々の物語や映像を文字通り透かしたものだ。透けて、好く。
 映写機はなんなのかというはなしには当然なる。
 この文章をひとつの映写機としてみるか、それとも彼女が頭から生やしている毛髪性の高いフィルムを何らかの装置で再生したものの文章的なスペクトラムがここに不揃いな単語の羅列としてあるだけか。無意味というのはなかったらきっと大変なことになる。そう考え得ると考え得るだけでも女の心は十分に安まった。それが丸っきりの嘘であるということも女はわきまえていた。何というかそれらは両立する。
 彼女の髪の毛の一本を再生している映写機。再生は再生だが再生や創造とは関係がない映写機。そんな映写機が彼女の髪の毛であるフィルムを上映していたりする。世界が終わる前から既にそうしているのだから、気が早いといえば気が早い。
 描写を発生させる力。
 その女はそのようなものとしてある。
 さらには未見の中継映像を文字通りフィルムとして髪の毛の代わりに頭から生やしている女。フィルムを梳る女。その女自身についてのフィルムは決してその頭から生えてくることはないと知っている女。収録と放送との境目を何らかの意味でわきまえている女。
 純粋な活路。
 もしくはその可能性。希望。そしてその否定。
 女は省略は美徳であると知っているからこの程度の手短な導入でも気にしている様子はない。それを言えば少しでもその事柄に対して関心を示しているようにも見えないし、そもそもそのような美徳の存在など検討したことがないようでないでもない。町は冬である。
 その町にあるものを合わせても女の髪の毛のフィルムを上映するための映写機をつくることはできなかった。もしくはそのような町を選んで女は存在していた。
 町は十二月である。そしてここに十二月と書かれている以上、これはこれから起こるすべての十二月とも、これまでの全ての十二月とも異なった十二月である。それ自身以外のすべての十二月の存在を逐次的に否定していくことにより成り立つ十二月。記述されることの特殊性に、有り触れた、そしておそらくは傲慢でもあるその自覚に依拠した十二月。そのような季節の、そのような町に暮らすために、女に嫁のもらい手はまだないが、それは余談である。
 関係がないとは言えないが、関係しかないと言えばない。
 それがどうした、と思いながら女は生きているわけである。

20101222 - silence (a capella)

この文章のすべてを否定する彼女。



意味とは関係のない何かの、もしくは尚早であることに付随するものごとの総称だとかの、それに対する視線の、視点の、その認知や把握の習慣を裏返していく描写の、その主因と副作用である筆記や発話の、集団の記憶に依存しないものと同時にある普遍的という言葉の対象の、彼女の、それぞれ自分の考えだけを話している裏側で語られている集合的なというよりは空中分解的な物語の抽出という演技と縁起の境目で視覚的に意味を構成していることに対する驕慢な自意識のありかたの、彼女の、大振りで小降りの、自分自身の内外を試す論理として鍛え続けられてきた彼女というひとつもしくはひとりを意味する言葉の複数形である語彙の、この場で単位としてだけで存在できうる人間像のそののびしろとの影踏みでもって高鬼としりとりを同時にしているだけでもいい作業の別角度の、単純化されているがためにどのようにかは複雑と呼ぶためには単純すぎる宇宙の、自分の中心を外側だと感じてしまう生物の、自分をちょうどここまで語られたすべての定義の外側に置き続けようとしている生物の、要約可能性の、ついでにいえばいつもようやく可能性の、台無しという言葉の妥当性すらも怪しい部分の、無限の自由と限られた自由を素早くというよりは手短で儚げに発揮しているどなたかの、考えることはできても想像することはできないと言われている彼女の、この文章のすべてを否定する彼女の、すでに自分が論破した文章のなかでいつもさてとばかり言っているような気もする彼女の、起こらなかった場所にいなかったことを思い出している現在の、どれだけの起こらなかった物語のなかでしかもそれに対して彼女は戦い続けなればいけないのかという率直であるがゆえに多くの前提を欠いた疑問の、それではこの物語は起こっていないのかと言えばそうは言えない場所にいつも必ずいる彼女、もしくはそのように楽天的であること。繰り返しても止めないこと。止まないがゆえに繰り返されること。そのなかで決して繰り返されないこと。もしくは全ては一度は繰り返すその前半戦が終わって休憩時間に後半の規則を表現しあっている一人称の団体戦であり個人戦でもある何かの、そのすべてによってその主機能としても存在してもいる彼女がそれに彼女が関心すら示さないさまは彼女が出来過ぎた言い逃げの後味の悪い冗談に対して前もって笑って返すときと思い切りの良さが同じで、思い切りが良いあまりに彼女は存在しないことを選んだりもする。彼女はそこにいないからそこにいるかのようにふるまえる。彼女は挨拶にかえて出会う。

December 21, 2010

20101221 - silence (a capella)

凍てつく知恵熱。もしくは体温で解凍された知恵熱。



説明のつかない冒険の、説明のつかない夜の、ひとつの脳を内側と外側から奪い合っている見えない呟きの、都会そのものと化した夜の、曲がりきることのできない角の、もしくは曲がることのできる角としてまだそこで折れ曲がっている角の、もしくは他の誰かが曲がりきることの出来る角の、不可能な曲がり角を曲がろうとしている彼女の、不可能な曲がり角を可能にだけしようとだけしている彼女の、期待値に応じて割り振られていく幻滅かもしくはいいところ消滅の夜の、何にも似てはいないしそれをいうなら自分自身にも似ているという認識が失われてしまったあとの夜の、真夜中の、朝方の、昼下がりの、鉄筋の、時間に放り込まれた愛の、それよりもさきに時間に放り込まれた心の、自分の心に放り込まれた自分の心を持てあましている彼女の平文の暗号に投げ込まれた心の、もしくは平文の混沌に投げ込まれた心の、心に心奪われた心の、平日の冒険の、心から心を取り戻すための冒険の、つまりは平熱の冒険の、もしくは平熱を更新していくための冒険の、もしくは冒険を更新していくための平熱の、知恵熱にも似た体温の、凍てつく知恵熱の、もしくは体温で解凍された知恵熱。

December 20, 2010

20101220 - silence (a capella)

機敏な眠りの、怠惰な覚醒の、要点を持たない編集の技法の要。



即物的な詩の、ただ今こうして文字としてだけ存在している感情の仕組みの、もしくは感情になぞらえたまた別の心の動きの仕組みの、思考を用いてさらに思考を行っているようなまっさらな地平の、そこを思い描くことによってここが存在しているようなそことここの、そう記されることによってようやく辿り着くことができるようなここに間借りしている最新の記憶であるとされているものの、まだここにあった試しのない感情を追いかけている部分の、本当にただそれだけの、十年前とも五分後とも無関係の、また五分前と十年後とも無関係の、彼女の姿で駆動している半裸の、残像の推力をまとっている全裸の、ただ切り貼りされているだけの印象の姿の、継ぎ目のない変化の、感情を持たないにせよただ圧倒的なものとしてある認識の取り分の、要点を持たない編集の技法の要の、装いの速度と相乗りしている十二月の残り十日の、彼女の姿でなぞらえている全体の全体からはみだしている部分を常に含もうと拡張している全体のその差分の、速度とも呼び替えられる部分の、このようなある種の様式に間借りすることによりその差分を常に計算している未来の取り分である現在の、さらには常に未来から現在を取り戻そうとしている彼女の姿に焼き付けられた未来の姿から取り戻そうとしている今夜の姿の、西海岸や東海岸の、大陸や列島の、横断の、上空の、都市や郊外の、機内や車内の、機敏な眠りや、怠惰な覚醒の、冷房が効きすぎた夏の、その夏の最寄りの駅の、最寄りの駅から歩いて数年の、その数年からまた数分が経過したいま彼女は未来でも過去でもない時間の方角のことを考えながら物凄い速度で植物を繁茂させているし物凄い勢いで金属を酸化させてもいる。

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